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『私のファミリーがあのヒュプノシアを倒したの!!』
ドロシーは嬉々として言った。
「笑えない冗談はやめなさい。いくら私でも怒る時は怒るのよ?」
大賢者は真顔で一蹴した。
それが出来るならヒュプノシアに最高階級の脅威度を与えはしない。
魔法を含めた数多の異能力、管理局が使用できるあらゆる兵器を使っても討滅するに至らないからこそSクラス規格外生物種に指定されているのだ。
「それじゃあ、切るわよ。あと5分だけ時間を延長してあげるから……」
『あっ、待って待って! 本当なのよ、ロザリー叔母様! 今、証拠を送ったから!!』
「……ドロシー? あまり私を困らせないでちょうだい。そんな所まであの男に似なくていいのよ……」
テーレッテレーッ
不意に鳴り響く軽快な着信音。
何とも言えない空気になる中、サチコはそっと自分の携帯を取り出す。
「……」
メールで送られてきた画像を見てサチコの眉が大きく引き攣った。
「……大賢者様、これを」
「……」
『どうー? サチコちゃんに見せてもらってる? それが証拠よー』
サチコに見せられた一枚の写真。顔面を粉砕されたヒュプノシアの死骸の隣で見知らぬ男に抱き着くドロシーの姿を見て大賢者は目を疑った。
「……今すぐこの画像を鑑定部の職員に」
「……サチコ」
「……はい」
「すぐ情報部に伝えて。ヒュプノシアは無力化、大賢者の意向でAクラス緊急非常事態対策処理コードは撤回されたと」
「えっ?」
「今すぐ伝えなさい。メメント・モリの発動は中止よ」
◇◇◇◇
「うん、これでもう大丈夫。13番街区は救われたわ」
「いや、駄目でしょ!?」
ふぅーっと安堵の溜息を吐き、一仕事やりきった風な感じになるドロシーにスコットは即ツッコミを入れた。
「え、大丈夫よ。叔母様は僕には優しいから」
「いやいやいや、13番街区を住民丸ごと廃棄するような決定を下す人でしょ!? 絶対に物凄い冷血で人の命なんて何とも思わない奴ですよ! それがあんな写真一枚で」
\カーン、カーン、カーン、カーン/
「ほらぁ! またヤバそうな鐘鳴ってますよ!? これもう俺達を見捨てたっていう合図ですよ!!」
「そういうネガティブ思考は良くないよ、スコッツ君。そんな考え方しながら生きる人生に何の楽しみがあるのよ、まだまだ先の長い若人のくせに嘆かわしいよ?」
「なんで涼しい顔してそんな台詞が吐けるの!?」
スコットは人生の何たるかを悟りきったような事を言うドロシーに突っかかる。
「ううっ、もういいです! 諦めろってことですね……! わかりました、覚悟決めます!!」
スコットは彼女の余裕が『もう何もかも諦めた』事による開き直りだと思い、自分も覚悟を決めてグッと目を閉じる……
《こちら、異常管理局セフィロト総本部です。13番街区の皆様にお知らせします。先程、13番街区一帯を廃棄する決定が下されましたが……》
《問題のSクラス規格外生物種が無力化されたとの報告がありましたのでそれを撤回します。当該区域にお住みの皆様、どうか安心して日常生活に戻ってください》
そんなスコットを本気で馬鹿しているかのように空から聞こえてきた緊急放送。
異常管理局の代表は彼が思っているような『物凄い冷血で人の命なんて何とも思わない奴』では無かったのだ。
「……」
「……」
「……なぁ、ドリーちゃん。本当にコイツで大丈夫なのか? いくらドリーちゃんが選んだ男でも、人の話を信じない奴は駄目だと思うんだよ」
アルマが発した何気ない一言がスコットの心をへし折った。
「……ううっ!」
スコットはガクッと地面に膝を付き、ボロボロと悲しみの涙を流した。
「おかしいよ、こんなの絶対……おかしいよ……!!」
「まぁまぁ、僕は気にしてないからね? 今までよっぽど酷い経験したんだね……よしよし」
「うぅううっ!」
「……そっか、非童貞の周りにはそんな酷いやつしかいなかったのか。仕方ねえなー、後であたしの部屋に来な? お姉さんが色々聞いてやるからさー」
ドロシーとアルマの優しい言葉がスコットの精神を更に追い詰めていく。
老執事は二人に励まされる彼を何とも言えない顔で見守っていた。
「遅くなってすまないーっ!」
アルマから大分遅れて息を切らしたブリジットが駆けつける。
「本当に遅いな、お前!」
「す、すまない……よくわからない輩に絡まれてな。中々私を離そうとしないから酷く難儀したのだ」
「やだ、痴漢? 怖いねー、そういう人とはお知り合いになりたくないよ。知り合いになる気もないけどね」
「本日もお疲れさまです、ブリジットさん」
「はっ!!」
老執事に笑顔で声をかけられた瞬間、ブリジットは顔を真っ赤にした。
「そ、そそそそそんなことは、そんなことは、ごじゃいましぇん。わ、わわわわわたしは、るるな様より、るな様より社長のののの」
そしてブリジットはくねくねと身を捩らせる。
普通に顔を合わせたり軽く会話する程度なら大丈夫なのだが、顔を合わせた状態で労いの言葉をかけられると発症してしまうようだ。
「あっ、始まっちゃった」
「うわぁ、気持ち悪っ! よくそんな気持ち悪い動きができるな!?」
「あ、あああアーサーさま! わわわ、わたしはですね! わたしわわわっ!!」
「おやおや、困りましたな。一体、何が原因で貴女はそうなってしまうのでしょうか」
「……じーさん、気付いてて言ってるだろ?」
「いえ、全く……見当も付きません」
「ああっ、アーサー様……! いけません! そんな目で私を、わわわ、私を見ないでくださいぃ!!」
「……」
「っていうかいつまで凹んでんだ、非童貞! ドリーちゃんの初めてを奪ったくせに暗い顔してんじゃねーよ!!」
アルマは暗い顔で地面に座り込むスコットの背中を蹴る。
「ごふぅっ! な、何するんですか……!?」
「うるせー、いい加減に立て! ドリーちゃんとの初めてについて詳しく聞かせろオラァン!!」
「はぁ!? な、何のことですか!!」
エイトは和気藹々と盛り上がるドロシー達を寂しげに見つめていた。
「……何だよ、アイツらは」
「ドロシーさんの家族ですよ」
「……は?」
「あれが、あの人のファミリーです」
タクロウに肩を抱かれながらアトリは言った。
タクロウは妻の横顔に夢中でエイトなど既に眼中にない。もしも彼が妻を誘拐した一味の仲間だと知れば、このゴリラはどんな反応を示すだろうか。
「……ファミリー、ねぇ」
「ええ、いいでしょう? 凄く仲が良くて……楽しそう」
「ははっ、楽しそう……ね」
アトリの言葉を聞いてエイトは自分が何を欲しがっていたのか……その答えがうっすらとわかった気がした。
しかしその答えはむず痒く、彼の胸中を抉りながら心をさらに痛めつけた。
「わからねえよ、俺には。家族なんて 俺にはもういないんだ」
まるで絞り出すように、彼はただ一言だけ呟いた。
「それなら、貴方も見つければいいと思います……あの人たちのようなファミリーを」
愛する夫に寄り添いながら、彼女はそう言い返した。
お願いすればわかってくれる優しい世界。