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〈ヲ゛ルルルルゥ!〉
スコットの叫声を聞き、ヒュプノシアは唸りながら振り返る。
ガリガリと地面を掻いて長い尻尾を揺らす。首を落として仕留めた筈の獲物が立ち上がり、再び自分に敵意を向ける……そんな有り得ない事態を前に魔獣は警戒心を強めた。
「……ウゥウウウウウウッ!」
そして、ヒュプノシアが彼を警戒する一番の理由がスコットの顔だ。
「……おい、何だよ……アイツの顔」
「さぁ、私にもさっぱり。少なくとも私の知るスコット様はもう少し愛嬌のある顔だったのですが……」
「……あ、あ……」
切り落とされたスコットの頭を補うように、切断面から炎のように揺らめく青い光で形成された新たな頭部が付いていた。
大きく禍々しい二本の角を携えた正に悪魔の如き顔貌、かつての彼の面影など欠片もない狂相を見てついにアトリは気絶してしまう。
「グゥゥゥゥウウウゥ!」
〈ヲ゛ルルッ……!!〉
二体の怪物は唸りながら互いを睨みつける。
地面を踏みしめ、ギリギリと歯を鳴らし、その場の空気を突き刺すような殺気で存分に震わせた後……
〈ヲ゛アアアアアアアアアアアッ!!〉
「ガァァァァァァァァァァァアアッ!!」
ヒュプノシアの咆哮を合図に再び戦闘は始まった。
先に仕掛けたのは吠えかかった魔獣、尻尾の刃を振り乱して迫りくる悪魔を牽制する。
「ァァァァァァァァァッ!」
放たれた白い斬撃は呆気なく悪魔の拳に粉砕される。
〈ヲ゛ルルルルルッ!!〉
斬撃は悪魔の足止めにしかならない、先程の戦いでヒュプノシアはその事に気付いている。
ヒュプノシアは必殺の斬撃を敢えて牽制に使い、強靭な四肢を駆使した接近戦での再戦を臨んだ。
「アァァァァアッ!」
飛びかかるヒュプノシアを迎撃しようと悪魔は拳を振るうが、巨体に見合わない俊敏さを見せるヒュプノシアの猛襲を止めることは出来ずに地面に押し倒される。
「ゴアアアアッ!」
〈ヲ゛アアアアアアアアア!!〉
押し倒した悪魔を長い尾の一突きで仕留めようと、顔面を狙って素速く鋭い刺突を繰り出す。
ズコォンッ
だが、悪魔の顔面を狙った一撃が勝敗を分けた……顔を捉えた筈の刃先はするりと突き抜けて虚しく地面を刺す。
〈ヲ゛アッ!?〉
「カカカカカッ!」
急所を読み違えた間抜けを嘲笑いながら、青い悪魔はヒュプノシアの腹を思い切り殴りつける。
単純な力では魔獣を大きく上回る悪魔の一撃を受け、金色の巨体は呆気なく宙に浮く。
〈ヲ゛ォオッ!〉
「クカカカァァァァアアアッ!!」
宙に浮かせたヒュプノシアの尻尾を掴んで勢いよく地面に叩きつける。
余りにも勢いが強すぎたのか、魔獣の巨体は地面を軽くバウンドし、防御も取れぬまま悪魔が続けざまに放った鉄拳をまともに受けて瓦礫と化した廃工場まで吹き飛ばされた。
────ドゴゴゴォオンッ
悪魔は10mはあろうという魔狼を軽々と殴り飛ばす。
元々重さがどうのこうのいうレベルの相手ではないのだが、それでもあの悪魔の度を越した怪力を窺い知るには十分すぎる一撃だった。
「……どっちが化け物なのかもうわかんねぇな」
「この場合は『どちらも化け物』という表現を使っても宜しいかと」
「あはは、スコット君はやっぱり凄いなー!」
アトリは気絶し、エイトはドン引きし、老執事すら涼しい顔で新人を化け物扱いする中でドロシーだけは目を輝かせていた。
「凄いわね、アーサー。僕の目に狂いはなかったわ」
「左様でございますね」
