第十六話
いくらも歩かない内に観光客向けのブティックがあったためアルヴィアとセイケイは中に踏み入れた。
店内は鮮やかな民族衣装が陳列されており、それだけでアルヴィアの目を楽しませた。
「いかがでしょうか、セイケイ様」
コスティアの民族衣装はアルヴィアが普段身につけている東国風の衣装とは異なり生地が薄く、彼女に心許なさを覚えさせた。
生成りの白い生地にセキチク色の鮮やかな糸で花の刺繍が刺されており、素朴ながら愛らしさを感じさせる装束だ。
「普段、淡い色を身につけることが無いのですが、似合っておりますか?」
色の白い大人びた顔立ちと薄紫の髪と群青の瞳を持つアルヴィアに似合う色は限られる。好んでいるものと似合うものはどうしても違いがある。タウメへの憧れも服選びに影響しているため、アルヴィアが服を仕立てるとどうしても絢爛なものが増えてしまう。
「平生の装いとは風情が異なるが、素敵だよ。もっと気楽に着れる服を増やそうか」
「それもいいかもしれませんね。ですがいつもの服も背筋が伸びて芯が通る心地が気に入っています」
帯や紐で平面的な布を身体に沿わせる衣装は背もたれに身体を預けることも走り回ることも難しい。その貴人にこそ許される不自由をアルヴィアは楽しんでいた。
「セイケイ様もお似合いですよ。ふふ、みんなにも贈りましょうか」
「ああ、それもいいな。――店主、この値段で包めるだけ包んでくれ。届け先は総督邸で」
目を丸くする店主を気に留めることも無く竜王は続ける。
「おれのサインと指輪も同封してくれ。先方にはそれで通じる」
竜王は右の中指に嵌めていた琥珀の指輪を店主に預けた。蜜色の石の中で青い鱗が鈍い輝きを放っている。
「お忍びではなくって?」
「ミズチが危惧しているのは市井が混乱することだ。小言はもらうかもしれんが、それよりも君の願いを叶える方が重要だ」
「あら、私まるでいけない女ですわね」
「これくらいわがままにも入らないよ。甲斐性の自負はあるから、もう少しねだりなさい」
その言葉をアルヴィアは笑顔で躱した。元より約束できぬことは口にしない主義のためだった。
「君、少しここで待っていてくれるか。すぐに戻る」
店主の女性に一言、二言アルヴィアのことを頼み、竜王は店の向かいの建物に入っていった。
カウンターの近くで名物のクナムの果実水を楽しんでいればそこに声がかかった。
「やあお姉さん、かわいいね。こっちのテーブルで飲んでいかないかい」
アルヴィアは最初、その言葉が自分にかけられたとは思っていなかった。
竜域では誰も彼もが彼女を幼い少女として扱うので「お姉さん」などと呼ばれることも、竜王の番であるためこのように気安く話しかけられることも無かった。
「ごめんなさい。私、お酒の飲める年齢では無いの」
「へえ。お姉さんの国ではそうなのか。でもここはコスティアだ。羽目を外してもいいんじゃないか」
椅子を引きずりながら壮年の男性がアルヴィアへの距離を詰める。
「東の酒が中々に味が良くってな。どうだい一杯」
男性から露骨に距離を取るわけにもいかず、アルヴィアが目線をさ迷わせていると厨房から戻ってきた店主が二人の間に入った。
「何やってるんだい! この子は上客のお連れ様だよ。絡み酒なんぞみっともない!」
「いいじゃねえか。こんな別嬪さん滅多にいないんだ。酌なんてさせないから、一緒に飲むぐらいはさあ」
常連であるらしい男と店主が賑やかな応酬を始め出す。この手の掛け合いは拍車がかかると止まらないことを身近な二人で実感していたので一歩引こうとしたところ、アルヴィアの肩に手が触れた。
「紳士どのすまない、おれが彼女の連れだ」
竜王が若者のように見た目相応に振る舞う様子はアルヴィアにとって新鮮極まりなかった。
「少し格好を付けようとして、プレゼントを選びに離れたんだ。向こうの通りにも彼女を連れて行きたいのでこれでお暇させていただく」
言葉の通り、竜王の右手には青い布で包まれた小箱が収まっていた。
「お大尽だねえ兄ちゃん! 俺はカミさんにそこの指輪をせがまれちゃいるが爪の先すら届いたことが無いよ!」
「胸を張るんじゃ無いよ甲斐性無し! とっとと帰んな。エルゼは今日も家で子供の面倒見てるんだからね!」
男の腰にくくりつけられていた皮袋から半ばひったくるように飲み代を徴収した店主は男の卓から酒を取り上げた。
「ああ、まだ残ってただろ……」
「指一本分の酒でぐだぐだ言うんじゃないよ。……お嬢ちゃん、大して構ってやれなくてすまないね。またコスティアに来たら懲りずにこの店においで」
男に向けて浮かべていた店主の鬼の形相がアルヴィアたちの方向を向いた瞬間に柔らかい笑みに切り替わる。
「ええ。お酒が飲めるようになったらまた訪ねさせていただきます。セイケ……」
竜王に同意を得ようとしたアルヴィアは、何事か思いついたのか言葉を切った。
「ねえ、あなた」
伴侶の意味を含ませ、アルヴィアが呼びかければ竜王はたちまちに頬を赤らめた。
