第四話「『好き』って難しいな……」
十三時六分。
マディソンは、親友カレンのアパートの部屋でミニトマトのプチカプレーゼを口に入れながら、お喋りを楽しんでいた。
昼から酒が飲める休日、最高だ。
しかも第二の自分の部屋と言ってもいい寛げる場所で、気の置けない友人と飲めるのだ。
これが楽しくないはずがない。
三か月に一度は集まろうと話していた女子会のメンツは、年々減っていった。
帝都にやって来た時のメンバーは八人の大所帯だった。しかし、メンバーは今や二人だけ。
いわずもがな、マディソンとカレンの二人だ。
「とりあえず、隊長さんと付き合っちゃえばいいのに、真面目ねえ」
出た、カレンの『とりあえず付き合えばいいのに』。
マディソンは過去三回、この言葉に従った。
そして、振られた。
皆、「思ってたのと違った」で、マディソンを振るのだ。
「マディ、一見イイオンナだもんね~」
「悪かったわね、じゃじゃ馬で」
「え~? 私そんなこと言ってないのに、被害妄想なマディって可愛くな~い」
カレンこそ、このおっとりした口調で相当な毒吐きである。
学生時代から彼女に口喧嘩で勝った者をマディソンは見たことがない。
「ねえ、隊長さんには『じゃじゃ馬』なマディ見せてるんでしょ~?」
「……まあ、そうね」
「で?」
「『で?』って?」
カレンが、「ああ!」と舞台の上にいるかのように大袈裟な嘆きの仕草をする。
はいはい、始まった、始まった。
部屋飲みの彼女は、酒が回るのが早い。
まだボトル半分も空けていないのに、これである。
「『覚悟しておけ』って、言われたんでしょ? その後どうなってんの~?」
当たり前だが、声真似できてないカレン。
似てないのは彼女がフロイドと面識がないからだ。
きっと面識があったら真似できていただろう。声真似は彼女の特技だ。
「何もないわ。普段通り」
嘘ではない。あれから、拍子抜けするくらい何もない。
やはり揶揄われただけなのだろう。
「二人っきりでも?」
「二人っきりでも」
「何も?」
「何も」
「オフィスラブは?」
「ないわね」
「ふうん?」
手酌でワインボトルを傾け、カレンが考え込む。
マディソンは、野菜スティックにヨーグルトを使用して作ったディップを付けて齧った。
最近食べ癖が付いてしまったので、ダイエットしなければいけないが……食べたい。なので低カロリーで美味しいレシピを模索中だ。
今回のディップはまあまあ美味しい。でも高カロリーの市販のディップはもっと美味しいと思う。
「やるわねえ、銀狼」
何がだ、酔っ払い。
マディソンは、空になったボトルをテーブルの端に寄せて親友の言葉の続きを待つ。
「びくびくして巣穴に籠ってる獲物が、巣穴から出てくるのを待ってるってところかしら? や~らし~男~!」
意味が分からない。
カレン先生の恋愛講座はレベルが高過ぎて、マディソンにはさっぱりである。
詳しく聞いてもどうせ分からないので、驚いた顔に神妙さと納得した様子を折り混ぜて二、三度頷いておく。
これで有難いカレン先生の恋愛講座、強制終了だ。
とりあえずも、何も、あるものか。
マディソンはフロイドの何人もいる恋人の中に納まりたくない。
「──あ、カレン」
マディソンは、今の今まですっかり忘れていたことを思い出した。
「第一支部の男と異性間交流食事会しない?」
「え~? 何いきなり~?」
始まりは、エイダン・マゼロが婚約者だと思っていた女性に振られたことである。
このエイダンという男、第一支部の男にしては珍しく誠実な男でマディソンが軽蔑していない数少ない貴重な人物だ。
真面目で面倒見も良い彼は、後輩達にも慕われていて第二番隊の副隊長を務めている(フロイドよりよっぽど隊長らしい)。
その彼が、訓練中に怪我をした。
その日のエイダンは口数が少なく、どこかぼんやりしてマディソンは怪我をした彼に理由を聞いた。
もしかしたら、引き抜きがあったかも知れないと踏んだのだ。
三十三歳で、実力があり、人望もある男だ。
そろそろ隊長格の話があるのでは? と思ったのだ。
正直、彼に抜けられては痛い。
やんちゃな新人が、どこぞの第三番隊と喧嘩をした時に止められる人物は少ない。
レイがもし本気で暴れた時に止められるのは、第二番隊の中ではフロイドとエイダンだけだ。
レイはフロイドを「化物」と呼ぶが、マディソンからしたら言うことを聞かないレイの方が化物である。
エイダンは、長の器の男だ。
フロイドに反対されるのであれば、エイダンの味方になろう、と意気込んだ。
しかし、エイダンの話はマディソンの思っていた内容ではなかった。
『僕の婚約者が……いや、婚約者だと思ってた女性が、親友の子供を身籠ったんです』
マディソンはエイダンの話を聞いて泣いた。
可哀想過ぎないか……エイダン。
その後、泣いてるマディソンを見て動揺しまくったフロイドの話は伏せて、哀れなエイダンの話をカレンにした。
