第二話「とにかく可愛くて良い子達なの!」
帝国陸軍第一支部、フロイド・ヴァルコン隊長が率いる第二番隊に本日付で新人が二名配属された。
「本日から第二番隊でお世話になります、ナイジェル・オリバーです。よろしくお願い致します!」
「同じく、レイ・グレインジャーです。よろしくお願いします」
十八歳。
この第一支部で一番若い二人だ。
二人は、全然緊張していないように見える。フロイドを前に度胸がある新人だ。
さすが現役合格者。
軍学校から現役で合格したのは、十年ぶりだ。
その十年前の合格者が二人の前で腕を組んでいるフロイド・ヴァルコン隊長、その人である。
「秘書官のマディソン・テイラーです。第二番隊へようこそ。何か、」
「おい、マディは俺の秘書官だ。お前等、迷惑かけんなよ」
マディソンが挨拶している途中で横やりが入った。
目の前の若い二人は表情も姿勢も変えずに揃って、「はっ!」と、良い返事をした。
上司至上主義である。
最低だ、やっぱりこの男はクズだ。
「あの、ヴァルコン隊長はこう言っていますけど、何か困ったことがあったら遠慮しないで聞いてくださいね。私は第二番隊の──あなた達の秘書官ですから」
マディソンが新人達を安心させるように、にっこり笑う。
それに反しフロイドは不機嫌な顔をしている。
「何だよ、お前は俺の秘書官だろ?」
「……新人は分からないことがあってとても不安です。こんな動物園……いえ、怖い顔のお兄さん達に聞き辛いことも、私なら話しやすいかも知れません」
「お前、こんな男前捕まえておいて、よくそんなこと言えるなあ」
捕まえてない。断じて。
「おい、マディ」
変な張り合いをする男は無視だ。
新人に第二番隊の胸章を付けて、ついでに襟を整える。
「甘やかすなよ」
「ですから、甘やかしていません!」
「なあ、俺の襟も直して」
「ご自分でなさってください!」
手伝おうと思っていたデスクの書類の山を指差し、無言で席に着くように促す。
甘やかすな、と言われたので今日一日彼を甘やかさないことにして、挨拶回りをする為新人二人を連れて部屋を出た。
「ごめんなさい。……隊長、今日は新人が来るからって、浮かれてるみたいです」
言いながら、マディソン本人も何言ってるんだと思うが、フロイドの態度を上手くフォローできない。
頭が痛い。
「いえ、気にしていませんよ」
人懐っこい笑顔をマディソンに向けるのは、最終選抜試験で大怪我をしたのにも拘らず受かったというナイジェル・オリバーだ。
暗い緑色の癖のない短髪に、澄んだ夏の青空の瞳を持つ彼は、やや幼さが残る甘い顔立ちをしている。
笑った顔がとても可愛い。
女の子達にきゃあきゃあ言われそうな好青年に見える。
「そう? 本当に?」
マディソンの言葉に二人が微笑む。実に、紳士的だ。
マディソンは感動した。
この二人、良い子過ぎでは……?
