翌日
今着ている服は雨でじっとりと濡れてしまっている。
それを脱いで用意されている服に着替える。
彼らが着ていた軍服の紺色と似た色をしたズボンと生成のシャツだ。
下着もシンプルなものが用意されていた。
今まで着ていたものよりずっと上等で着心地のいいそれは、貴族の軍人用の服なのではと思わせる。
綺麗に使って洗って返さねばと思う。
私がどれだけの期間ここにいて何をすればいいのかは分からない。だけどこんな上等なものが私の物になることはない。
先ほどまで着ていたワンピースを洗ってしまいたいけれどここから出ないようにと言われてしまっているので諦めて小さくたたんだ。
大きなテントの中は清潔なベッドとしっかりとした机、それとセットになっている椅子が置かれている。
それ以外に着替えの服が入っていた棚がある。
何故こんなしっかりとした場所に私が居ていいのかが分からない。
私が呪いをふりまくかもしれないから隔離しようとしているのだろうか。
それであれば、さっきの青空を見せてくれたあの瞬間は何だったのだろう。
一人でぼんやりと考えているとフェリクスさんが「夕食だよー」と言ってテントの中に入ってきた。
彼が持っていたのはこんがりと焼かれたパンと、湯気が上がるスープと、鶏肉のソテーだった。
「質素で悪いけど、どうぞ召し上がれ」
フェリクスさんはそう言ってお盆を机においてくれた。
「ありがとうございます」
消え入りそうな声でしかお礼が言えず恥ずかしかった。
その日出された食事は孤児院で食べたものより、研究所の食堂で私用として出された食事よりも豪華だった。
一人で一口、二口食べていると、ぽろり、ぽろりと涙が浮かんできた。
別に悲しかった訳ではない。
なのに、今日見たあの青空を思い出したら涙が止まらなくなってしまったのだ。
自分でも何故泣いているのか分からないのに、涙が止まらない。
夕食はおいしいしテントの中は快適に整えられている。
自分でもよくわからない。
体をぬぐったタオルで涙をぬぐう。
こんな風に泣いてしまう事なんて最近はもう無かった。
ほんの小さいころ、まだ捨てられた時は泣いていた様な気がするけれど、その後泣くことなんてなかった。
じんわりと熱くなるまぶたをぬぐって、私はひたすら夕食を口の中に詰め込んだ。
* * *
翌朝は雨音で目が覚めた。
ああ、あの青空はもう無いのかと寂しく思う。
テントに張られた布の間から外を見る。
雨が降っているのに、軍人さんたちはバタバタとあわただしく動いていた。
彼らの顔に悲壮感は見えない。
「恵みの雨だな」
そう言いながら森の奥へと向かった人もいた。
私にはその言葉の意味がよく分からなかった。
雨が降り続けて喜ばしいことなんてあるのかなあ。
用意された朝食はサンドイッチでそれを食べる。
夕方には撤収になるらしい。
「私はまた研究室に戻るんですか?」
「まさか」
私がフェリクスさんに聞くと彼はあり得ないと返した。
「あなたは我々と共にディーデリヒ様のお屋敷に行くことになっています」
そうフェリクスさんは言う。
「お屋敷であなたの力について少し色々と検証していくことになります」
もちろんお給料も出ますよ。
フェリクス様に言われて驚く。
孤児院で働いたことはある。
だけど私はお給料はもらったことはない。
お給料は孤児院に入るのだ。
おこづかいももらったことはない。
今まで一度も自由になるお金をもらったことが無かったのだ。
「私も何か買い物ができますか?」
おずおずとそう聞くとフェリクスさんは「勿論です」と言った。
その日私は何もすることが無かった。
てきぱきと動くフェリクスさんたちの邪魔にならないように端に避けていることくらいしかできなかった。
帰りはディーデリヒ様の乗る豪華な馬車に一緒に乗る様に言われた。
初めて見る、貴族仕様のふかふかの馬車を見て、恐る恐るフェリクスさんを見るとにこやかな笑顔で「お乗りくださいませ」と言った。
仕方がなくディーデリヒ様の対面に乗る。
「そっちは進行方向と逆なのでこちらに」
ディーデリヒ様は自分の横を指さす。
悩んでいたけれど外を見るとフェリクス様は私たちの様子を見ている。
外は相変わらず雨だ。
徐々に雨脚が強まっている気もする。
濡れながら見送りの準備をしている状況を見て私は何も考えず、ディーデリヒ様の横に座りなおした。
馬車の扉は閉められて、馬が走り始めた。
貴族の馬車は嫌な揺れが少なくてふかふかの座面と適度な温度でとても暖かい。
そのためすぐに私は眠くなってしまった。
「しなくてはいけない話が沢山あるけどそれは屋敷についてからにしよう」
ディーデリヒ様はそう言うと私の頭をそっと撫でた。
頭を撫でられると眠さが増すという事を私はその時初めて知った。
うつらうつらしながら馬車は進んでいる。
途中で何か暖かいものをかけられた気がした。
あたたかな感触の中私は眠りに落ちていった。