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第一話「何か、怒ってますか?」

 本音を言うなら、後悔は少しだけしていた。

 小指の爪の白いところくらいの後悔だ。


 しかし、後悔とはいつも膨れ上がって、後から押し寄せるものだ。

 もう時間は戻らない。


 握った拳をそっと解いて、白目でぶっ倒れている上司を見下ろし思ったことは──『やっちまった』だった。






 ──頭に浮かぶのは、疑問符(はてなマーク)だった。


「君を帝国陸軍第一支部の秘書官に任命する」

「……はっ、拝命、承りました……?」


 マディソン・テイラー、二十四歳。独身。


 上司を殴って、なぜか栄転した。



 普段から胸や尻を触りまくる上司に、ある日資料室に連れ込まれたマディソンは、やっちまった。

 何をって、そんなもの決まっている。


 正義の鉄槌(てっつい)である。


 急所に六発──股間、鳩尾(みぞおち)、肝臓、肋骨。最後に、顎と額に一発ずつ。

 実に控え目な内容だ。


 マディソンの()()()力では死ぬことはないだろうと、思いっきりやってやった。


 むしろ、殺すつもりでやった。『必殺! 死んじまえ正拳』。

 もちろん上司は死ななかった。運が良い男だ。


 十七部隊のうちの一つ、パンタヴェア隊の事務兼雑務(雑用係)を担当していたマディソンは、後日呼び出しを受けた時、解職を言い渡されるだろうと覚悟していた。


 例え、叱られたとしても、自分は悪くない。

 正当防衛だ。やらなきゃ、()られていた。


 それに、上司にちょっと怪我をさせたくらいなんだというのだ。大体、軍人が女に()されてどうする。


 ど腐れ軍人め、軍人を馬鹿にするな。『弱きを助け、強者へ挑め』の精神をどこへやった。

 軍学校からやり直せ。そして学び直せ。


 マディソンは、どうせ辞めるのだから全部言ってやるつもりだった。

 こちとら、クソな上司のせいで明日から無職だ。

 文句を言っていいはずだ。そうに決まっている。


 言ってやる!


 鼻息荒くして、バターンと扉を開けたマディソンを待っていたのは、予想していたものではなかった。

 誰が予想できようか。


 否、できない。


 簡単に言うと、マディソンの『必殺! 死んじまえ正拳』が評価されたのだ。

 なんだそれは、と思うだろう。マディソンもそう思う。

 というわけで訳が分からないまま次の職場が決まった。

 ちなみにマディソンが殴った上司は免職を食らった。



 帝国陸軍第一支部の秘書官は、帝国中の女達の憧れの職業であると言っても過言ではない。

 いや、過言は言い過ぎた。彼女達は、決して働きたいわけではない。

 第一支部の男に永久就職したいのである。

 彼等との結婚はステータスだからだ。


 あの(・・)第一支部と言ったら軍のヒエラルキー(さんかく)の尖ったところの更に上にある、超花形(エリート)集団だ。


 第一支部の選抜試験は、最終まで残ると二か月かかる。訓練と併せて一日二十時間(四時間睡眠)で行い、食事は携帯非常食のみ。

 選抜の内容はエグいを通り越してもはやグロい。


 精神力面(メンタル)体力面(フィジカル)はもちろん、頭脳、資質がない者はすぐに弾かれる。

 辛い拷問に耐えられるか、三日寝ないで鍛錬ができるか、泥酔した状態で厳しい山を登れるか、雨天時に匍匐(ほふく)前進だけで目的地へ向かえるか等だ。他にも、高さや水への恐怖心の確認や、持力を測る酷過ぎる体力テストがある。


