第三話「だ、騙されませんからね」
ある日、帝国陸軍第一支部、第二番隊に衝撃が走った。
「嘘だろ? え、本当に?」
「マジかよ、レイ」
「お、ヘマしたんだな」
「やっちまったなあ」
朝礼を行う訓練場の隅で男達が集まっていた。
真ん中には、新人隊員のレイ・グレインジャーがいる。
さっき、誰かが「やっちまった」と言っていたのを聞いてしまったマディソンは溜め息をグッと飲み込んで衝撃に備える為、空を仰いだ。
「ああ、良い天気」
──レイは、今回は何をやったのだろう。
「テイラー秘書官、おはようございます!」
「……おはよう、オリバー君」
マディソンに挨拶をしてきたのは、もう一人の新人、ナイジェル・オリバーである。
今日も可愛い顔をしている。
頼むから、この可愛い顔でゲスいことを言わないでほしい。ふいに、予告なく出る発言にダメージを受けるのだ。
「ねえ、グレインジャー君が皆に囲まれてるけど、あれ何? 知ってる?」
ナイジェルの返答により、マディソンのこれからの疲れ度が決まる。
つい先日、レイが第三番隊と第四番隊の喧嘩に混じったことは記憶に新しい。なんで大人しくできないのだろうか。
「ああ、レイが──」
ナイジェルの言葉にマディソンは耳を疑った。
「待って! ああ! 今、幻聴が聞こえたわ。彼が『結婚する』って聞こえたんだけど?」
頭を押さえると、ナイジェルが困ったような顔で笑っている。
ああ、やはり幻聴か。今度、耳医者に行こう。
「いや、幻聴では、」
「幻聴じゃねえよ。ほらこれ。披露宴の招待状。式には呼べねえけど、来月の十日だから来いよ」
ナイジェルの声を遮り、結婚する男がマディソンに凝ったデザインの招待状を手渡す。
「はあ!? ら、来月? 十日? なんで!?」
マディソンが叫ぶと、ナイジェルが吹き出した。
「孕んじまって」
「あ、あなたねえ、どこのお嬢さんを……っ!」
しくったなあ、と呟く男をぶっ飛ばしたくなった。孕ませたのはお前だ。
「うるせえな、婚約者なんだからいいんだよ別に。結婚が二年早まっただけだっつうの」
「こ、こん!? い、っ……え!?」
衝撃を受けすぎて、言葉にならない。
婚約者なんていつできたのか、彼はまだ十八歳で、軍学校は寮生活だった。どうせ抜け出していたとは思うが……。
「婚約期間が十年だしな。まあ、よく我慢できたと思う。俺は偉い。そう思うだろ?」
「はあ? 軍学校を卒業まで我慢できなかったくせに何言ってんだ」
ナイジェルが呆れた顔で言うと、レイは彼を挑発するように、にやりと笑った。
──その瞬間、マディソンはレイが何のマウントを取ったかを感じ取った。
「あら、そうなの?」
マディソンの声に、ナイジェルは顔を顰めた。
「テイラー秘書官、何がですか?」
「いいと思うわ。人それぞれだもの、うん」
「…………レイ、死ね」
「うるせえ、腰抜け」
「こらこら。二人共、仲良くしなさいね」
年相応のナイジェルに、マディソンは少しだけ癒された。
しかし、癒された心はすぐに荒らされた。
レイの一言によって。
「で、秘書官は隊長といつ結婚すんの?」
「しないわよ!」
この、クソ餓鬼……敬語を使え。
「ああ、聞いたよ。レイが結婚するんだってな」
慌てているマディソンとは違って、フロイドは落ち着いている。
「第二番隊を空にする訳にいかないから隊員半分は留守番で、あとの半分は披露宴に出席させることにしたんだ。第一番隊と第四番隊も半分呼ぶ」
「え! そ、そんなに参加するんですか? 第一支部にそんな規則あります? というか、第三番隊は……あ、はい。呼びませんよね」
軍学校時代の友人も呼ぶと聞いたし、次代グレインジャー当主の彼はそうでなくても招待客が多いのに、第一、第二、第四番隊まで参加するとなれば相当な人数になりそうだ。
いくら高給取りとはいえ、そんな人数を参加させる金が新人の年若い男にあるのだろうか。