「はい、それに……僕達はこういうことは慣れているんです」
慣れている──この言葉に胸が締め付けられる。
所謂、『出る杭は打たれる』ということだろう。
彼等は目立つ……どれくらい打たれてきたのか。
ナイジェルに「なあ」と同意を求められた、期待の大金星ことレイ・グレインジャーが頷く。
軍人一族グレインジャー家の一人息子である彼は、きっとナイジェル以上にやっかみや嫉妬を跳ねのけてきたのだろう。
硬そうな黒髪に吸い込まれそうなモスグリーンの瞳が、意志の強そうな凛々しい顔を引き立てている。というか本当に十八歳なのだろうか、色気が凄まじい。
ナイジェル以上に、モテそうだ。
「じゃあ、改めてよろしくね、グレインジャー君、オリバー君」
「ええ、頼りにさせていただきます。……あと僕のことは『レイ』と呼んでください、マディさん」
「え?」
レイが握手を求めて、手を差し出す。愛称呼びに反応が遅れた。
「マディソンさんみたいに優しい人が秘書官で心強いです。僕のことも気軽にナイジェルって呼んでくださいね!」
レイに注意するべきか悩んでいるうちに、ナイジェルからも握手を求められた。
「お、おおぅ……」
レイの妖艶な笑みと、ナイジェルの眩い笑み──コントラストで目がちかちかする。
◇◇◇
「──十八歳の新人が来たの」
二十時三十六分。
小洒落たバーのカウンターでギムレットを傾けながら、マディソンは親友のカレンに新しく入った二人のことを話していた。
「や~ん、羨ましい~! 私も将来有望な若い男とお喋りした~い」
「あのねえ、私はお喋りじゃなくて仕事してるんだけど?」
「ふふふ、ね、年下の二人のどっちかに恋とかは、」
「ない」
カレンの言葉をぴしゃりと遮って否定する。
大体、いくつ離れていると思っているのだ。
七歳だ!
「二人は弟みたいなものよ」
「ふうん? 私、その『弟みたいな』『妹みたいな』って言葉嫌い」
妹みたい、と言われて振られたのはマディソンなのにカレンの方がトラウマを持ってしまったようで申し訳ない気持ちになる。
この親友は、妙に繊細なところがあるので傷を作りやすい。
「とにかく可愛くて良い子達なの!」
「良い子だって。やだぁ、笑っちゃう~」
「酔ってるのね? マティーニなんか飲んでるからよ」
「ふふふ」
マディソンの言葉にカレンは、にい、と口角を上げた。
「マディってば。ほ~んと、赤ちゃんよね~。第一支部の男が『可愛くて良い子』のわけないじゃな~い」
「そんな子もいるわ」
「はあ、私の可愛いマディが心配~。こんなに純粋でどうしようかしら?」
心外だ、マディソンは赤ちゃんでも純粋でもない、いい大人だ。
◇◇◇
「おい、聞いてんのか」
どこの破落戸だ。この野郎──第三番隊の若手である。
絡まれた。しかも面倒臭い人物に。
本当に第一支部所属なのだろうか。
第一支部はコネが許されないが、こういう時には疑ってしまう。だって彼の実家は金がある。
「すみません」
脳内で、すでに三発殴った男に言葉ばかりで謝る。
やや反抗的な態度を取ってしまったが、女に手は出さないはずだ、多分。
「なんだ、その態度は」
「……」
マディソンは言い返したいのを我慢している。相手も、それを分かって煽っている。
長引くと、帰る時間が遅くなる。月末以外は定時で帰りたい。
それに、フロイドから仲裁禁止命令の他に、喧嘩禁止命令も出ている。
上司の命令は絶対。これに、不満は……あるにはあるが仕方ない。
彼はマディソンを心配して言っているからだ。
「おいこら、ヴァルコンの犬」
男の手がマディソンの肩にかかった。
誰が、犬だ。誰が!
マディソンはこめかみがぴくぴくしてきた。ブチ切れそうだ。
第三番隊の連中ときたら、ぎゃんぎゃん吠えなくなったマディソンを揶揄って遊ぶのだ。
いや、これ、もう怒っていいのでは?