 ぬるま湯の中で生きてきたマディソンには想像もできない過酷なものばかりだ。



 さて、帝国中の夢見る女性(レディ)達から、思いがけずに嫉妬の目を向けられたスーパーラッキーなマディソンは、人々曰く『現代のシンデレラ』だそうだ。


 最初の三日間は、まんざらでもなかった。だってそうだろう、あの第一支部だ。


 もちろんマディソンだって、憧れていた。

 本当は、マディソンは軍人になりたかった。でも、基準の身長と体重を満たすことができず断念し、せめてもと軍の事務員になったのだ。


 こういう経緯から、マディソンは彼等を心から尊敬している。結婚目的の女達と同じではない。

 そして、誠心誠意、国の為、軍の為、働こうと心に誓った。



 ──しかし、新しい職場は動物園だった。



 マディソンが配属されたのは、第一支部のフロイド・ヴァルコン隊長が率いる第二番隊。


 フロイド・ヴァルコンの名は、マディソンも耳にしていた。

 二十三歳の時に、第一支部で隊長格になった異例の経歴を持つ人物だ。


 年上の部下や後輩がいて、若輩だからと見下す者や嫉妬する者に囲まれて、さぞや大変な思いをしているだろう。

 そんな彼の補佐を頑張ろう、と健気に思っていた頃が懐かしい。

 フロイド・ヴァルコン隊長は、マディソンが心配するような軟弱な男ではなかった。


 当たり前だ。


 彼は、実力主義の縦社会を生き抜き、そしてこれからもそこを縄張りに生きていく強者だ。

 フロイドはとにかく規格外に強い。

 おまけに頭も良い。


 そして、顔も良い。


 オリーブ・グレイの髪に、射抜くような琥珀色(アンバー)の瞳を持つ彼はまるで銀狼(ぎんろう)だ。


 屈強な体の男達の中では、それほど目立たない体格をしているが均整が取れているのは一目瞭然で、岩みたいな男共より格段に女受けの良い体をしている。

 さぞや、女にモテることだろう。


 マディソンは、何度か彼の恋人()を見たことがあった。


 第一支部の男なんて皆こんなものだ──モテてて調子に乗っている男が多い。


 こんな奴等に憧れている女性達に告ぎたい。やめておけ、と。

 こいつ等、全員クズだぞ。



『第一支部の銀狼』と渾名(あだな)される若き隊長は、敵が多い。

 なのでマディソンが巻き込まれて、敵と見なされることもあったりする。同じ第一支部の第三番隊の連中がその筆頭だ。

 第()と第()の名をどちらが受けるか、壮絶な……言葉には言い表せない喧嘩(ガチンコ)があったらしく、因縁があるのだ。


 第二番隊と第三番隊の隊員の言い合いに、何度か仲裁したことがある。

 そして一度だけだが、顔に一発食らった。

 それにより脳震盪でぶっ倒れてからはマディソンには仲裁禁止命令が下されている。

 記憶はないが、なかなかに大変な事件だったようだ。


 恥ずかしいので、マディソンは詳しく聞かないことにしている。



 第一支部に来て、なんやかんやともうすぐ半年が経つマディソン・テイラーは、いつの間にか二十五歳になっていた。



「──帝国陸軍第一支部の秘書官は皆が思うより、いいものではないのよ!」


 二十時五十二分。

 話題の海鮮レストランでアクアパッツァをつつきながらマディソンは、親友カレンに愚痴っていた。


「え~、いいじゃ~ん、代わってほし~い。いいなあ、エッチな体の軍人達が見れて。マディってば、女しかいない職場の私に自慢してるでしょ? 嫌な女ねえ」

「だから、そんないいもんじゃないって言ってるでしょ!」


 体が良いのは、認める。

 訓練の後に脱ぐのは目のやり場に困るが、正直言ってあれは眼福だ。


 でも、メリットはそれだけだ。


 彼等ときたら、皆揃いもそろって()が強い。第一支部──いや第二番隊の連中ときたら喧嘩っ早いし、女癖は最悪で、それなのに外面が最高に良いのだ。


 ……詐欺じゃん?