もし、これが第一支部の規則ならば、結婚率の低さに納得だ。
「いや、違う。レイは特別」
「グレインジャー君が……特別?」
彼は確かに『特別』だ。
敬語を使用しなくても先輩に怒られないし、十八歳にしては貫禄がある。
妙に『特別』であることに納得していると、フロイドが「違う」と否定してきた。
「あいつの嫁さんになる子、お嬢様でさ」
「お嬢様?」
「キングストン家のお姫さん」
「え!? キングストン!? って、あの超セレブの?」
キングストン家。
名前からも分かる通りの大、大、大、大富豪。
最近、次代当主が新しい事業を起こして大変話題になっている。
「そう、そのセレブ。だから招待客たくさんって訳」
「レイ・グレインジャー、恐ろしい子……」
誇り高きグレインジャー一族の生まれで、しかも由緒正しきセレブのお嬢様と結婚するなんて……やっかまれて当然だ。マディソンですら嫉妬を覚えてしまう。
世の中は不平等だ。
超絶問題児の婚約者は、どんな子なのだろうか──高慢ちきな女の姿が目に浮かぶ。
『第一支部の暴君』なんて渾名がさっそく付いた新人と、豪然たる我儘お姫様とは、実にお似合いなカップルである。
ぶっちゃけると、会いたくない。
自分本位な小娘におべっか使うなんてまっぴらごめんだ。
「あのぅ、私も、お留守番したいです」
マディソンが、おずおず挙手して言うと、フロイドが「仕方ないなあ」と笑う。
「……え、優しい」
思わずときめいてしまう笑顔だ。
しつこいようだが、この男、顔(と体と声)だけは国宝級である。
「ダメに決まってるだろ?」
おおおい、何が「仕方ないなあ」だ。ときめきを返せ。
「なんでですか?」
「だって、俺のパートナーとして行くって決まってるから」
そんなこと、マディソンは聞いてない。それに許可も出していない。
「まあ、今決めたんだけど」
「隊長……パートナーとして参加する意味が分かりません」
マディソンの言葉に、フロイドが微笑み返す。一体いくつ笑顔の種類を持っているのだ、この男は。
最近では、この笑顔をナイジェルが真似しているのだ。彼がどこでどのように使うつもりなのか心配で仕方がない。
まったく教育に悪い男だ。
「なんで分かんないかな、俺の秘書官なのに」
「私は、第二番隊の秘書官です。あなただけの秘書官ではありません」
「あははは」
「笑ってないで、理由を教えてください」
「俺、『今一番結婚したい男』なんだって」
そう言って、彼がマディソンに渡してきたのは大嫌いなゴシップ雑誌だった。
第一支部に配属された時、マディソンを『現代のシンデレラ』と称した先駆けだ。
開かれたページには『今一番結婚したい男、フロイド・ヴァルコン隊長』と書かれている。
帝国中の女達は騙されている──この男、淑女殺しにつき、近寄るべからず。
「これが、何なんですか? 自慢なら結構です」
「つれないなあ」
「理由を教えてくださいと申しました」
「だってレイの結婚式に俺一人で行ったら、捕まるだろう?」
「……」
捕まるって何にだ、肉食淑女様にか。
「捕まってもいいのでは? 隊長もこれから出世をするつもりなら、結婚は悪手になりません」
むしろ、結婚で評価が上がるだろう。
ついでに哀れな女も減るし、いいこと尽くめだ。
さっさと結婚してくれれば、こちらもいちいち心を掻き乱されることもなくなるだろう──いや、別に常に掻き乱されている訳ではないけれど。
「はあ、俺の秘書官が本当につれない」
「だ、騙されませんからね、そんな顔しても……」
そう、騙されてなるものか。
母性を刺激する悲しそうな顔なんて──いけない。
長い間見てはダメだ。
こういう時は、薄目で対応しよう。
「俺を守ってよ、マディ」
……騙されるな、マディソン・テイラー、この男は──
◇◇◇
「……セレブ、凄……っ!」
語彙力は死んだ。