「あんた達ねえ……」
マディソンが拳を作った時だった。
「──マディソンさん、大丈夫ですか?」
にこりと笑うナイジェルが、マディソンの肩にある手を払う。
ナイジェルの後ろにはレイもいる。
「……ん? お前等」
第三番隊の男の口元が歪む。
ああ、嫌だ。
「彼等は、第二番隊に新しく入った子達です。さきほどは反抗的な態度をしてしまって申し訳ございません、許していただけませんか」
「いいや、許さない」
最悪だ。
ターゲットが新人に移った。
指導と言って、ぼこぼこにするつもりなのだろう。男の後ろには三人いる。私刑をするつもりだ。
言わなくても、目を見れば分かる。
「ダメです!」
「黙れ、秘書官ごときが。よし、新人二人はちょっと来い。お前等んとこの秘書官の落とし前つけてもらう」
「ちょっと! 私の後輩よ! 勝手は許さないわよ!」
「第一支部の後輩だろ? じゃあ俺の後輩だ」
「だとしても今、この子達は関係ないでしょ!」
「おい、どけ!」
「嫌よ!」
ヒートアップして男がまたマディソンの肩に手を──かけられなかった。
ナイジェルがマディソンを後ろに引いたからだ。
「別にいいですよ。慣れてるって言ったの覚えてませんか?」
「でも……!」
ナイジェルは慣れていると言うが、ここは軍学校ではない。
新人二人がぼろ雑巾みたいになる未来しか見えない。
「『力が強え奴が偉い』だったか?」
「ああ」
「軍学校にはねえ規則だ」
「おう」
「ここのが分かりやすくていい」
「だな」
レイの楽しそうな声に、同意するナイジェル。
「えええぇ?」
おい、男子共。
その好戦的な目をやめろ。今すぐやめろ。
そして、そんな規則は第一支部にはない。
第二番隊だけの非公式で非公認の規則とも呼べないフロイドが勝手に言っていることだ。
「ちょっとぉっ! やめなさい!」
結果は惨敗だった──第三番隊の若手の面々が。
「ご指導ありがとうございました、先輩。さすが、お強いですね」
「ナイジェル、どこに強え奴がいんだよ。……おいおい、まだ頭が高えよ。地面にめり込むつもりで擦り付けろ、カスが」
眩暈がする。
マディソンの目の前にいるのは可愛い後輩……え、可愛くない。返り血が付いてるし、全然可愛くないのだが。全く以て可愛くない。
大事なことだから三回言った。
やっぱりもう一回言う、可愛くない!
四対二──レイが三人、ナイジェルが一人、地面に沈めているのを見ていたマディソンの口はぽかんと開いている。
「ちっ、クッソつまんねえ。第一支部も、大したことねえな」
「そう言うなよ。こいつ等は一番下の雑魚な奴等だろ──ですよね、マディソンさん?」
舌打ちしたレイをナイジェルが宥め、マディソンに質問を投げる。
彼が「一番下の雑魚」と言ったのは、第一支部三年目の男達だ。
第三番隊には、今年新人が入ってないので、彼等が第三番隊で一番の下っ端ではあるが……。
「二人共!ちょっとこっちに来なさい!」
「あれ? 何ですか、その顔。説教なら違うんじゃないですか? こいつ等ボコったのはマディソンさんを守ったってことで、俺とレイはお咎めなしです。つうか、怒られるとしたら、ここに転がってる奴等だと思いません? だって、こんなに強いくせに入ってきたばっかの弱い後輩に指導してくれたんですから」
誰だ、ナイジェルを『笑った顔がとても可愛い好青年』などと思ったのは──マディソンである。
しかし、今の彼の目は笑ってない。
しかも一人称が『僕』ではなくなっている。猫を被っていたようだ。
ショック過ぎる。
レイはといえば、笑顔を完全に消したつまらなそうな顔だ。
マディソンをじっと見ていたかと思えば気怠そうに口を開いた。
「マディさんは、隊長の女なんすか?」
「はあ!?」
何言ってるんだ。
「ちっ、外したか」
「レイ、だから言ったろ? 絶対違うって」
「うっせえ」
「俺の勝ちだな」
こいつ等、賭けてやがった。
よりによって、あんなクズの上司と恋人かどうかという賭けを。
「……この悪餓鬼共めぇ……」
マディソンの怒った顔に、新人二人はにやりと笑った。
カレンの言う通りだったとマディソンは思った。
