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たかがメインブレインをやられただけだ!!
────ォォォォオン
掠れた遠吠えのような、消え入る悲鳴のような音を出してヒュプノシアは天高く打ち上げられる。
「うおおっ!!」
スコットは地面を思い切り蹴って跳躍。殴り飛ばした魔獣に一飛びで追いつき、その長い尻尾をガシッと掴む。
「らぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
そして勢いよく地面に向かって投げつける。
『ギャイン』という犬の悲鳴にも似た悲鳴を上げながらヒュプノシアは大地に叩きつけられ、スコットは叩きつけた魔獣目掛けて急降下。
────バゴォンッ
落下の勢いに手加減なしの殺意をプラスした悪魔の一撃をヒュプノシアの顔面に叩き込んだ。
〈……ヲ゛ゥ、オッ〉
周囲の大気全体を震わせるかのような超威力のパンチで頭部を破壊され、身体をビクビクと痙攣した後に動かなくなった。
「……なんだ、思ってた程の化け物でもなかったな」
拍子抜けするスコットとは対照的に、悪魔の腕はその力を誇示するかのように拳を天に掲げる。
「……あの怪物を、倒しちゃった」
ドロシーはSクラス規格外生物種を瞬殺したスコットの力に呆然とする。
(あの腕は……何? 空間の断裂を無効化するだけじゃなくて、殆どダメージという概念の無い準エネルギー体にダメージを与えるなんて……あはは……なにそれ、そんなの反則じゃないの)
100年の研鑽を重ねてきた魔法でも討滅するには至らない怪物を泥臭い物理攻撃で倒す……
(……やっぱり君は、最高よ! 決めた! 今日こそ彼をベッドに誘っちゃうわ! お父様、お義母様、お姉様、ロザリー叔母様! ドロシーは……彼をお相手に決めました!!)
呆気ない幕引きに反して途轍もない戦果を残したスコットに惚れ直したドロシーは、ついに何だかんだで100年以上も守り続けてきた純潔を彼に捧げる決意をした。
「お迎えに上がりました、お嬢様方……おや、失礼」
「ひゃあっ!? あっ……アーサーさん!?」
そこに老執事が二人を助けに現れる。
ドアを開ければ目に飛び込んできたお嬢様方の悩ましい組んず解れつな姿に彼はニッコリと笑った。
「あっ、アーサー。来てくれたのね」
「お嬢様の為ならば、例え地獄の果てでも迎えに行きますとも。それでは少しお待ちを……」
老執事は二人の腕を縛る縄を鮮やかに取り去り、ついに自由になったアトリは涙目でドロシーに抱き着いた。
「あぁぁぁっ! 良かった……良かったぁ……! 私、私……ッ!!」
「よしよし、もう大丈夫よアトリちゃん。怖かったねー、よく頑張ったね」
「うぅううっ!」
自分よりも背の小さいドロシーに泣きつくアトリ。そんな彼女の頭を撫でながらドロシーはよしよしと慰める。
「ううっ、うううっ!」
「……申し訳ございません」
「いいよ、気にしてないわ。今が良ければオールライトよ……」
「社長ーッ!!」
ドロシーは此方に手を振りながら近づいてくるスコット見て微笑む。
「……あー、俺はお邪魔だろうから……そろそろ」
「あ、まだいたんだ? ごめん、君のこと忘れてたよ」
「ひでぇな、オイ!?」
「それで、この男がお嬢様を攫ったのですかな?」
老執事はエイトの目を睨みつける。
表情には出さないが彼の内心は怒りで煮えくり返っており、この男をどうやって始末するかを考えていた。
「えー……あー……その、」
「ああ、貴方は口に出さずとも結構。私はお嬢様に聞いているのですから」
「……」
『ああ……この爺さんは俺を殺す気だな』と察したエイトは観念して頭をポリポリと掻く。
逃走用の車も無いし、付き合いの長かった相棒も死んでしまった。
この場を切り抜けても真っ当な働き口など無いエイトにろくな未来はない。
それなら……と彼は力無く運転席にへたり込んだ。
「せめて、サクッと終わらせてくれよ。痛いのは」
「私はお嬢様に聞いているのです。貴方の返答は求めておりません」
「……デスヨネ」
左の指先がズキンと痛み、ふと左手を抑えたエイトは遠くで微かに揺らめいた金色の陽炎を見て総毛立つ。
「おい、後ろだ!」
そして完全に油断して警戒を解いていたスコットに向かって叫ぶ。
「はっ!?」
ビュインッ
スコットが後ろを振り向くと同時に、白い風が首筋を通り抜け……
「……っ?」
彼の首が、鈍い音を立てて地面に落ちた。
「……あれ?」
ドロシーは再び目を疑った。
「あれ、おかしいな……」
「……ひっ!」
「スコット君の、首が無いよ?」
純潔を捧げると誓った相手の首が失くなっていたのだから。
スコットの身体は糸の切れた人形のように倒れ、そのまま動かなくなる。
〈ヲ゛ルルルルルルルゥ!〉
頭部を半分潰されながらもヒュプノシアは倒しきれていなかった……悪魔の一撃を受けても魔獣はただ気絶していただけだった。
「おいおいおい……冗談だろ! 何なんだよ、あの化け物は!?」
「……お嬢様、目を瞑ってください」
「あれ、首が……」
「目を瞑ってください」
「スコット君の、首が……っ」
あまりの衝撃に錯乱するドロシーの目をそっと手で覆い、老執事は彼女を抱きかかえる。
〈ヲ゛ゥォオオオオオオオオオッ!!〉
「アトリ様、走れますか?」
「あ……あ、あのっ……あのっ……!」
アトリの足は恐怖と混乱でガクガクと震え、とても走れる状態ではなかった。
「……無理そうですか。困りましたな」
「……ッ!」
「ああもう、仕方ねぇなぁ……!」
「ひ、ひっ……!!」
エイトは運転席を降り、指先の痛みを堪えながらアトリをやや強引に抱き上げる。
「あの車はじいさんのだな!? この娘を運んでやるから俺も連れていけ!!」
「……はぁ、ご自由に」
ビュインッ
動けない二人を抱えてエイトと老執事が走り出した瞬間、ヒュプノシアは黒塗りの高級車を両断する。
「おやおや、これは……凄く困りましたな」
「……ふざけんなよ、オイ! このクソッタレがぁ!!」
魔獣はエイト達を逃がすつもりなど一欠片も無かった。
〈ヲ゛ルルルルルルッ!!〉
目についた動くものは全てが狩りの対象にして、抑えきれない程の破壊衝動の捌け口。
あらゆるものを傷つけずにはいられない、人類含めた全ての生物種と共存不可能な超敵性型準エネルギー生命体。
それがヒュプノシアという規格外の怪物なのだ。
スコットくんが死んだ! この人でなし!!