20
やってきました、何度目かの世界の危機。
「エイト君!!」
「うっさい、黙ってろ!」
「あうっ!」
痺れを切らしたエイトにドロシーは突き飛ばされる。
「ドロシーさ……ひゃあっ!!」
ドロシーを受け止めようとしたアトリだったが、踏ん張りが効かずそのまま地面に倒れてしまった。
「ご、ごめん……アトリちゃん」
「いえ、大丈夫ですか……?」
「あはは、今日の僕はちょっと……情けないね」
アトリの胸に顔を埋めながらドロシーは悔しげに笑う。そんな彼女の顔を見てアトリも瞳に涙を滲ませた。
「スティング卿ーッ!!」
動物屋の制止を無視してトラックの荷台に乗り、目的の品が入れられた巨大な檻に近づく。
その歩みは軽やかで、まるで欲がっていた玩具を今まさに手にしようとしている子供のようだった。
「はははっ、凄いな……」
檻はほんの僅かな日の光も差し込まないよう、真っ黒な布で目深く覆われていた。
「そして、これがあの……」
スティング卿はその黒い布をめくると、檻の中では影のように黒く巨大な生き物が眠りについていた。
めくられた隙間からほんの僅かな太陽の光が差し込む……
光が体に触れた瞬間、黒い生き物の 大きな眼 が見開かれる。
その直後、檻の中から一筋の白い熱風が吹いた。
「……熱ッ」
ジジ……ジ……
風が凪ぎ、スティング卿が自分の身体に不可思議な熱を感じた時にはもう全てが終わっていた。
彼の上半身はボトリと音を立てて落下し、続いてトラックの荷台が大きくズレる。
肉と鉄が焼けるような匂いを燻ぶらせながら荷台を包んでいた闇は晴れ……
〈ヲ゛アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!〉
まるで悪魔の産声のような、生き物の断末魔のような、聞くも悍ましい怪物の声が周囲に響き渡った。
「なん……! なんだ!?」
「……ッ!!」
「あう……ッ!?」
頭に突き刺さるような声の不快さに、その場に居る皆が耳を塞いだ。
「ああっ! くそっ、何だよ! おい!!」
「……だから、言ったのにな」
動物屋は虚ろな表情で呟く。彼の目には諦めにも似た、深い絶望の色が浮かんでいた。
「おい! 何を連れてきた!? あの変態は何を頼んできたんだよ!!」
「眠りの魔獣だよ、決して起こしてはいけない。眠り続けてなければいけない、な」
「何だよ、その詩的な表現は!? 今の状況わかってんのかコラ!!」
「はっ、見ればわかるだろ。アレを魔獣と呼ばずに何て呼べばいいんだ?」
ビュン、ビュンビュン、ビュインッ
続けて聞こえてきたのは聞き覚えのない独特な音。
暴風が一気に吹き抜けたような、燃え盛る火の棒を高速で振り抜いたような、表現し難い異音が鳴った。
異音から少し遅れて大型トラックはバラバラと分解され、内部から 全身を金色に輝かせる巨大な獣 が姿を現した。
《ヲ゛ォォォォォアアアアアアアアアアアアアアアア!!》
金色の巨獣は煌めく刃を先端に設けた長い尻尾を逆立てながら天に向かって咆哮した。
「……んだよあれ。あんなのを欲しがったのかよ、あの変態オヤジ」
「笑えるだろ? まさかここまで馬鹿だとは思わなかったよ」
獣は唸り声をあげて周囲を一瞥する。感情が読み取れない不気味な四つの眼には瞳孔が無く、大きく裂けた口には牙も無い。
巨大な狼にも見えるその身体も輪郭がぼやけており、まるで陽炎のように揺らめいている。
「……ヒュプノシア。あの形は……フロウかな。ゴメンね、アトリちゃん……僕たちみんな死んじゃうかも」
「えっ……」
ドロシーはその瞳にハッキリと諦めの感情を灯す。普段は決して見せない彼女の表情にアトリも自分の最期を悟った。
ヒュプノシア・フロウ。それがあの怪物の名前。
何種か確認されているヒュプノシア種の新動物の一体であり、稀少種とされているヒュプノシアの中でも特に個体数が少ない。
ヒュプノシア・フロウは光が当たらなければ黒い狼の姿にも見える蛹状の形態となっており、その状態では完全に無害である。
しかし、一度太陽光がその体に当たった途端に彼等は無害な生物から一変し、人類の手には負えない超攻撃的生物に変貌する。
その姿こそが、ヒュプノシアの真の姿なのだ。
「はは……はははっ、ごふっ! 美しい……何という美しさだ……!!」
半身を失いながらもスティング卿は眠りから覚めた巨獣の姿に目を輝かせて興奮していた。
「ごふふっ、はははっ、はははははっ! 素晴らしい、素晴らしい! あんなに美しいものを、ごふっ! 見れるなんて……今日は、人生最高の日だ……あはははっ……はっ……」
心底満足気に笑いながらスティング卿は事切れる。
「ははは……ほんと、金持ちって奴はよぉ」
そんな彼の姿にエイトは心底うんざりした。そしてドロシーを見ながら物凄く重い溜息を吐く。
「……お嬢ちゃんの言う通り、あの馬鹿をぶん殴っておけば良かったなぁ」
《ヲ゛ォオオオオオオオオオオオン!!》
「エイト君、伏せて!」
ヒュプノシアは長い尻尾を振り乱す。先端の刃からは僅かに白く発光する斬撃が放たれ、周囲のあらゆるものを一陣の風のように突き抜ける。
そして突き抜けたすべてを切断し、廃工場と近くの建造物を一瞬で瓦礫の山に変えた。
太陽光を浴びたヒュプノシア種は身を包む蛹を解いて脱皮する。
彼らの肉体は既存の生物から大きく逸脱しており、大部分を極限まで凝縮された太陽光エネルギーで形成されている。
彼らは太陽光を糧としており、同じヒュプノシア種の生物すら 単なる餌 と認識する程の貪欲で凶暴な魔獣だ。
そんな彼らが長時間、餌となる太陽光が得られなかった場合に取る防御形態があの蛹状態である。
最初にヒュプノシア種が此方側に出現したのが幸運にも夜だった為、彼らは無害な新種の異世界種として異常管理局に保護されていた。
太陽光以外の弱い光では餌にならない為、施設内では大人しい生き物だったのだが……
何も知らない管理局職員が日中に保護区に移送した事で、この異常な性質が発覚した。
大部分が破壊不可能の純粋なエネルギーの塊であるヒュプノシアを討滅することはほぼ不可能だ。
日が沈むまで放置するか、Aクラス緊急非常事態対策処理コード【メメント・モリ】でその区画一帯を丸ごと廃棄するしか対処法がない。
「ごめんなさい、お父様……ちょっと今日はどうしようもないかも……」
この状態のヒュプノシアは【シア・キシプニマ】と呼ばれ、正攻法では対処不能な存在を意味する Sクラス規格外生物種 に指定されている。
日刊世界の危機は伊達じゃありません。