I am “NOT-NTR MAN”!
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あれはまだ俺が小学生だった頃。
家に帰ると、夜だというのに家の中には明かりひとつなかった。
両親はもう寝てしまったのか、それともいよいよ電気代を止められたのか――。
なんとなくスイッチに触れるのがためらわれ、俺は真っ暗な家の中を進み、リビングを覗いた。
「お父さん……?」
窓から差し込む月明かりによって、床に体育座りした父のシルエットが浮かび上がっていた。
「錬蔵か」
力のない父の声。
公園でイマジナリーフレンドと楽しく遊びすぎ、門限を5時間ほどオーバーしたので、怒鳴られるとばかり思っていた俺は拍子抜けした。
だがほっとするより、不気味さが勝つ。
「どうしたの、電気も点けないで。痴呆がはじまったの? ……お母さんは?」
「母さんは、NTRされたんだよ」
「えぬてぃーあーる? ボク小学生だからわかんない」
「父さんやおまえを愛する以上に、別の男の人が好きになっちゃったんだ」
「ええっ!?」
そもそもあの人、お父さんやボクのこと愛してたの!? と当時の俺は驚いた。
「具体的にはナンパしてきたチャラ男とラブホでゴムなしSEXしてその巨根とテクにメロメロになったんだ」
「……ボク小学生だからわかんない。聞こえない」
「父さんみたいな粗チン早漏にはもう指も触れられたくないってさ」
机の上には割れたDVDや離婚届と一緒に、主を失った指輪が無造作に転がっていた。
「ちなみに今回が初めてじゃない。おまえは、実は父さんの子供じゃないんだ。托卵されてたんだよ、俺は」
「托卵? ボク小学生だからわかんない」
「ちゃんと漢字に変換できてるじゃないか」
そして父は家中の窓を閉め切ってガスの元栓を全開にし、睡眠薬入りのウォッカをガブ飲みして手首を切ると首を吊りながら拳銃で頭を撃ち抜いた。
念の入った自殺。よっぽど失敗したくなかったらしい。
つまり、NTRとは、そこまでに人を追いつめるものなのだ。
俺は決して父のようにはなるまい。
愛する者をみすみすNTRされたりしない――たとえ、どんな手を使っても。
-1-
時は経ち、俺は高校生になっていた。
カノジョもできた。陸上部のエースだ。
そんな折、よくない噂を聞いた。
陸上部の顧問を務めるゴリラそっくりの体育教師は、気に入った部員に個別トレーニングと称し肉体関係を迫る悪癖があるというのだ。
実際、その日のうちに、俺はカノジョの身体にベタベタ触る体育教師の姿を目撃した。
いや、早合点するな、と俺は自分に言い聞かせる。
セクハラに見ればセクハラととれるが、指導と言えば指導に思えるじゃないか。
いやらしい目をしているような気もするが、普段からそういう目つきだった気もする。
人を顔かたちで判断するのはよくないことだ。
だがもし、噂が本当で、次のターゲットが俺のカノジョだったとしたら?
俺は父の無惨な遺体を思い出す。
いやだ、あんな末路はゴメンこうむる。
俺は寝取られる男には決してならない。
寝取られない男になってみせる!
俺は件の体育教師を探す。
そして俺は、今まさに俺のカノジョと体育倉庫に入っていく体育教師を発見した。
俺は倉庫に駆け寄って、鉄扉を力いっぱい開け放つ!
「キャー!」
ああ。
そこにあったのは、半裸で抱き合う2人だった。
紛れもない淫行の場。
いけない。このままでは俺も父のようになってしまう。
そうならないための方法はただひとつ。
すなわち――『殺られる前に殺れ』。
「キエエエエエエ!」
俺は隠し持っていたナイフを体育教師の脇腹に突き刺した!
「ぎゃああああ!」
「せっ、先生、しっかりしてください! ひどいよなんてことするの根寅くん!」
あろうことか、カノジョは体育教師をかばい、俺を非難する。
なんてこった……これ、既にNTR済みでは……?
俺にはもう、心を病んで自殺する以外の未来はないのか?
