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紅茶を飲んで、思い描いたものを文字にする。それだけで幸せを感じます。
(……嘘、どうして来たの!?)
助けに来たスコットを見て最初に過ぎった言葉がそれだった。
(駄目よ、早く逃げて! アレは……アレは、戦っちゃ駄目な相手なのよ!!)
ドロシーはスコットが自分を救いに来たことを喜ぶ前に、あのヒュプノシアと鉢合わせてしまった彼の身を本気で案じた。
「社長、大丈夫ですか! 乱暴されてませんか!? 怪我とかしてませんかー!!?」
そんな彼女の想いとは裏腹にスコットは逆にドロシーの心配をする。
(やっべぇぇぇ、ギリギリじゃん! 悪い奴に買われて連れ去られる5秒前じゃん! 危なかったぁぁぁ! 何だか知らないけど車が壊れてるみたいで助かったぁー! くそっ、あの金髪野郎め! ぶっ殺してやるからな!!)
まさかドロシー達を攫ったエイトが二人の命を救ったなど思い及びもしない彼は、運転席で手を抑えるトンガリ頭を本気で睨みつける。
「……あ、アイツは! 殺されたんじゃなかったのか!?」
「スコット君がやられるわけないでしょ!」
「いや、一撃でやられてたよ!?」
「ド、ドロシーさん! 早くあの人に逃げるように言わないと……!!」
「あっ!」
ヒュプノシアは突然現れたスコットを警戒して尻尾を逆立てる。
あの尻尾が振り下ろされた時……何も知らない青年はその19年の生涯をあっけなく終える事になる。
「スコット君、逃げて! とにかく逃げてー! そいつと戦っちゃ駄目、絶対に逃げるのよーっ!!」
細かく説明する余裕など無いのでとにかく彼に逃げるように言う。
「……逃げろって言われても」
〈ヲ゛ルルルルルルッ!〉
「二人を置いて逃げられませんよ」
スコットは『逃げて』と叫び続けるドロシーに背を向け、唸り声を上げるヒュプノシアを見据える。
「……こいつはまた、ヤバそうな化け物だな」
〈ヲ゛アアアアアアアアアアアアアアッ!!〉
ヒュプノシアはスコットを次の獲物と定め、大きな尻尾を逆立てて咆哮する。
「……」
スコットはすうっと深呼吸し、自分の中に意識を向ける。
「聞こえてるよな、悪魔。俺に力を貸してくれ」
静かに呟いたスコットの片眼には青い光が灯り、背中から顕現した悪魔の腕が嬉しげに地面を叩く。
「……お前、最近は機嫌が良いのか? やけにすんなりと出てくるようになったけど」
すぐに姿を現した青い悪魔にスコットは声をかける。
だが悪魔は何も言わず、ヒュプノシアを挑発するようにガシンと拳を合わせた。
「ああ、そうだった。お前は俺が強く望めば素直に従うんだったな」
スコットは自嘲げに笑う。そして此方を睨むヒュプノシアにもはははと笑い返し……
「今日も俺の気持ちが通じて嬉しいよ。それじゃ、一緒にアイツをブチのめそうか」
己に宿る青き悪魔に、生まれて初めて優しい言葉を投げかけた。
「駄目、駄目、駄目! 逃げて! スコット君!!」
ドロシーは戦闘態勢に入ったスコットに尚も逃げるよう叫ぶ。
ヒュプノシアの斬撃は防御不可能だ。
あの刃から放たれる白い斬撃は超高純度の光エネルギーを極限まで収縮させた尻尾で空間を部分的に焼き切る事で発生する 空間の断裂 であり、魔法障壁だろうと何の抵抗も無く貫通する。
例え万全な状態のドロシーであっても完全に防ぐ事は出来ない。
「スコットく」
〈ヲ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアア!!〉
