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ちなみに私は時々コーヒーも嗜んでおります。
『ちょっとー! たーっくーん!!』
お客様はまだ店の扉をドンドンと叩いている。
「……」
「あの、タクロウさん? そろそろ……」
「……」
『ねぇ、入れてよー!』
タクロウは全力で彼女を無視し、諦めて帰るまで待とうとする。
『タクローくーん!!』
「意地悪しないで入れてあげましょうよ、折角来てくれたのに……」
「……はぁー」
だがアトリの言葉と一向に帰る気配のないお客様に根負けし、重い溜息を吐く。
「しょうがねぇなぁ……」
『タクローくぅーん!!』
「うるせー、うるせー。今、ドアを開けてやるって……」
キリキリキリキリ……
「ん?」
タクロウがドアの鍵を開けようとした瞬間、張り替えたばかりの丈夫な特注ガラスが円形にくり抜かれる。
「……」
「……」
「ちょっとー! 酷いじゃないの、僕はお客さんだよ! いくらなんでもやり過ぎじゃない!?」
くり抜かれた部分からドロシーがひょっこりと顔を出し、切れ目で怪我をしないように気をつけながら入店した。
「……お、おま」
「全くー、タクロー君はどうして僕にだけ意地悪するのかなー」
「おま、おまおま……おま……ッ」
「? どうしたの、タクロー君? おまおまって何語? 頭でも打ったの?」
ドロシーがキョトンとしながら発した言葉に、彼の堪忍袋の緒はブチ切れた。
「お前ぇぇぇぇぇ────ッ!!」
タクロウは目を信号機のように点滅させながらドロシーに掴みかかる。
「ちょ、ちょっとタクロー君!?」
「お前ーっ! この窓ガラスはなーっ! 張り替えたばかりのなーっ!!」
「た、タクロウさん! タクロウさん! 落ち着いてくださいー!!」
「ゆるさーん!!!」
「ふわゎわわわゎっ! お、落ち着いて! アトリちゃんの前だよ!? いくら僕と仲良しだからってそんな」
「ぶっっ殺してやぁぁぁぁぁあああある!!」
ドロシーの身体を持ち上げ、ブンブンと激しく揺さぶりながらタクロウは殺意全開で怒鳴りつける。
「ふわわわわわわぁぁー!!」
「しゃ、社長ーっ! ちょっと! 落ち着いて、落ち着いてください! 社長が死んじゃいますって!!」
「誰だお前!?」
「スコットですよ! 一昨日会ったばかりじゃないですか!!」
ヌイグルミか何かのように乱暴に揺さぶられ続けるドロシーを見かねたスコットが暴走するタクロウを抑える。
「どっから入ってきた! 今日は閉店だぞぉ!?」
「え、いや、あの穴から……」
「はわわわわわわわ……」
「タクロウさん! 落ち着いて! もうやめてあげて! ドロシーさんが本当に死んじゃいますー!!」
更にアトリがしがみついて夫を抑える。
「タクロウさぁぁーん!!」
「はっ、あ、アトリさん!? 俺は一体……」
妻の涙ながらの訴えと、背中を伝わる柔らかな感触にタクロウはようやく正気を取り戻す。
「わゎわわわ……」
「社長、社長ー!」
「早くドロシーさんを離してください、タクロウさん!」
タクロウは確かに顔は怖いが人当たりがよく面倒見がちで、初対面の人にもとりわけ優しいアトリにとって理想の夫だった。
しかしこの魔女、ドロシー・バーキンスだけは別だ。
彼女の顔を見た途端に優しい大男は豹変し、殺意と嫌悪を剥き出しにしながら怒り狂うサイボーグゴリラのように襲いかかってしまう。
一体この二人の間に何があったのか、それは推して知るべしであろう。
「……はわわ、ブリキの……兵隊……、ブルーの、うさぎーさんがー……草原で、楽園をー……」
「社長ー! しっかりしてください、社長ーっ!!」
「ドロシーさん! ドロシーさんっ! しっかりしてっ!!」
脳を揺さぶられて意識が混濁してしまっているドロシーをソファーに寝かせ、二人は必死に声をかける。
「ふわわわわ……」
「社長ー! 帰ってきてくださいー!!」
「ドロシーさぁーん!」
「おやおや、お嬢様。今日も派手にやられてしまいましたな」
老執事は窓の穴からひょっこりと顔を出し、遠い夢の世界に旅立ったお嬢様に軽い調子で声をかける。
「何でそんなに冷静なんですか、執事さん!? 社長がヤバいことになってんですよ!!?」
「そとのーせかいー……きれいー……、おとーさまはー……」
「失礼致します」
窓の穴から入店した老執事は目をぐるぐるさせて譫言を繰り返すお嬢様の傍に近づき、彼女の顔からそっとチャームポイントの眼鏡を外す。
「おはようございます、お嬢様」
そう言って老執事は優しく眼鏡をかけ直した。
「あっ、おはよう。アーサー」
するとドロシーは大きな瞳をパッチリと開き、何事もなかったかのように起き上がった。
「ホアァァッ!?」
「良い夢は見れましたかな?」
「うーん、まぁまぁかなー。あれ、どうしたのスコット君」
「ど、どうしたって……どうしたんですか、社長!?」
「え、どうしたって……」
「ああっ、ドロシーさーん!」
意識を取り戻したドロシーにアトリは抱き着く。
「あははー、どうしたのー? アトリちゃん」
「良かった、良かった……! 元に戻ってくれて……!!」
半泣きのアトリと呆気にとられるスコット、そして離れた位置で 心底悔しそうな顔 でこちらを見つめてくるゴリラを見て彼女は大体の状況を察した。
「あー、あははっ。もしかしてまたやられちゃったのかな?」
ドロシーはそう言ってタクロウにキラキラ輝く素敵な笑顔を向ける。
「ブォオオオオオウゥォアアアアア!」
ドロシーの眩しい笑顔を見て精神にダメージを受けたタクロウは、彼女の憎たらしい笑顔を振り払うように壁を思い切り殴りつけた。
「あ、あの社長……あの人ヤバいですよ! 早く逃げましょう!!」
「大丈夫、大丈夫ー。タクロー君は僕の友達だから」
「ヴェアアアアアアアアアアアアアアア!」
「何処がですか!?」
「あの子は昔から不器用だからね。あんな形でもないと僕への親愛の情を素直に表せないのよ」
「ヴァァァァァァァァァァァァ!!」
「タクロウさん、落ち着いて! 落ち着いてー! お客さんの前ですよーっ!!」
ひたすら自分の店の壁を殴りつける荒ぶるゴリラに親しみを籠めた温かい視線を向けるドロシーに、スコットは大いに戦慄した。
コーヒーもいいですよね、隠し味にもなりますし。