本日、ホテルプラザ・リッチモンド──帝国一のホテルを貸し切って行われるのは、レイ・グレインジャーとニコル・キングストンの結婚披露宴。
結婚式は伝統を重んじ、親族だけで執り行われたのだ。一般人なら、「低予算式」と呼ばれる結婚式もキングストンのご令嬢が行うと途端に『伝統』になる。
しかし、その反動なのか、披露宴はど派手だ。
会場内は流行りのパーティースタイルで皆が自由に過ごしている。祝いとは表向きで楽しむ人間も少なくない。
「金かかってるなあ」
マディソンの横にいるフロイドが感心したように言う。
ミッドナイドネイビーのスリーピースが死ぬほどよく似合う。
でも、マディソンの気持ちは『こんな男の隣にいたくない』である。
肉食淑女様がマディソンを睨んでいる。
さっと視界から外した瞬間からどんどん入り込んでくる。怖い、まじで。
代わってほしいって? 是非とも代わってやりたい。
しかし、マディソンの腰ががっちり掴まれていて逃げられない。
こうなったら、酒と食事を楽しんでやるとマディソンは思った。
何が入っているかよく分からないお洒落なオードブルをつまむ。
食べても何が入っているのか分からなかったが美味しい。高級な味がする。何だ、これ。
もぐもぐしているマディソンの横では、どこかで見たことのある美人な女性(多分、舞台女優)がフロイドにべたべたしている。
彼が助けを求めるように、ちらちらこっちを見てる雰囲気を感じるが、見ない。見ないったら見ない。
マディソンは、色鮮やかなカクテルを口に含みながら、遠くで挨拶回りをしている若い夫婦を眺める。
先ほど挨拶してきた本日の主役、十七歳の新婦ニコルは、マディソンが思い描いていた高飛車なお嬢様などではなかった。
大変育ちの良い、可憐な美少女だった。
そんな彼女がなぜあんなクソ餓鬼を選んだのかと信じられなかったが、それよりも、あの暴君が彼女をずっと気遣う様子の方が信じ難かった。
どうやら、レイの方が彼女に夢中なようだ。
二人は幼馴染で結婚である。
まるで少女向けの恋愛小説の主人公のような二人だ。
しかもどちらも顔が良くて家柄も良い。来年あたり物語として発売されそうだ。
難癖付けるならレイのクソ生意気な態度だが、悔しいことに奴には実力がある。遺憾だ。
マディソンは、二つ年上の幼馴染のデイビットを思い出した──いや、彼の顔は思い出せないし、傷付いた辛い気持ちも今は全くないのだが、若い夫婦を見て少しだけ……ほんの、少しだけ感傷に浸った。
「ひどいじゃないか、マディ!」
マディソンを感傷の池から引っ張り出したのは、情けない顔をした上司だった。
どうやら、肉食淑女様は自分で追い払ったらしい。
自分でできるならマディソンは要らなかったのでは、と思ってしまう。
「お前、本当何なの?」
「秘書官ですが」
「俺のな」
「第二番隊の、です」
「手強いなあ」
フロイドの琥珀色の瞳がマディソンを射抜くが、こういう時こそ薄目になろう。見てはいけない。
「ヴァルコン隊長……」
「名前で呼んでほしいって、前に言ったの覚えてる?」
「いいえ」
嘘だ、覚えてる。配属された初日に言われた。
「マディは今、恋人はいないんだよな」
いない、いないけど──
「わ、私は、あなたと……ヴァルコン隊長とは、そういう関係にはなりません!」
こんな台詞、自惚れているのかも知れない。
でも、それならそれでいい。
マディソンが恥をかくだけだから。
それに、目の前の男はそんな女見慣れている。
「マディ──」
◇◇◇
マディソンは、目の前で顔を真っ赤にしている存在に癒されていた。
「ナ、ナイジェルがお世話になってます!!」
「まあ、可愛い……」
ナイジェルの恋人だと紹介された彼女──ベリルは、女のマディソンも抱き締めたくなるような庇護欲そそる少女だった。
彼が手を出せないはずだ。
納得して、ナイジェルに同情した目を向けると嫌な顔をされた。
若い男を揶揄うのって、最高に楽しい!