 選抜試験の内容は見直した方がいいと思う。

 来月には、新しい隊員が加わるが……新人にも不安しかない。


「……はあ」

「マディったら溜め息なんて吐いちゃって~」

「カレンも私の立場になれば分かるわ」

「やん、代わってあげた〜い。筋肉触りた~い。いいな、触りまくり~」

「私は触ってないからね?」


 白ワインでご機嫌になったカレンをじとりと睨みながら、マディソンは麦酒(ビール)を呷る。

 親友から自分の愚痴への同意が貰えないことが辛い。


「ここのお店、美味(おい)しいでしょう? 特にこのアクアパッツァ!」

 カレンは、マディソンのじと目を華麗に無視してにっこり笑った。


「そうね、好きな味だわ」

「やっぱり! マディが好きそうな味だなって思ってたの、ふふふ」


 アクアパッツァの魚は毎日変わるそうで、今日はメルルッツォだった。トマトとオリーブオイルで煮込まれたこの白身魚はマディソンのお気に入りになった。


 硬めのパンに、残ったソースを付けて食べるのも美味しい。


 酔っぱらうと話が飛び飛びになるカレンだが、マディソンを元気にしてくれる天才だ。


 化粧品販売店に勤める彼女は今日も綺麗だ。

 緩く巻いている淡い金髪と、紺色のワンピースの濃淡が記憶に残りそうな美人だ。


「ねえ、マディは気になる人っていないの?」


 カレンの質問と同時に、アボカドのサーモン巻きフライが運ばれてきた。


 濃厚なタルタルソースにはチーズが、入っていてカロリーが心配になるが、葛藤の末に我慢できずにたっぷり付けて頬張った。

 カレンはタルタルソースを付けずに小さい口でちまちま食べている。


「わ〜、カロリーって感じの味〜」

 どんな味だ、と思いつつ……確かに『カロリー』な味だ。美味しい。


「そうね」

「あ、話戻さなきゃ。ね、気になる人とかいるの?」

「いないわ」

「即答〜」


 マディソンは、恋なんていつからしてないか分からない──いや、七年も前からしていない。


「……まだ(・・)、無理なの?」

 くい、とグラスの最後の一口を飲んだカレンがふざけた空気を一蹴する言葉を発した。

 綺麗に整えられた眉毛が下がっている。


 マディソンは、そう聞かれても困ってしまう。


 七年前、十八歳の時。

 マディソンには好きな男がいた──幼馴染の二つ年上のデイビッドだ。


 地元の学校を卒業するという時、告白ブームの熱に当てられた。

 そして、恋の話をしてはいけない女──何でも欲しがるコリンナに彼のことを話してしまった。


 これは、マディソンが悪い。

 ずっとうまく隠せていたのに、最後の最後で詰めが甘かったのだ。


 彼に告白をして、「これからよろしくね」と言われたその日に別れを告げられた。


『コリンナを愛してしまった』

 デイビッドに言われた言葉だ。


『妹としてしか見れない』

 では、なぜ告白した時にそう言わなかったのだろう。


 そして、彼の後ろでコリンナがにこりと笑った。その顔に(あざけ)りの色なんてなかった。

 子供みたいな無邪気な笑顔だった。例えるなら、欲しいおもちゃを買ってもらった時の、小さい時の妹みたいな顔だった。


 マディソンに、怒りはなかった。

 仕方ないな、と思った。


 ただ、今目の前で困った顔をしているカレンがコリンナの顔面に『必殺! 死んじまえ正拳』をお見舞いした。コリンナは前歯が折れたが、ちょっとしたキャットファイトとして傷害事件にはならなかった。