いや。まだだ。まだ大丈夫。
俺は、カノジョの喉にナイフを突き立てた。
そう――NTRされる女がいなければ、NTRされることはない。
俺は自殺せずに済む。
その理論は正しかった。
それから5年経った今も、俺はまだ生きているのだから。
これが、俺のNOT-NTRマンとしての最初の戦いだった。
-2-
少年院を出た俺はなんとか社会復帰を果たし、ある小さな企業の営業マンとして働いていた。
順風満帆といっていいだろう。
仕事はまあまあこなせているし、同僚に引きずられる形で参加したコンパで、3つ年下の女性と交際をはじめた。
順当にいけば、次の春には結婚する。
そんなある日のことだ。
信号待ちをしていた俺は、向かいの歩道を横切っていく婚約者を見つけた。
それだけならなにも問題はない。
問題は、彼女の隣に見知らぬ若い男がいたことだ。
男は平日の白昼堂々、馴れ馴れしげに、我が婚約者の肩に手を回している。
俺は今すぐ横断歩道を全力疾走したい衝動に駆られた。だが弾丸のように行き交う車の群れを突破するのは、平凡な人間には不可能な話だ。
かくなる上は――。
俺は背後のビルに入り、屋上まで駆け上がった。
通勤鞄と一緒にいつも持ち歩いているアタッシュケースを開く。
中には、狙撃ライフルが分解した状態でおさめられていた。
寝取り男を殺すために、ツテを駆使して買ったものだ。
重いし、毎朝電車で周囲の乗客に嫌な顔をされてきたが、手に入れておいてよかった。
毎日練習したので、組み立てはもう瞬時にできる。
スコープを覗き、婚約者を探す――いた。
十字線の向こうにいる女を、俺は注意深く観察する。
彼女が婚約者ではなく、ただのそっくりさんだという可能性を排するほど、俺は正気を失ってはいない。
むしろ他人の女に手を出す男なんかより、よっぽど理性的だ。
だが、残念ながらその女は俺の婚約者に相違なかった。
そして彼女と男が親兄弟でないことは、今まさにラブホテルのゲートをくぐろうとしていることから明らか。
俺は男の頭に狙いをつけ、トリガーをひいた。
パン。
男の頭蓋が弾け、その内容物を浴びた婚約者が絶叫するのを確認し、俺は銃を片付けた。
これが最初のデートであれば、婚約者はNTRされていない。
だから殺してはならないというわけだ。今はまだ。
繰り返して言うが、寝取り男なんかより、俺は何倍も理知的で模範的な人間なのだ。
意味のない殺人を行うような真似は決してしない。
警察は優秀なもので、あっという間に俺が狙撃手だと突き止めた。
まあ、こっちも特に証拠隠滅などしなかったのだから当然か。
不思議なのは、彼らが俺の手首に手錠をかけたことだ。
獣のような倫理観の男を始末したのだ、てっきり表彰してくれると思ってドアを開けたのはまずかった。
そして俺は、この国の腐敗を目撃する。
取り調べにあたった刑事、弁護士から裁判官に至るまで、誰ひとり俺の正当性を理解しなかったのだ。
『NTRされるような娘に育ててすみません』と俺に頭を下げるべき(無論俺は寛大なのでそんなことは望んでいないが、社会的通念としては、だ)婚約者の両親などは、娘がトラウマを負って廃人同然だと俺をなじる始末。
これは予想もしていなかった。
まともな倫理観を持つ男が、この世に俺しかいないとは!
だが俺は負けない。
古今東西ヒーローとは、大衆に石を投げられても己の正義を貫くものではないか。
今こそNOT-NTRマンはただのNTRれない男ではなく、NTRれないヒーローへと進化したのだ。
-3-
刑務所から出るのに2年を要した。
社会復帰は少年院を出たときよりも苛酷だった。
狙撃事件が大きく取り上げられすぎて、俺はすっかり有名人になってしまっていたからだ。
どこの会社も、俺があの犯人だと知ると態度を変え、拒絶した。
しかたあるまい。
ヒーローは無理解な有象無象から罵倒されても耐えられるが、一般人はそうはいかない。
平凡な市井の人々に、俺と共に歩む気概を要求するのは酷というものだろう。
しかたなく、俺はアメリカに渡ることにした。
故郷を捨てることになってしまったがやむを得ない。
畜生にも劣る寝取り男を放置し、それを誅した俺を犯罪者として扱う狂ったこの社会は、もはや俺にも救えない。
経歴を上手く隠し通したおかげで、俺はなんとか田舎の商社に働き口を見つけた。
ブロンドの恋人もできた。
今度こそ、忌まわしい寝取り男の指に触れさせるものか。
そのためにはどうすればいい?
日本では専守防衛だったから失敗した。ならば先制攻撃あるのみだ。
NTR物において、黒人は寝取り男の代名詞みたいな存在だ。
だから、彼女に近づく黒人は皆殺しにしていった。
『Black Lives Matter』?
NO! すべてのNTR生命に価値はない!
裏をかいて白人にNTRされる可能性だって忘れちゃいない。
だから彼女に近づく白人も皆殺しだ。
イタリア男はナンパ野郎だから殺そう。
いや、男というだけで危険だ、殺そう。
LもBもついでにTも危ない、殺そう。
女友達が浮気に誘い込むかも、殺そう。
パンパンパンパンパンパンパンパン!(※銃声)
俺は懲役200年の判決を受けた。
-4-
毎朝俺を叩き起こしていた看守がもう1週間以上、姿を見せない。
看守だけではない。あれだけ騒がしかった収容所の中が、水を打ったように静かだ。
さすがに腹が減ったので、俺は鍵開けの特技を駆使して独房から出た。
花粉症で鼻がつまっていて気づかなかったが、収容所の中は屍臭に満ちていた。
どこもかしこも死体だらけだ。
いや、中だけではない。外もである。
街に動く人影を見つけることができない。
落ちていた新聞の記事から察するに、どうやら未知の病原体により全人類が死滅したようだ。
どうやらひょっとすると、俺が最後の人類かもしれない。
最後の人類。
ああ。
素晴らしい……! 俺が最後の1人ということは、もうNTRされる心配から、完全に解放されたということじゃないか!
「……I am not “NTR-MAN”」
俺はもう、寝取られ男にはならない。
「――MD,SBK&TQ?」
「え?」
突然、背後から声をかけられた。
巨大な落花生みたいな頭をした人間……いや生物が、3体、立っていた。
耳にあたる部分にはサクランボみたいな器官がぶら下がっている。
サクランボの実に見えた2つの球体は、眼球だった。
どう見ても異星人です本当にありがとうございました。
翻訳機のチューニングが完了したことで、俺は彼らの目的を知った。
彼らはただの学生で、地球に来たのは別に侵略でも移民でもなく、異星文明に関するレポートを書くためだ。
ついては唯一の生き残りである俺に、レポートを書く手伝いをしてほしいのだそうだ。
俺は彼らを見る。
3人のうち2人は、どうやらオスメスで、つがいのようだ。
残る1人はメスだった。
宇宙服の胸元を押し上げる3つの乳袋と、彼女のアスタリスク状の瞳を見た瞬間、俺の心臓はドクンと大きく震えた。
……やれやれ。
俺はまだまだ、NOT-NTRマンとして戦い続ける運命のようだな!
<END>