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第十三話

 庭園の花々に見守られながらアルヴィアは、くありとひとつ欠伸をもらした。

 竜王との逢瀬は大抵深夜に行われるためアルヴィアは朝寝をしているが、起床直後の昼はどうしても眠気が勝る。


「姫、品が無いですよ」


 シラハナが咎めるもアルヴィアは気にした風も無く、右手で持っていた扇で己の顔を扇いだ。


「誰が見ているというわけでもないでしょう。セイケイ様は本宮で書状を認めていてこちらに来るというわけでも無いし、見逃してくれないかしら」


 小首を傾げ笑む姿は十四とは思えないほど艶めいている。

 幼かったアルヴィアの背は伸び、身体も年齢にそぐわぬまろさを描くようになった。睫毛はけぶるように長く、優美に言の葉を紡ぐ唇は紅がのせられている。


「確かに姫にとってのおのこは竜王ただひとり。ですがこんな昼日中から気を抜いてはなりません」


 肩口で切りそろえられた焦げ茶の髪を白の組み紐で飾り、薄桃の衣をまとった童女と見紛うばかりの侍女のひとり、シラハナは円らな瞳でアルヴィアをみつめる。

 五年前に出会った当初はシラハナの方が背が高かったのだが、二年も経たぬ内にアルヴィアがたちまちに追い越してしまった。


「まあまあよいではないですか。少々お転婆な方が可愛げがありまする」


 タウメがシラハナを取りなす。彼女は元々の背丈が高いためアルヴィアに背を抜かれることは無かった。


「あくびのひとつやふたつ。竜王も気に留めますまい。むしろ自分の前でこそ安らいでいると気をよくするやも」


 六つの尾を揺らし赤々とした唇にゆるく曲げた指を当て、くふくふと笑うタウメ。彼女は狐と精霊の亜人らしく、少々物事を可笑しく捉えるきらいがあった。


「タウメ。陛下の恋愛経験値はまだその域に達していません。昨夜の様子を忘れたのですか。爪一枚触れてあの様ですよ」


「シラハナお主、容赦がないのう……」


 遠見の術で様子を覗く側近達にも竜王の奥手は筒抜けである。

 目付役の斟酌のない物言いにアルヴィアが扇で口許を押さえ、くすりと笑う。


「確かに陛下の歩みに合わせていれば、娶っていただくより棺に入る方が早いわね。では、どうしたら良いかしら?」


 面白がったアルヴィアからの問いかけでシラハナとタウメが目を合わせにまりと笑みを交わす。それぞれ年齢に開きがあるが女三人寄れば姦しいというのは万国共通だ。


「やはりここは竜王が人界に降り、色恋にまつわる舞台を観劇したり本を集めるというのはいかがでしょうか。もちろん我らは見守りますが」


 情操教育の一環として、アルヴィアの許には人界の書が多く集められているが、竜王はそれらにあまり興味を持たない。

 亜人は文化や芸術を生み出す才能が乏しい。その反動か人界の文化を楽しむものも多いのだが、竜にいたってはそれらに興味すら持たないことがほとんどだ。彼らの興味は財宝や番にしか向かない。


「いやいやここは竜域の番を持つ者たちの話を聞きに行くのがよろしいかと。近くに控えているのが独り者のミズチめでは全く参考になりませぬ」


 番を持つ亜人は人里離れた場所に居を構えることが多い。独占欲が強くひと目に番を晒すことを嫌がり、悋気も激しいので無用な争いを起こさないためである。

 そのため亜人の夫婦に遭遇することは少ない。彼らの話を聞くことは確かに参考になるだろう。

 話に夢中になるタウメの背後に影が差す。


「随分なお言葉だが、お前は人のことを言える立場なのか?」


 花咲く庭園に似つかわしくない男、ミズチはタウメの背後を取った。

 平素は表情の乏しい男だが、珍しく嗜虐的な笑みを浮かべている。


「度々姫君の先達ぶるが、お前自身に経験など無いだろう」


 くっと片眉を上げ面白がる顔を作るミズチ。明確に嘲りの意図があった。

 怒りで震えるタウメを見たアルヴィアとシラハナは顔を見合わせ、椅子を引いた。机の上に広げていた菓子も寄せ、注いだばかりの茶は一口飲んで嵩を減らした。

 経験からいえば、この後の展開はひとつである。


「やったるかこの蛇男が! 前々からちくりちくりと、気に食わんのじゃ!!」


「こちらの台詞だ駄狐が! 無駄に六つも尾など生やしくさりおって。何のための人化だ」


「頬に鱗二、三枚散らしたお前に言われとうないわぁ! 剥ぎ取るぞ!!」


 尾と耳の毛を膨らませたタウメが言葉の通りミズチの頬に手を這わせ、壁に癒着した貼り紙を剥がすようにかりかりと爪を立てる。


(相変わらず、よくやる)