 コリンナが、その時何を思ったのかは分からない。ただ、デイビッドとは上手くいかなかった。それもそのはず、コリンナが二か月以上交際を続けられた試しがないのだ。


 デイビッドとはそのまま話もせずに、マディソンは帝都にやって来た。両親の手紙で、彼がまだ独り身だということは知っているが、それだけだ。

 彼とは何もない。気持ちが残っているはずもない。


 そして、恋愛する気が起きない。

 恋愛感情が分からない。


 もう二十五歳だ。誘われてデートだってしたし、男性と付き合った経験だってある。

 でも、皆違った。

 誰でも一緒だった。

 特別な想いはなかった。嫌いではない、それだけだ。


「とりあえず付き合おう」と言われて付き合うが、マディソンの淡白な──嫉妬しない、怒らない、物分かりが良い態度を理由に、相手から別れを切り出される。


 こちらは意味が分からない。


 嫉妬しないことも、怒らないことも、物分かりが良い態度も、全部良いことのはずなのに。


「どうだろうねえ」


 マディソンは残っていたタルタルソースを根こそぎフライに付けて頬張る。

 カレンは、曖昧な親友の返事に「そっか」と寂し気に笑った。






 ◇◇◇


「おはようございます、ヴァルコン隊長」

「おう、マディ。おはよう」


 フロイドは、隊員を全員ファーストネームで呼ぶ。

 そして、マディソンのことを「マディ」と呼ぶ。

 所属されたばかりの時は、驚いた。

 パンタヴェア隊(前の職場)では「テイラー」と呼ばれていたからだ。


 隊長が、そういう感じなので隊員達もマディソンのことを「テイラー」と呼ばない──しかし「マディ」とも呼ばない。

 ここでマディソンのことを「マディ」と呼ぶのはフロイドだけ。


 こんなことでドキドキは……したにはしたが、恋愛まではない。断じて違う。

 こんな男に恋なんてしたら最悪である──顔と体と声が良いが、中身は恋人が複数いるクズだ。


「この書類の(たば)全部、判をお願いします。あと、セッツァー小隊長との、あの……この懇親会って何ですか? これ、経理に出したら怒られます。落ちませんからね」

「やっぱり落ちないか」

「ダメ元で出すのはやめてくださいよ、もう」


 歩きながら、書類の確認をしてもらうのも大分慣れた。

 書類仕事は軍人は苦手な傾向があり、溜め癖があるのが難だ。

 そのせいで月末はかなり忙しくなる。第二番隊の隊員全員が一斉に書類を出すのだ。


「そういえば、第二番隊(うち)に入る新人、(すご)いそうですね」


 マディソンの言葉に、フロイドが顔を(しか)めた。


「凄くねえよ」

「……ヴァルコン隊長? ……何か、怒ってますか?」

「別に」

「そうですか」


 こっちも深追いしない。

 余計な体力を使っていては午前も持たない。気にしてない、の態度で仕事をするまで。


「ええっと、新人の二人が十八歳って聞きました。軍学校から現役(ストレート)で第一支部に受かるなんて……優秀な子達なんですね。ヴァルコン隊長は、」


 ──二人と面識はあったりするんですか?

 と、言う言葉は続かなかった。


 フロイドが不愉快そうな冷たい目で、マディソンを見下ろしていたからだ。

 これは、怖い。


 ゆっくり、視線を前に戻して「良い天気ですねえ」と怖い顔を見ていなかった振りに徹する。


 半年、秘書官をしていても分からないことの一つがこれだ。やめろ。怖いから。


「俺だって」

「はい?」


「十八の時に第一支部(ここ)に入った」

 どうした、いきなり。


「あ、ああ。そうでしたね、ヴァルコン隊長もでした、ね……」

「二十三の時には最年少(・・・)で第二番隊の隊長になった」


 張り合っているのだろうか。

 軍学校を出たばかりの新人(ひよっこ)と?


「……そうですね、凄いですね」

「だろう?」


 十八歳の成人したばかりの子に、二十八歳のいい大人が張り合うな、とはマディソンは言わなかった──いや、言えなかった。


 だって、彼があまりにも嬉しそうに笑うから。

 なんだ、その笑顔は……。


『ねえ、マディは気になる人っていないの?』


 やめてほしい。


 なぜ、今、親友(カレン)の声を思い出すのか。


 違う。

 これは断じて違う。恋なんかではない!


 この日の朝、第二番隊の隊員達はご機嫌の隊長(フロイド)と無表情の秘書官(マディソン)を見たとか見ないとか。



「……ありえない」

 マディソンは、口を動かさずに死んだ魚のような目で呟いた。


 恋をする女の顔ではないことは確かだ。

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