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地 獄 へ よ う こ そ
「……」
デイジーはアルマに抱かれながら目の前の光景に怖気立つ。
辺り一面を毒々しい緑に染める血潮。無残に投げ捨てられた肉片に千切れ飛んだ首。
生命の躍動を止めた巨大な肉塊の上で立ち尽くす一人の青年。
「……ッ!」
覚束ない足取りで怪獣の死骸から降りて此方に近づいてくるスコットに思わず身構える。
「あ、デイジーさん! 無事だったんですか!!」
顔を返り血で染めながらスコットは安堵したような表情を浮かべた。
「……良かった、本当に」
無意識的とはいえドロシーから逃げる為にデイジーを犠牲にしてしまった事を悔やんでいたが、実は死んでいなかった彼の元気そうな姿を見て一安心する。
「ぶ、無事じゃねえよ! 見りゃわかるだろ!?」
「……あっ! す、すみません! 見てません! 見てませんよ!?」
デイジーの裸を数秒間直視した後でスコットは顔を逸らす。
「嘘つけ、思いっきり見ただろ! ガン見してたじゃん!?」
「見てません! 見てませんって!!」
「はははーん、童貞よ! やっぱりデイジーの裸は気になるよなー! 良い身体してるもんなぁ!!」
「や、やめてください、姐さん! ていうかもう降ろして!!」
「やだー、このままお持ち帰りするー」
「お持ち帰りしないでぇえー! いやぁあああーっ!!」
「あはははー、この近くにホテルあるからさ。そこで綺麗にしていこうぜー!」
「やだーっ! 社長ー! スコットー! 助けてぇーっ!!」
アルマはそのまま裸のデイジーを抱えて何処かに向かっていった。
「……」
ドロシーと二人きりになったスコットは気まずそうに彼女を見る。
「……あの、社長。実は俺」
「戻ってきてくれたんだね、スコットくーん!!」
「ホワァアー!?」
そんな彼にドロシーは躊躇なく抱き着いた。
「ちょっ、社長!?」
「あははっ、あはは! 戻ってきた! 戻ってきたぁ! 嬉しいなぁー! あははははっ!!」
「は、離れてください! 汚れますって! 血が、血がぁ!!」
「絶対に逃げたと思ったのに! あははははっ! やっぱり君は最高よー!!」
「いい加減に離れてください!」
抱き着くドロシーを引き離し、スコットは彼女の目を見ながら言う。
「社長!」
「な、なに?」
「俺は貴女に言いたいことがあってここまで来たんですよ!」
「えっ……」
ドロシーはスコットが真剣な眼差しで言った台詞に思わず顔を染める。
勿論、彼が言いたいのは愛の告白ではなく別れの挨拶だ。
彼は彼女に対する親愛の情などそこまで抱いていないのだから。
(あそこまで暴れてやったんだ! 念入りに! 俺もドン引きするくらいに暴れまわったんだ! 流石の彼女も内心では怖がっているはずだ! 俺が自分には手に負えない化け物だって!!)
(怖がってくれているはずだ!!)
そんなスコットの涙ぐましい努力も虚しく、先程の戦闘で彼はドロシーのハートを更にガッチリと掴んでしまっていた。
(や、やだ……どうしよう。スコット君の目……本気だよ。スコット君は僕に告白する気なんだ……! どうしよう、どうしよう! 素直にオーケーするべきかな……! それとも焦らした方がいいの……!?)
(教えてお姉ちゃん! お義母様! ドロシーは彼の想いをこのまま受け入れるべきなの!?)
完全に乙女モードに入ったドロシーにはもう彼の必死な形相は自分への愛情の現れにしか見えなかった。
「実は俺……社長に、お別れを言いに来たんです」
「えっ?」
「……俺はもう……社長とは一緒にいられません」
スコットは自分の本心を告げた。
(これでいい。彼女は震えて俺の顔色を伺っている……怖がっている証拠だ! いける! 俺を辞めさせてくれるはずだ!!)
(いや、別に本気で社長が嫌いって訳でもないけど……あんな姿を見られたらもう一緒には居られない!!)
スコットの本気の告白を受け……
(やだ、なんて不器用な子なの! キュンときちゃう!!)
ドロシーは目を輝かせて盛大に勘違いした。
(もー、もーっ! 素直に僕と一緒にいたいって言えばいいのに! やだぁ、この子可愛い!!)
(や、やっぱり最初は社員として受け入れたから遠慮しちゃってるかな!? 最初からパートナーとして選ぶべきだったかな……ううっ! ごめんね、スコット君! これからは気をつけるよ!!)
ロマンチックも華もない緑の血肉に染まった街中で、物言わぬ死体となった人っぽい豚に見守られながら、ドロシーは数十年ぶりの本気の恋心に目覚めていた。
「……」
「そ、それじゃあ俺はこれで。皆さんにもよろしく言っておいてください……」
彼女の反応から確かな手応えを感じたスコットはその場を離れようとする。
(うん、これくらいでいい。マリアさんも言ってたしな、好きでもない人にちゃんとしたお別れを言う義務はないって。いや、嫌いでもないんだけど……これでいいよな)
スコットは清々しい顔で空を見上げる。
ここまで心が晴れたのはいつぶりだろうか。
悪魔の力との正しい付き合い方を覚えた彼にもう悩みはない。
蓄積した鬱憤を全て受け止めてくれた懐深いゲテモノの尊い犠牲を糧に、これから新しい人生を歩もう……そう思った時だった。
「ふふっ」
別れの挨拶を済ませた彼の手をドロシーはガシッと掴む。
「……社長?」
「うん、合格」
「へ?」
「流石はスコッツ君、僕が君に与えた最後の採用試験をクリアしたようね」
ドロシーはニコッと笑いながらそんな事を言い出した。
「うーん、凄いね。やっぱり運命ってあるんだねー、殆どの人はあのまま逃げ去るのにー」
「え、えーと……俺は」
「しかも一番の難関である『嬉しがる僕にお別れを言う』をあっさりとクリアしちゃうなんて。凄いよ、君は! 流石は期待の新人君ね!!」
彼女は満面の笑みでそれっぽい出任せを言う。
「いえ、社長。俺は本気でお別れを」
「あはははー、もういいからー! 君の気持ちはちゃんと僕に伝わってるから!!」
「いやいや、いやいやいやいや! 俺は気持ちは本気ですって! 本気でお別れしたいんですって!!」
スコットの本気の訴えを正反対の意味で受け取ったドロシーはもう止まらない。止まれない。
「それじゃあ、家に帰りましょうか! 今日はデイジーちゃんも加えて君の歓迎パーティーよ!!」
「はぁ!?」
彼女、二桁区の嗤う魔女ことドロシー・バーキンスはこの若き悪魔に本気で恋をしてしまったのだから。