ビュインッ
彼女の必死の叫びも虚しく、魔獣はその刃を振り下ろした。
「ッ!」
悪魔の拳がスコットに迫る白い斬撃に向けて振り抜かれる。
「スコットくぅぅーん!!」
その拳撃は全くの無意味だ。迫りくるのは焼き切られた空間の裂け目であり、迎撃など不可能。触れた瞬間に全てが終わる。
────パキィィィン
聞こえてきたのは何かが割れるような音。
そして崩れ落ちる建物。ドロシーはあの一撃でスコットの命が終わったのだと悟り、その瞳に何十年ぶりかの絶望の色を浮かべる。
「……あっ」
スコットの身体がぐらっと傾く。ドロシーは目を背ける事も出来ず、あの青年が崩れ落ちるのをただ見ているしか出来なかった……
だが、崩れ落ちた筈のスコットは地面を力強く蹴り出し、ヒュプノシアに向かって突撃した。
「……ッ!?」
ドロシーは思わず瞠目した。運良くあの一撃が逸れ、後ろの建物だけを切り裂いたのか。
〈ヲ゛アアアアッ!!〉
しかしそんな奇跡も二度は続かない。
ヒュプノシアは今度こそスコットの命を刈り取ろうと刃を振るう。
白い斬撃は今度こそスコットの身体を捉え……
「うらあああああああーっ!」
万物を切り伏せるに足る魔獣の斬撃は、悪魔の鉄拳の前にガラスのように儚く砕け散った。
〈ヲ゛ルルルッ!?〉
「くらえ、化け物ォォオオオッ!」
予想外の事態にヒュプノシアは咄嗟に身を躱す。
悪魔の拳は地面を大きく陥没させ、無敵であるはずの金色の魔狼を退かせた。
「……はえっ?」
「はわっ」
「はっ??」
ドロシー達は皆して同じ顔になる。
特にヒュプノシアの斬撃の正体を知っているドロシーの衝撃たるや他の二人と比べるべくもない。
彼女の頭の中は大量の疑問符で埋め尽くされていた。
(え、何? 嘘でしょ? 空間の断裂を……砕いたの? パンチ一発で? 嘘でしょ? 魔法でも無理なのよ? 待って、待って待って。僕は何を見たの? え、嘘でしょ? お父様、ドロシーは夢を見ているの? それともまだ勉強不足なの? ひょっとしてドロシーは頭が悪かったの? ふわ、ふわわわっ??)
先攻すれば勝利を約束される必勝の一撃を、真っ向から粉砕するという離れ業を成し遂げた驚異の新人を前にドロシーの頭はオーバーヒートする。
「くそっ、逃がすかあ!」
地面に埋まった拳を素速く引き抜き、スコットはヒュプノシアと距離を詰める。
「……ッ! 駄目、駄目駄目! スコット君、そいつに物理攻撃は効かないよ!!」
だが悪魔の腕がヒュプノシアを捉えた所でダメージを与えることは無理だろう。
その身体は大部分が純粋な太陽光エネルギーの塊で、そもそも物質的な肉体ですらない。
攻撃が命中しても無意味な上に、凝縮されたエネルギーの中に腕を突っ込んで無事でいられる筈がない。
〈ヲ゛ァァァァァアッ!〉
それを本能的にわかっているのか、懐に入られてもヒュプノシアはスコットに吠えかかり、どんと構えながら彼を挑発する。
「うおぉおおおおおおーっ!!」
スコットは悪魔の拳を握りしめ、ヒュプノシアに向かってパンチを繰り出した。
「スコットくん……ッ!」
今度ばかりは駄目だ……とドロシーは思った。
ヒュプノシアは既に尻尾を振り上げており、スコットの攻撃を受け止めた後で一気に勝負を決めるつもりだ。ドロシーは悪魔の唸る拳が金色の身体に……
ボゴンッ!!
深々とめり込み、天高く打ち上げる瞬間を目の当たりにした。
「……ふわっ??」
その日、ドロシーは胸に深く深く刻み込む事になる。
悪魔を身に宿した青年、スコット・オーランドが操る青い巨腕の真の能力を。