今にも走り出してしまいそうな衝動に駆られる竜王だったが、気を鎮めアルヴィアに向き直る。
「そうだな。その時は是非」
穏やかな笑みとともに二人はその場を辞した。
「かわいいと言われてしまったわ」
竜域で見目麗しい亜人達に囲まれ過ごしてきたアルヴィアにとって、己の容姿は取るに足らないものだった。
誰も彼も竜王の番として敬意を払い、アルヴィアに邪な視線を向けるものはいない。ましてや秋波を送ってくるものがうればたちまちにその相手はシラハナやタウメに捕縛されていたことだろう。
「見る目も確かなようだなあの紳士は。そうだよ、君はかわいい」
純粋な事実として竜王は続けた。実際、公務から解き放たれ、毎日を学問の研鑽や侍女との語らいに費やせる日々はアルヴィアにとって素晴らしい環境だ。
過度なストレスに晒されることもなかったためアルヴィアはいつも穏やかな笑みを浮かべることができていた。
「出会った頃から君は美しかったが、日ごとに輝きが増していくようだ。……攫われぬよう気をつけなくては」
竜宮の防護は年々堅牢になっていく。必要に駆られた竜王により新しい結界術が開発されているためだ。
「君は自覚が無いようだけど、五年前のあれは拐かしも同然だった。竜は特に番への執着がひどいんだ。八千年前も同族が自分の番を同意も得ずに連れ去ったことがある」
一度連れ去ってしまえば身柄を留めることも心を弄ることも竜にとっては容易いことだ。心を通わせることを厭えば天秤は簡単に狂気に傾く。
「君はおれにとっての玉だ。君自身が愛らしくこの上ない存在だというのに、おれの番という価値が付加されてもいる」
セイケイはこれまで恨みを買うほど他者と関わったことは無い。だが、この世界で最も名の知れ渡っている竜こそが竜王だ。竜そのものへの悪意、欲深き同属に対する怨嗟を竜王にぶつけるものがいないとも言い切れぬ立場だった。
竜王の手にあった包みがアルヴィアに渡される。
「竜域の外からの悪意は君には届かない。だが、おれは人心を掌握したり心の内を読むといったことは不向きだ。だからこれを君に贈る」
アルヴィアが青い布の包みを解けば、更に青い箱が入っていた。
「先に言うが、中に入っている物も青い」
竜王の眉根が寄せられ、弱り切った声が続く。
「この歳になって初めて気付いたのだが、包みと中身の色を一緒にすると薄ら暈けるのだな……」
他国に向けて進物の手配をミズチに命じることもある竜王だが、その中身や包装にまで気を配ることは無い。
「かといって他の色を合わせてみようかとしたら、更に訳が分からなくなってしまった」
頭を抱えてその場にうずくまり、項垂れはじめる竜王。コスティアの日差しで照らされた首筋は血管が透けるほど白い。
「分からん……色という物はこの世にあふれているのに、隣り合わせた途端に不和を発生させるのは何故だ?」
焦点の合わぬ金色の眼は落ち着き無く揺れ、竜王の動揺を示す。
(セイケイ様にも苦手なことがあったのね)
元より自我が薄く、服装ですら己で決めることの無かった男ではあるので色選びが苦手であることはある意味道理ではあるが、アルヴィアにとっての竜王はこの上の無い男であるため、今までその片鱗を感じ取ることができずにいた。
「箱を開けても?」
アルヴィアの問いにうずくまりながらも頷く竜王。回復にはまだしばらくかかりそうだった。
中に入っていたのは一対の耳飾りだった。耳たぶに穴を開けずとも装着できる物で、耳にかけるための金具の下に八面体に切り出された青い石が付いている。
「竜域で石を採ったはいいが、研磨の仕方が分からなくてな。門外不出の技術を無理やり見学するわけにもいかなかったしな」
コスティアへの外出は突発的なものではなく、かねてより計画されていたものだということをアルヴィアは初めて知った。
「自分で掘られたんですか?」
「誰かに頼むわけにもいかないだろう。番を飾る石を他の者に掘らせるなど、考え難い」
帝国において輝石は誰が採掘してもその土地の権利者のものとして扱われることが多いため、竜域の支配者である竜王が自ら掘るというのはアルヴィアにとって馴染みの薄い考え方だった。もっとも、愛する男が手ずから用意したとなれば拒む理由はなかったが。
「君が付ける前に、もう一つ手を加える」
言葉と同時に竜気の光が耳飾りを包む。青一色だった石に葉脈のごとく金の線が走っていく。
「君が迷子になったとき、その石に触れて念じれば迎えに行く」
青い耳飾りは南国の強い日差しに照らされ、彫像のように整った手のひらの上で淡く光を反射している。
アルヴィアは耳飾りを摘まみ、首を傾げて己の耳たぶに付けた。
「大切にします。なくさないよう、気をつけなくてはいけませんね」
「ああ、大丈夫。君の意思で無い限り外れないようになっているから安心なさい」
善意のもとかけられたまじないをアルヴィアは笑顔で受け取った。
「まあ。利にかなっていますわね、流石です。セイケイ様」
番からの賛辞で得意になった竜王だったが、帰宮後側近や番の侍女の片方には白眼視されたことは言うまでも無い。