第一支部の男が、良い子のわけがないのだ。
◇◇◇
「ヴァルコン隊長は、知ってたんですね?」
書類仕事を放り出して訓練場にいたフロイドを回収した道すがら、マディソンは文句を言う。これが言わずにいられるか。
「ん? 何を?」
あの二人が軍学校の規則を変えるほどのやんちゃ坊主達だということを、フロイドはもちろん知っていた。
怖いもの知らずの天下の二人組をまとめて隊に貰ったのはフロイドなのだ──だって、自分が一番だと思っている若く愚かな者の自尊心を折ってやるのは、最高に面白そうではないか。
それに、あの二人は折れない。
将来、あの暴れ者達を手懐けて、もっと上に行くつもりだ。
あいつ等は育てれば絶対に化ける。
「ああ、もう! その顔に騙されませんから! あの二人のことですよ! 良い子達だと思ったのに、とんだクソ餓鬼じゃないですか!!」
フロイドのすっとぼける顔に、優秀な秘書官は騙されてくれなかった。
「あはははっ! お前って、本当に──」
腹を抱えて笑うフロイドに、マディソンの怒りは爆発寸前だ。
「『本当に』、何です!?」
「本当に──可愛いなあって、俺の秘書官」
「……な……っ!」
マディソンの動きがぴたりと止まる。
ほら、こういうところが可愛いのだ、彼女は。
本人は自分を大人の女性だと思っているが、全くそんなことがない。少し心配になるくらい純粋だ。
「……私のこと、揶揄ってますね?」
「ああ」
でも嘘ではない。
それに面白いし、やっぱり可愛い。
ぷりぷり怒る秘書官のご機嫌を取る隊長──その後ろの訓練場には、新人二人がぶっ倒れていた。
第一支部を舐め腐っていたレイがフロイドに指導鞭撻を願ったのである。
ナイジェルも、ついでにがっつり指導された。
「クソがぁ……」
はっきり言ってレイは、自分より強い人間は自分の父だけだと思っていた。
それだって、父はレイの癖を熟知しているからだ。
初見相手なら今までどんな相手にだって勝ってきた。五人までならレイ一人でどうにかできた。
なのに──
「あんなに強えなんて化物かよ」
「銀狼だっけ、あの人……あー、痛え……最近ようやく傷塞がったのに……俺、完全に巻き添えじゃん……レイ、いっぺん死ねよ」
「うるせえ、お前が死ね。──つうか、あの秘書官、やっぱ隊長の女だったじゃねえか、金返せ」
「はあ? 秘書官、否定してたじゃん」
「でも、隊長言ってただろ」
「まだってことなんじゃない?」
『マディのことは、「テイラー秘書官」と呼べ。これは命令だ』
命令をそこで使うのか。
恋人でもない女に。
フロイドは、独占欲丸出しだった。
「はあ、ムカつく。絶対あの男の年より先に、隊長格になってやる……クソッ」
「頑張れ、俺は巻き込まれなければいい。……なあ、次の賭けは隊長が秘書官を落とせるかにしないか?」
「『落とせない』方に賭ける」
「次も俺が、勝った……って、ヤバい……傷、開いてる」
部下達が賭け話をしている時、件の隊長は機嫌の直らない秘書官に怒られながら書類をやっつけていた。
秘書官の怒らせ過ぎは注意だ。
翌日、マディソンは新人達から思いがけない挨拶を受けた。
「「おはようございます、テイラー秘書官」」
「おは、よ……んん??」
頭に浮かぶのは、お馴染みの疑問符だ。
昨日まで、ファーストネームと愛称呼びをしていた後輩達が……なぜ?
「え、え? どうしたの?」
「『力が強え奴が偉い』ってことです、テイラー秘書官」
「え?」
「そういうことです、テイラー秘書官」
どういうことなのか。
頼むから帝国語を話してくれ(話してる)。
「というわけで、俺のことは『グレインジャー』と呼んでください」
「え?」
レイって呼べって言ったのに。
「俺のことは『オリバー』でよろしくお願いします」
「ええ?」
ナイジェルって呼べって言ったのに。
「「『力が強え奴が偉い』です」」
仲良いな、お前等。
「……あっ!」
マディソンは、レイとナイジェルの言葉を聞いてぐるんと勢いよく後ろを振り向く。
「──隊長ですね?」
そこにいたのは、満足そうに笑うフロイド・ヴァルコンだった。