「オリバー君、ちょっとだけこの子撫でてもいいかしら?」
「何言ってるんですか? 俺のですよ、ダメです」
「冗談よ」というのが、冗談だ。
あわあわしている少女の頭は撫でた。
だって、可愛いのだから仕方がない。それに、マディソンには至急癒しが必要だった。
青筋立ててマディソンを睨んでいるナイジェルなんて怖くない。
マディソンは、ベリルの手を引いてデザートコーナーを目指すことにした。
一刻も早く、この場から──彼の傍から離れたかった。
後ろから、ナイジェルが何かごちゃごちゃと言っているのが聞こえたが無視した。
ごめん、明日謝る。
だから君の恋人を少しだけ貸してほしい。ちゃんと返すから。
「ははは、やっぱ可愛いなあ、俺の秘書官」
獲物を狙う狼の目を持った男に、ナイジェルは溜め息を吐いた──どうにも自分は巻き込まれる星の下に生まれたらしい。
疲れた心を癒してくれる恋人は、秘書官に連れていかれケーキで餌付けされている。
それは、ナイジェルがするつもりだったのに……おのれ、秘書官め。
「フロイド隊長」
「なんだ」
「テイラー秘書官に何かしましたか?」
「いいや? 何もしてない。まだ」
ならば、何を言ったのだろうか。
聞きたくもないが、巻き込むのだけは勘弁していただきたい。
「隊長のせいで俺のベリルが持ってかれたんですけど……」
「しっかり掴んでないからだろ」
「……いいですけど。俺、『落とせる』方に賭けてるし」
「はははっ」
銀狼は、十も年下の若造に煽られてはくれなかった。
ただ、視界に入れてすらなかったのかも知れない。
彼の目に映っているのは、第二番隊の秘書官だけだ。
◇◇◇
トルタカプレーゼ、スフレ、モンブラン、マカロン、ショートケーキ、チョコレートムース、リンツァートルテにティラミス。おまけにタルトタタン。
一口大の宝石みたいなスイーツ達は、一個一個は小さくてもそれだけ詰めれば満腹である。
そもそもマディソンはダイエット中だったのだが──今は、甘いものを食べないとやってられない。
「マディソンさん、いっぱい食べますねえ」
ピチピチ(死語)お肌のベリルが、きらきらした目でマディソンを見ている。
違う、フードファイトしているのではない。
『──覚悟しておけ』
何が「覚悟しておけ」だ。
クズのくせに。
恋人が複数いる男なんて絶対に嫌だ。
だから、この気持ちは違う。
スイーツが美味しいことが嬉しいのであって、断じて違う。
「あなたは、悪い男に捕まっちゃダメよ?」
この言葉に、ベリルが不安気に後ろにいるであろう自分の恋人を振り返った。
何やら良からぬことを想像させてしまったらしい。
「テイラー秘書官! あんた、ベリルに何言ったんだ!」
「……悪い男に捕まっちゃダメとか、騙されちゃダメよ、とか?」
「ふっざけんなよ!!」
マディソンは後日、ナイジェルにこっぴどく叱られた。
可愛い恋人に泣かれたようだ。……反省。
フロイドとレイは、怒られているマディソンを見て楽しそうに笑っていた。
嫌な男達だ。