「ばがぜで。いいおんばのご、じょうがいずるば」
親友は滂沱の涙を流して鼻をかんだ。
涙脆い女だ。
「ありがとう、カレン」
マディソンは、思い出して良かったと安心しながら新しいワインボトルを開けた。
次は赤だ。
つまみに揚げた鶏肉が食べたいけど我慢。
ダイエットって辛い。
新しい靴よりも、食べても太らない体が欲しい。
◇◇◇
「俺も行く」
「ダメです」
なんで、お前も来るんだ。
合コンに、顔面偏差値を驚異的に突き破っている男が来たら、エイダンがもっと可哀想なことになるのになぜ分からないのだろうか。
「だってマディも行くんだろ?」
「ええ、幹事ですからね。でも隊長はお留守番ですよ」
諭すように言ってみる。
「俺も行く」
めげないフロイド。
「我儘言わないでください。ね?」
優しく言ってみる。
「嫌だ、行く」
──ちょっと可愛く見えてきた……本当に、重症だ。
フロイドの後ろで、新人の二人が震えているのが見える。もちろん笑い過ぎで震えている。
フロイドに振り回されているマディソンを笑っているに違いない。
「絶対に行く」
「……仕方のない男ですね」
この駄々っ子(二十八歳)どうしたらいいのだろう。マディソンには分からない。
カレンの連れてくる女の子達が、この顔に騙されない者であることを祈るしかない。
「グレインジャー、オリバー、笑い過ぎ!」
もうこいつ等に、『君』付けなんてしない。
クソ餓鬼共め。
結論から言うと、フロイドの一人勝ちにはならなかった。
参謀策士な恋愛講座の先生(自称)のカレンが、サングラスとマスクとキャップを用意していたからだ。
さすがカレン先生である。
これにより、参加前から死んだ魚の目をしていた第二番隊の男達の目が生き返った。
ただし、エイダンを除いてだ。
彼の目はあの日から、ずっと死んでいる。
お店は、個人経営のお洒落なカフェバーを選んだ。貸し切りにした。
予算オーバー分は、当然フロイドに出させた。
女の子達の目がギラギラしてるし、第二番隊の若手の目もギラギラしていた。
マディソンは「ここが噂の戦場か」と呟き、変装で怪しくなって話しかけられないフロイドと一緒に隅っこに逃げた。
二十二時十九分。
マディソンは、海老のマカロニグラタンを、ふうふうと冷ましながら食べていた。
ダイエットは明日からすることにしたのだ。
だって、ぷりんと大きい海老が、大好きなクリームソースの中から、マディソンに『こんにちは』しているのだ。
お口の中にお迎えしなくてはいけない使命感が沸き上がるのは、おかしいことではない。
それに、女の子達に笑顔を向けているのは、外面だけの野郎共だ。
中身を知っているマディソンは、食事しか楽しめることがない。
「ヴァルコン隊長、何見てるんですか?」
「グラタン食べてるマディ、可愛いなって」
「………………取り分けます」
「ありがとう」
顔が見えなくても、威力があるのはなぜだ。
声か、声なのか、いい声だからか?
「あ、マスク取るなら、こっちに移動してください」
店の中で散り散りになっている男女組に、フロイドの顔が見えないようにしなければいけない。
「隣、いいのか?」
「いいえ。私が隊長の席に座ります」
動いた時、エイダンがカレンとカウンターの端の席で話しているのが見えた。
エイダンが何か言って、カレンがくすくす笑っている様子を見て、口元が緩む。
エイダンははっきり言ってカレンの好みのタイプだ──強くて優しい力持ち。そして誠実な男だ。
「ほん……っとに、つれない」
溜めたなあ、と思いながら席を交換した。
「なあ、マディをつるには、どうしたらいいんだ?」
「そうですねえ、魚扱いをやめてはどうでしょうか」
「まさか。そんなこと、してない」
そう言ってフロイドはサングラスを外した。
「どうだか」
「してない」
あまり真っ直ぐ見ないでほしい。
マディソンはこの目に弱い自覚がある。
「そうですか?」
「してない」
視線は彼の目から外して、カウンターの方へ移す。
カレンの目がロック・オンしてる気がする。
「私は、遊びには……向いていないかと、思うんですけど」
「本気ならいいんだろ?」
「……酔ってますか?」
「質問に質問で返すな、酔ってない」
「それ、命令ですか?」
この質問に、フロイドは眉を顰めた。
怒らせてしまったかも知れない。
でも、むしろ怒ってほしい。
そして、もう構わないでほしい。
「……言うねえ」
「ええ、まあ」
フロイドと話すのは楽しい。
まず外見がタイプだし、打てば響く会話だし、何よりマディソンを「可愛い」と言う。
マディソンは、自分がチョロい自覚も、ちゃんとある。
あと三年若かったら、きっと──『きっと』、何だ。
危ない。
自分は今、酔っていて正しい判断ができない。
こういう時、カレンなら『とりあえず試す』だろうけど、マディソンは無理だ。
フロイドのことを愛してしまいそうな予感がする──こんな予感ほど、よく当たるものだ。