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「あんな漢らしい声も出せるのね。いつものちょっぴり情けない感じは演技なのかしら」
怖気を催す悪魔のような咆哮を 漢らしい と評するドロシーにエイトは顔を引き攣らせる。
「大丈夫か、お嬢ちゃん? ショック受けすぎてイカれちゃったんじゃねえの??」
「失礼ね、ロード君。いくら付き合いの長い友達だからって言って良いことと悪いことはあるのよ?」
「は?」
「暫く見ないうちに若返ってるけど、口の悪さまで戻らなくていいのよ。お爺さんになってからの落ち着いた感じの方がー」
エイトはこの一瞬で察した。
今の彼女は混乱している……今日に出会ったばかりの自分をロード君という友人と間違えてしまう程に。
「……」
「何よ、ジロジロ見ても駄目よ。私にはもうスコット君が居るんだからね!」
その混乱具合を表しているかのように彼女の癖毛は忙しなくピコピコと動き、瞳に光は灯っているが瞳孔がぐるぐると渦を巻いている。
やはり目の前でスコットの首が飛ばされたのが相当堪えているようだ。
100年以上生きている人外の彼女だが、そのメンタルはそこまで人間離れしていないのである。
「おい、じいさん。この嬢ちゃん……」
「頑張れ、スコットくーん!」
「ああ、ご心配なく……眼鏡をかけ直せば治ります。残念ながら、手元に眼鏡はありませんが」
「うおっ、アイツ……まだ生きてるのかよ!?」
瓦礫の中からヒュプノシアが這い出てくる。
〈ヲ゛ル、ヲ゛ルルゥ……〉
本来、同じヒュプノシア種の新動物しかまともにダメージを与えられない筈なのだが、そんな道理など通用しない悪魔の一撃がその不滅の身体に致命打を与えていた。
〈ヲ゛ルルルルルッ……!〉
それでもヒュプノシアは千切れかけた尻尾を振り上げて悪魔を睨む。
「……カカッ、カカカカカカッ!!」
そんなヒュプノシアを見て悪魔は手を叩きながら大笑いする。
あのボロボロの姿が余程滑稽なのか、それとも尚も闘争の意思を見せるその気概を称賛しているのか。知性も何も感じさせない狂気的な笑い声からは読み取れなかった。
〈ヲ゛アアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!〉
ヒュプノシアは刃を振り乱す。その乱撃で尾は千切れ飛び、最後の意地を乗せた白い斬撃の嵐が悪魔に迫る。
「カァァァァァアアアアアーッ!」
悪魔はヒュプノシアの斬撃を心底楽しそうに粉砕し、地面を蹴って一気に距離を詰め……
〈ヲ゛アアアアアアア!!〉
「オオオオオオオオオオオ!!」
悪魔を迎撃しようとしたヒュプノシアの前脚を左腕で掴んでへし折り、空いた右腕で首を締め上げた。
〈ヲ゛ォオッ! ヲ゛ギャギャギャッ……!!〉
「カカカッ!」
〈ギャガッ、ギャギャギャアッ!!〉
「クカカカカカァァァー!!」
悪魔は笑いながらヒュプノシアの喉元を握り潰し、続いて左腕の貫手で胸を貫く。
「オアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
そのまま勢いよく胸から胴まで引き裂かれ、金色の血潮のような液体をぶち撒けながらヒュプノシアは崩れ落ちる……
「……カカッ、クカカカカカカカァァッ!」
ドゴンッ、ゴンッ、ゴシャッ、ベキュッ……ブチュンッ。
トドメと言わんばかりに大きな拳の殴打でヒュプノシアの頭を念入りに潰し、青い悪魔と金色の魔狼の戦いは悪魔の圧勝という形で幕を閉じた。
>FINISH HIM<