19
街中で凶暴な怪物達が暴れ出したのとほぼ同刻、スティング卿を乗せた高級車が廃工場に到着する。
「やぁ、我儘を言ってすまない。たまたまこの街の別荘に来ていたものでね」
特注品の高級スーツを着こなした物腰柔らかな紳士が無表情のSP達と共に車から現れる。
「お待ちしておりました、スティング卿」
「久し振りだね、元気そうで何よりだ」
この街の物品は許可無く外に持ち出す事は出来ない。当然ながら生き物もだ。
天獄の壁の内側と外側を行き来できる出入り口は限られており、更にその全てを異常管理局と協力関係にある別組織のメンバーが監視している。
彼らが居る限り、正式な許可が無ければペットショップに売られていた小動物はおろか虫一匹たりとも外に持ち出せない。
……しかしそんな監視の目を潜り、この街から物品を持ち出す方法も幾つか編み出されている。
欲深き者達にそれが外の世界にどれだけ深刻な影響を及ぼすかなど大した問題ではない。
彼らにとって重要なのは自らの欲求を満たすこと。外の世界では満たされない程に肥大化した欲求を満たす為なら彼らはどんな手ででも使う。
スティング卿もまたそんな欲深き者の一人だ。
「ところで、その商品はどこかな?」
「ええ、まずは彼女の方から」
エイトに腕を引かれて膨れっ面のドロシーがスティング卿の前に立たされる。
「……ふんす」
「お嬢ちゃん、せめて最初くらい愛想良くしてくれねえかな? 頼むよ」
「機嫌が良いとこんな顔になるのよ」
「嘘つけや」
服は新しく用意されたがとても質素で肌触りが悪く、敏感肌の彼女には不快なものだった。
だが質素な服装を着せられて尚も色褪せない彼女の美しさにスティング卿は思わず息を飲む。
「これは……素晴らしい。写真で見ただけでも凄かったが、実物はもっと素晴らしい!」
「それと、もう一人……」
続いて動物屋の部下に腕を引かれてアトリがスティング卿の前に連れて来られる。
「……」
「ほほう、彼女もまた……美しいな。二人共、まるで地上に降り立った天使のようだ」
「いやぁ、この二人は凄いですよ。これだけの上玉は滅多にお目にかかれません」
「いやいや、ありがとうエイトくん。君のおかげだよ」
感極まったスティング卿はエイトに握手を求め、彼は複雑な気持ちでそれに応じる。
「……わぁ」
ドロシーはスティング卿の目を見て顔をしかめる。
どうやら彼女の慧眼はその一瞥で彼を極めて不快な存在だと認識したようだ。
「君は凄い人ね。ここまで見ていて気分が悪くなる紳士は久しぶりよ」
「ド、ドロシーさん……!」
「おや、その声もまた美しいな。言葉遣いは少々気になるが」
「おいおい、やめろよ。商品は御主人様の前じゃ愛想よく振る舞わないとな? ん??」
「……エイト君も大変ね」
ここでようやくドロシーはエイトに同情するような眼差しを向けた。
「その目を、やめろ? オーケー??」
「ふふふ、気の強い女性は好きだ。彼女とはうまくやっていけそうだよ」
「……」
「ははは、心配するな。君のことも気に入っているよ? 二人共、たっぷりと可愛がってあげよう」
スティング卿は二人を見ながらニコッと笑う。
しかし爽やかで紳士然とした笑顔に反してその瞳には狂気が滲み、彼の破綻した性格をこれ以上ない程に表現していた。
「……ッ!」
そんな彼の笑顔を見てアトリの背筋は凍った。
「……大丈夫、僕がついてる」
「……あっ、ドロシーさん……」
「アトリちゃんはアイツと目を合わせないようにね。心が飲みこまれるから」
ドロシーは恐怖と不安に呑まれそうになった彼女に寄り添って優しく声をかける。
「うん、今日も良い買い物が出来そうだ。言い値で買わせて貰うよ」
「ありがとうございます、スティング卿」
「では、もう一つの商品を見せてもらおうかな」
「……は?」
スティング卿の言葉を聞いて動物屋は表情を変える。
「あの、見せてもらうとは」
「いやね、是非ともその商品もこの場で見たいと思うんだ。別に構わないだろう?」
「いえ、それは」
困惑する動物屋を余所目にスティング卿は廃工場の隅に停車する大型トラックに目をやる。
トラックの荷台には彼が欲してやまない特別な商品が乗せられていた。
「あの中だね。いやぁ、この時をどれほど待ち侘びたか」
「待ってください! 何を!?」
「何って、この瞬間のために私は来たんだぞ? いいじゃないか一目くらい」
その商品を一目見ようと、スティング卿は目を輝かせながらトラックに向かう。
しかし動物屋は必死に彼を制止する……動物屋からは大きな焦燥感を感じられた。
「……あの中には何が入ってるの?」
「さぁな、俺は『絶対に光に当てるな』としか教えられてないから」
「……光に当てるな?」
エイトの言葉をヒントにドロシーは光に弱い新動物を何種か思い浮かべる。
「光に当てると死んじゃうから?」
「うーん、そこんところはよくわからん。ただ、光に当てると手がつけられなくなるとか言われたな」
「……!!」
その一言が決め手となったのか、ある動物に思い当たったドロシーは血相を変える。
「駄目、その男を止めて!」
「ド、ドロシーさん!?」
「は?」
「エイトくん、あの馬鹿を全力で殴り倒して! 今すぐ! 早くして!!」
「何言ってんの? 君??」
「はやくーっ!!」
「うっさい!!」
腕を縛られたドロシーはエイトにぽよぽよと弱々しくタックルしながら必死にスティング卿を止めるように言う。
(……何だ? 何を焦ってるんだ、コイツ? たかが動物一匹だろ?)
決して余裕を崩さなかったドロシーが慌てる様子を見て、エイトは嫌な予感を感じていた。
「ダメだ! おい、彼を止めろ!!」
「おいおい、少し落ち着きたまえ。君は大切な友人だ、乱暴は働きたくない」
「彼を、ぐあっ!?」
スティング卿のSP達が動物屋を乱暴に取り押さえる。
彼らは人間だが、違法な肉体改造で異人に迫る身体能力を得ている強化人間だ。
「待ってください! まだ夜じゃない! そいつは太陽の光を当ててはいけないんだ!!」
時刻は午後15時過ぎ。やや薄暗くはなってきたがまだ日が沈む時刻ではない。
「エイト君、早く止めて! ああっ、もう良いよっ! ほら、僕の杖返して! もう大分動けるようになったから!!」
「アホか、お前! そんな事言われて素直に返す奴がっ……てあんまりしつこくタックルすんなよ! 気持ち良……じゃなくて気持ち悪いって!!」
「杖を返しなさいーっ!!」
ドロシーは必死だった。もしあの荷台に乗せられた生き物がドロシーの考える通りの動物だったなら……
此処に居る全員、最悪の場合はこの13番街区に暮らす住民全てが犠牲になってしまうのだから。