 タウメとミズチの小競り合いはアルヴィアにとって見馴れたものとなっていた。

 竜宮に来て間もない頃は気を揉んでいたが、数年も経てば違う見方が出ても来る。


(お約束。様式美、直接的に言ってしまえば……)


 アルヴィアが分析をしている間にも角突き合いは拍車がかかり、タウメはミズチの浅黒い肌に爪を立て幾筋かの赤い線を作り、ミズチは羽二重のようなタウメの頬を瞳孔を開きながら一心不乱に揉んでいる。


「化粧がよれる! 的確な嫌がらせしおってからに!!」


「指先の人化が解けてきているぞ化け狐。面の皮に気を配りすぎだ」


(人を成長させるのは年月ではないと言うことが目の前で実証されている)


 タウメ六百四十歳、ミズチ七百二十歳。生半可な国などよりよっぽど永らえているはずだが、人間の子供でもやらぬような取っ組み合いがアルヴィアの目の前で行われていた。

 痺れを切らしたタウメが衣の裾を割り開き、ミズチの側頭に法術をまとわせた蹴りを放とうとしたところでこれまで黙していたシラハナが頬に片手を添え、見目にそぐわぬ艶然とした笑みを浮かべた。


「ふたりとも。姫の教育に悪いのでよそでやってくださいませ」


 爛々とした鬼灯の実のような赤眼が二人を見据える。普段は伏し目がちなため、茶の色味が強く見えるが実際は赤々とした目をシラハナは持っていた。

 その言葉と共に両者の動きが制止した。タウメはミズチの肩の位置まで上がっていた輝かんばかりの白玉の脚を裾に収め、ミズチはタウメの頬から手を放した。

 崩れた衣を朝の身支度を済ませた直後のように整えた二人にシラハナが表情を崩さずに続ける。


「そう。お利口になさいませ。威勢が良いのは若者の良さではありますが、わきまえることも時には重要。いつ教えたか覚えていますか?」


「二百年前であります……」


「五百年前でした……」


「覚えていてくれてとても嬉しいです。……覚えているのなら実践していただくともっと嬉しいです」


「「はい……」」


 青菜に塩と言わんばかりのタウメとミズチをアルヴィアは観察していた。


(こうはなるまい)


 年嵩の二人を反面教師にしながら、アルヴィアは助け船を出した。


「ミズチ。何か用事があってこちらにいらしたのではないですか?」


 常であれば竜王の傍に控えて身の回りを整え、補佐を行うのがミズチの仕事だ。昼日中にアルヴィアが住まう宮まで来るのは珍しいことだ。

 アルヴィアの言葉に本来の用向きを思い出したのか、ミズチの背筋が伸びる。


「失礼しました、姫。こちらの都合で恐縮なのですが、本日の申の刻からの授業を未からに早めていただけないでしょうか」


 申の刻は帝国風に言えば午後四時、未の刻は午後二時である。


「お客様がいらしましたか?」


 竜域は世間一般の国家とは一線を画し、領主や守護などが各地域に配されていないが、有力な亜人も存在する。

 天地開闢の時より生まれ、その威容を保ち続ける神に近しい存在だ。

 彼らは気まぐれに竜宮に訪れ滞在することもある。先触れがあったのなら夕刻には到着するのでアルヴィアの授業を早めて備えるのは道理だ。

 少女の問いにミズチが右の手で顎に触れながら答える。


「いえ。そのような予定はないのですが、本日の竜王は心ここにあらずといいましょうか……」


 逡巡の後、決心が付いたのか、眉間にしわ寄せ、口を開く。


「指の先を見つめていて使い物になりません」


 続けられた言葉にアルヴィアは目を閉じて長く息をついた。


「俺ではどうしようもありませんので、時を置こうかと」


「分かりました。昼餉を済ませましたらそちらに向かいます」


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