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《こちら、異常管理局セフィロト総本部です。あと15分で13番街区を廃棄致します。避難出来る住民の皆さんは他の区に大至急避難してください》
《……避難が難しい方、避難が出来そうにない方は覚悟を決めてください》
空から聞こえてくる緊急放送。当然ながら13番街区はかつてない大パニックに陥り、既に先程の怪物騒ぎなど忘却の彼方に追いやられていた。
「……警部、もう何が起きても驚かないし。俺、この街で頑張っていきますって言いましたけど」
「おう、言ったな。決意に満ちた、いい面構えだったぞ」
「撤回していいですか?」
混迷の極みにある13番街区の様子を装甲パトカーの中から眺めながらリュークは呟いた。
「どけぇ、お前らぁぁぁー! ぶっ殺すぞぉおおー!?」
「あぁん!? やってみろや、三下がぁ! 言っておくが俺はこう見えて第三世界ゴールデンチャンプ」
「オーケー、死ねぇ!!」
「グワーッ!!」
「キャー! 人が撃たれたわー!!」
「やりやがったな、てめぇー!!」
「アバーッ!」
「撃ち返すな、バカヤロー! 流れ弾がウボアッ!!」
誰かが放った一発のマグナム弾を切っ掛けに壮絶な撃ち合いが始まる。
軽くアポカリプスな様相を呈する13番街区の風景にアレックス警部はふふっと笑った。
「警部、もしかして今……笑いました? 笑いましたか??」
「ああ、この賑やかな喧騒を間近で見るのも今日が最後だと思うと……何だか寂しくなってな」
「いや、意味がわかりません」
「何だかんだで13番街区もいいところだったよ」
既に覚悟を決めていた警部の表情は実に穏やかだった。
そっと携帯を取り出して10番街区のマイホームで帰りを待っている妻と娘に今生の別れを伝えようと電話をかける。
「……ああ、もしもし。俺だよ、最近言えてなかったんだが……お前達を世界で一番愛している。本当だ、ヘレン、エレナ……愛してる。これからは少し遠くから……あ?」
「警部?」
「……ははっ、留守番電話になってたよ。傷つくなぁ、オイ」
アレックス警部が満面の笑みで発した悲しい言葉を聞いて、ついにリュークの涙腺は決壊した。
「いだだ……えっ? 13番街区を廃棄!? どういうことだよ!??」
「スコッツくーん!」
「あ、社長! 一体、何が……ホアッ!?」
状況が理解出来ずに混乱するスコットに駆け寄り、ドロシーは勢いよく抱き着いた。
「あははっ、あはははっ! やっぱり君は凄いよ、最高よーっ!!」
「や、やめてください、社長! ちょっ、くっつかないで!?」
「あはは、やだーっ。社長命令よー、このまま抱き締めなさいー」
むにゅーっ。
(ふあわわわわわっ! や、柔らかいっ! 温かい! お、落ち着けスコット! 相手はあの社長だぞ!? これは罠だ、俺を惑わせる悪魔の罠だ! この滅茶苦茶可愛い笑顔も罠なんだぁ……!!)
彼女の着ている簡素な衣装はやたらと布地が薄く、その柔らかな胸の感触を普段よりも一層ダイレクトに伝えてきた。
「ちょっと! マジで今は……あだだだだだだっ!!」
「あれ、どうしたの? この傷……火傷? 凄い痛そうだけど……」
「いだだだだぁ! 触らないでくださいよ、自分でもよくわかんないしマジで痛いんだから!!」
実は今のスコットには首を落とされてからの記憶がなかった。
(そういえば俺、あの化け物を倒してから何してたんだっけ? 呆気なさ過ぎて今までボーッと突っ立ってたのか……?)
そしてドロシーも彼の首が飛んでからの記憶が曖昧だった……
(うーん、何だか頭の中がスッキリしないけどもういいや。それにしても……スコット君はいい身体してるわねー、ずっと抱き着いていたくなっちゃう!)
良くも悪くも、その僅かながらも決定的な記憶の欠如が二人の精神を安定させていた。
「いでで……て、ていうか今の放送は何なんですか!? この13番街区が廃棄されるって……」
「あ、そうそう。ヒュプノシアが目を覚ましちゃったからね、異常管理局がアイツと一緒に13番街区を棄てる決定を出したっていう放送だよ」
「ハァ!?」
「だって、ヒュプノシアは正攻法じゃ倒せないからねー」
ドロシーは頭を念入りに潰されたヒュプノシアの死骸に目をやる。
「そんな化け物をパンチ一発で打ち上げて、空中からドーン! 頭を潰して瞬殺しちゃうなんて……うふふふふ!!」
偶然か否か、ヒュプノシアの死骸の位置はドロシーの覚えている光景と全く同じだった。
それが今の彼女に『ヒュプノシアは颯爽と登場したスコットに瞬殺された』と都合良く解釈させる一番の要因になったのだ。
「えーと……んーと、何か嫌な事があった気もするんですけど。あの怪物を殴り倒した後にー……」
「いやぁ、実にお見事でした。先刻の失態を挽回する大活躍でしたな」
「ふおおっ!?」
老執事は爽やかな笑みで拍手しながらスコットに掛け値なしの称賛を贈る。
「あっ、執事さん!? いつの間に……」
「素晴らしいですな、スコット様。流石は期待の新人です」
「でしょー? 僕の目は確かなのよ!」
「うーん、でも……それに この首の傷……」
「ああ、その傷に関しては家に戻ってから詳しくご説明致しましょう。今日は本当にお疲れ様でした」
スコットが余計なことを思い出す前に老執事は全力で誤魔化しにかかる。
(……ここで彼に妙な事を言われて、またお嬢様に混乱されては困りますからな)
今が良ければオールライト。
ドロシーが亡き父親から受け継いだ素晴らしい人生訓が揺らぐ事がないよう、またお嬢様にこれ以上嫌な思い出を増やされないよう笑顔で都合の良い結果だけを残す。
このさり気なく重苦しい気遣いが心に傷を負った女性のハートをガッチリ掴むのだとか。
「それでは家に戻りましょうか。帰りの車はあの有様ですが、ご心配なさらず」
「は、はぁ……」
「そうね、帰りましょうか。アトリちゃんもあの通り無事だし」
ドロシーは放心状態のエイトに抱えられたまま気絶しているアトリを指差して言う。
「あ、そうだ! 社長、あの金髪野郎が二人を攫ったやつですね! ぶっ殺してきます!!」
「あーあー、違うよ。攫ったのはあの子じゃないよ、あの子は僕たちを助けてくれたの」
「え、そうなんですか!?」
「うん、そうよー。それにあの子は新しい友達だから殺さないでね?」
「……社長がそう言うなら」
弾ける笑顔でそう言われ、何か引っ掛かるものを感じながらもスコットは強引に納得する。
「はっはっは、お嬢様がそう言うなら仕方がありませんな」
老執事もはははと笑いながら言う。しかし内心では……
(……足の二本をハマー君の餌にするくらいで許してやりましょうか)
傍目から見れば穏やかで老成しているこの男も、やはり腹の底にはドス黒いものを棲まわせていた。
そりゃ魑魅魍魎揃いの魔境一つポイすれば他が救われるならそうしますよね。アメリカでもそうします。