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第十一話

 夏の夜に二人で抜け出した夜があった。

 法術で季節を変えたわけでもなく、薬無しに寄り添った日でもなかった。

 夜も深まり、皆が寝静まった頃。示し合わせて床を抜け出した。お互いに付いている供をつけず、竜宮の隅の高楼に登った。


「高い塔、ですね」


 見馴れぬ木造りの塔を竜王の手元の燭台を頼りにアルヴィアは登る。


「法術で浮かせようか。おれが抱えるのは……すまない、無理だ」


 ミズチに禁じられた薬を服用してきたとはいえ、想像だけで気が動転したのか竜王は口端から血を滲ませていた。


「いえ、自分の足で歩きたいのです」


 遠見の術での見張りすら無い逢瀬はこの日が初めてだった。

 螺旋状の階段を上りきれば満天の星がアルヴィアと竜王を出迎えた。


「久し振りに、星を見た気がします」


「タウメもシラハナも真面目で、君に夜更かしなどさせないだろうからな」


 勾欄に手を添え、空を仰ぐ番を竜は眩しそうに見た。

 群青の瞳に星明かりが散る様がどんな輝石よりも美しいことを竜だけが知っている。


「星空は帝国と変わりませんのね」


「距離自体はあるが、緯度はそう変わらぬからな。ロベルマまで行けば少々変わる」


 竜域から見れば南東、帝都から見れば南に位置する都市である。


「世界は丸く、果ては繋がっているはずと教わりましたが、陛下は確かめられましたか?」


「地平線が丸いことは確かだが、一周したことは無いな。方々を飛び回っていた頃もあったが、それこそ気まぐれに方向を変えていた」


 竜域はそれこそ世界の果てとも言えるべき場所ではあるが、亜人達には未開の地を開拓する冒険心が欠けているためその多くは謎に包まれている。


「偶に人間が果てを見ようと試みることはあるが、険しすぎて諦めざるを得ない。ホロミラを暫定的に果てとしている」


 遠浅の海の果てにある島、ホロミラは竜域において罪人を繋ぐ場所だ。

 労役が課せられることは無いが何も無い島で、寿命が長く娯楽を生み出す術の無い亜人にとっては死ぬよりも辛い場所だ。


「存外、果てなど無いのかもしれぬぞ。太陽が沈んで昇るものだから世界は丸いという仮説が今の主流だが、この世界はもっとお伽染みている気がするよ」


 永き時を経た今ですら番の仕組み、生き物の発祥は解明されていない。創世より生まれた竜たちですら答えを持たぬ謎である。


「理屈を付けられるものの方が案外少ないのかもしれませんね」


「ああ。だからこそおれは道理に拘ったのだろうか」


 我欲に従えないからこそ竜は指針を求めた。規範たる理。平等たる理。明快たる理。それらを支柱に振る舞えば惑うこと無く永劫を歩むことができる。


「竜は本来生きる理由など必要としない。己の思うままに生きていれば良いだけだ。今思えば、竜域を治めると決めたのも打算だったのかもしれない」


 最早確かめる術は無い。かつての心を覗くことなど神にしかできぬ御業だ。


「ですが、陛下が竜域を治めると決めたからこそ私たちは出会えました。今はその巡り合わせに感謝いたしましょう?」


「……ああ、そうだな。あのまま世界中を飛び回っても帝城の君には出会えなかった」


 帝国は亜人や竜に対する敵愾心が強い。彼個人としてもいたずらに藪をつつくことは理に沿わぬと判断し避けていたことだろう。


「何か一つでも掛け違えばこの出会いはありませんでした。目通りに選ばれるのは私の兄だったかもしれません」


「その通りだ。君は聡いな。この歳になってもまだ教えられることがあるとは」


 年老いた言葉とは裏腹に竜王は若々しく笑った。


「誰にでも教師役はできると、ミズチが言っておりましたよ。今日はひとまず、どうして私を高楼に連れ出してくれたのかを教えてくださいませ」


「そうだな。……理由も聞かずに付いてきてくれて、ありがとう」


 竜王からの感謝にアルヴィアは微笑みで答えた。アルヴィアも夜中に内緒で抜け出すという言葉の響きに心動かされたので、お互い様ではあったが。

 番の笑みに心を穏やかにさせながら、竜はゆるりと言の葉をのせた。


「……竜は自分で自分の名前を付けるんだ」


 言葉と共に竜王は空を仰ぎ見る。星影が青藍の御髪に落ち、淡い光を放っている。


「竜域が成立するよりずっと前、あの青い彗星に己を重ねた。その時からおれは己の名をセイケイと定めた」


 機構のように生きてきた竜王の数少ない自我の発露は誰にも知られることは無かった。


「彗星は望月のように毎月見れるものではない。数十年に一度、(そら)に尾を引いてみせてくれる」


 竜はその星をただ見ていた。誰かにその感情を伝えることも無く、凪いだ瞳で星霜の年月(としつき)の時折に見える星に親愛を抱いていた。


「幾度となくあの星を見た。それでも、流星のようにやがては消えるのか、世界が終わろうと輝きつづけるのかすら分からない」


 世界の始まりから生き続ける竜ですら分からぬことがある。

 星の始まり、宙の果て。深海(みうみ)の底に魂の行方。彗星の終わりはその中の一つだ。


「かなうことなら、おれはあの星の終わりが見てみたい」


 終わりを持たぬ竜のささやかな願いを前にしたアルヴィアは、あらぬ考えにとらわれていた。


(私はもう一度、この彗星を見ることができるのだろうか)


 自分の名付けに用いるほど慕わしく思っている彗星を。きっと誰にも明かしていなかった名の由来を番に伝えたがった純朴とも言える竜王の気持ちこそがアルヴィアを苛んだ。


(星の終わりなど、見に行かないでほしい)


 どうして、私のいない未来の話を穏やかに口にするの。

 どうして、そのささやかな願いにすら私を入れてくれないの。

 アルヴィアとて分かっている。この願いはアルヴィアが生まれるずっと前からの竜王の願い。そこにとってつけたように愛するものを加えることこそ軽薄で中身のないことだ。


「素敵な願いですね」


 理解者のふりをして、アルヴィアは笑った。そして、目を逸らしていた内心にとうとう名前を付けた。


(私、この方のことを愛している)


 罪悪だった。かつて一心に、竜王のためにその身を捧げた少女は死んだ。愛する男のささやかな願いすら望めない、愚かな女が産声を上げた。


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