マディソンは、愛した男を他の女と共有することはできない。
自分だけ選んでほしいなんて、青臭いことを思うからではない。
そんなことどうでもいい。
嫉妬して醜い自分を見せることが嫌なのだ。
こういうところが可愛くないのは分かっている。
それこそ自分が一番知っている。我ながら、大層な矜持だ。
でも捨てられない。
縋り付いてみっともない姿を見せるなんてできない。
──そんな姿を彼に見せるくらいなら、死んだ方がマシだ。
「飲み直さない?」
二人で、という意味なのは、すぐに理解した。
ラストオーダーの次にあるのは、会のお開きだ。
しかも明日は休みだ。
「ヴァルコン隊長、私……」
行きたい。
まだ、帰りたくない。
一緒にいたい。
──答えなんて、最初から決まってる。
「行きません」
モテる彼のことだ、マディソンの気持ちなんて最初から気付いていただろうに、悪趣味な男である。
「そろそろ、私の反応で遊ぶのはやめてください」
そして、マディソンも大概に趣味の悪い女だ。
──こんな男が好きなんて、どうかしてる。
「も~~! 泣くくらいなら、行けば良かったのに。……馬鹿ねえ」
カレンが呆れた声で言って、マディソンの手を引く。
「……副隊長はいいの?」
「長期戦でいこうかなって思ってるの。作戦練らなきゃいけないから付き合ってよ」
「嘘ね、カレンはいつも作戦なんて練らないもの」
「私だって、たまには作戦くらい練る……」
「そう?」
「そう!」
人にはあれこれ言うくせに、自分が好きになったら小細工なんてしない。
だから、マディソンはカレンが大好きなのだ。
◇◇◇
「フロイド隊長、振られました?」
「エイダン……お前、あの美人と帰ったんじゃなかったのか?」
「帰ってませんね」
「嘘だろ? 絶対いけたぞ。最後の最後で何かやらかしたか?」
「隊長は……ちょっと、あれですよね」
エイダンは酒のせいか、フロイドに呆れを隠せない。
カレンとは、今度の休みの昼間に会う約束をした。失恋したばかりだが、彼女との会話がとても楽しかったので、誘われて承諾した。
恋愛云々とかの、そういう気は今のところ自分にはないのだが、もっと彼女と話したいと思ったのだ。
しかし、そのことを年下の上司に言うつもりはない。
「『あれ』って、何だ」
「ああ、ど阿呆って意味です」
「俺、お前の上司なんだけど」
「でも僕の方が、五年長く生きてますよ。隊長、マディソンのこと好きって言葉で伝えましたか?」
「そんな当たり前のこと──」
言ってない。
そうだ、フロイドはマディソンに一番大事なことを伝えていない。
なのに、「飲み直さない?」なんて誘ってしまって、きっと彼女は……。
「じゃあ、誤解してるでしょうね、『体目当てだ』って」
「俺、自分から好きって言ったことないかも」
「……そうですか」
温厚なエイダンさえもイラっとさせる言葉だ。
「どうしたらいい?」
「好きだって言えばいいんじゃないですか?」
「……そうか、言えばマディは、俺のところに来るか?」
んなこと、知るか。
エイダンは思った。
碌な恋愛をしてこなかったから、真剣になった時にこんな風に、困ることになるのだ。
エイダンも、人に偉そうにアドバイスできるほど、恋愛は得意でないが、誠実を心掛けてきた。
それにより失敗したとしても、目の前で項垂れている男よりは格段にまともだと思う。
「『好き』って難しいな……」
「何、十代みたいなこと言ってるんですか?」
「第二番隊にいる十代はそんなこと言わない」
「あんな普通じゃない十代と、素直で可愛い十代を同じに見てはいけませんよ、隊長」
「?」
「ああ、あなたも『普通じゃない十代』でした」
レイとナイジェルも、恋愛面に関しては、フロイドより優っている。
レイなんて、来年には父親になる。
あんな感じで父親に……大丈夫だろうか、心配だ。
いや、レイのことは今は置いておこう。
それよりフロイドのことだ。
「そういえば、隊長は今恋人は何人いらっしゃるんです?」
「……かなり忙しかったし、もう三年以上いない。それに、今まで何人もいたことなんてない」
「あー、じゃあそれも言った方がいいです。マディソンは誤解してます」
「誤解? 何のだ?」
「あなたの姉妹様達のことを、恋人達だと勘違いされてますよ」
フロイドには、姉が四人と妹が二人いる。
皆、第一支部に顔を出したことがある──マディソンに、彼女達が血の繋がった存在であることを話した記憶がない。
「俺って、もしかして……マディにゴミクズ野郎とか思われてないか?」
「ようやく気付きましたか」
エイダンは、絶望した男の顔を見て、この人も人間だったのだなあと感じていた。
いつも飄々としている彼が、あの秘書官にだけは表情豊かだ。
「嘘だろ?」
「ご自分で確かめられてはどうでしょうか」
月明かりの下、フロイドの長い長い溜め息が吐き出されていた。