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「……あら、どうやら何とかなりそうですわね。体を張った甲斐がありましたわ」
身体中から血を吹き出しながらマリアはホッと胸を撫で下ろす。
今にも魔法の巻き添えになろうとしているのに彼女は落ち着いており、その表情はむしろ安堵していた。
「マ、マリア……!」
「早く離れてください、ニック様。此処に居ると巻き込まれますわよ」
「だが、このままだと君が……!」
「お気になさらず、どうせもう死んだ身ですもの。今更惜しむ命もございませんわ。可愛い娘も二人ほど授かりましたしね」
「そうでございましょうな」
そんなマリアの隣で老執事はボソッと呟く。
「ア、アーサー!? いつの間に……」
「あら、どうしたのアーサー君? ブリジットさんは?」
「安全な場所に置いてきました。ニック様、此処に居ると危ないですぞ、早く離れてください」
「待ってくれ、マリアが……!」
「ご心配なく」
老執事はニックの腕を掴んで思い切り放り投げる。
「アッ、アーサー!?」
「貴方が気に病む事はありません、勇者殿」
そして強引にニックを逃がすと、襟元を直してふぅと溜息を吐いた。
「アーサー君?」
「何でしょうか、マリアさん?」
「此処に居ると危ないわよ?」
「そうでございましょうな」
「なら、どうして逃げないのかしら?」
「さぁ、どうしてでしょうな」
「……ふふっ」
何故か傍を離れようとしない老執事を見てマリアは微笑む。お互いに不器用な男(女)だと思いながらも、決して口には出さずに胸の奥にしまった。
「さぁ、撃ちなさいセオドーラ。早くしないと私達が出てきてしまうわよ? 大事なファミリーの覚悟を無駄にする気?」
インレは魔法を撃てずにいるドロシーを煽るように続ける。
「インレ……!」
「あの女がそこまで大事? ルナ達やこの街よりも?」
「……っ!」
「大切なものを守るためなら何だってしてきたのがセオドーラよ。貴女も今までの子達を見習って、それなりの覚悟を見せるべきじゃない?」
ドロシーは震えながら杖先をインレに向ける。
ここで迷ってはいけない。1対1ですらもう勝ち目がない相手がまだ後2人も残っているのだ。それを一網打尽に出来る千載一遇のチャンス。これを逃せば彼女にはもう勝ち目はないだろう。
「……ううっ、ああ……!」
彼女は勝たなければいけない。この街を守る為にも、そして自分の代まで戦い続けてきたかつてのドロシーの為にも。彼女には迷う権利すら無いのだ。
「あああああっ!」
覚悟を決めたドロシーは叫ぶ。
インレは自分ごとマリアを消し飛ばす選択をしたドロシーに満足気な笑みを向け、その向こう側に居るマリアもドロシーの選択を甘んじて受け入れた……
「また遊びましょう、セオドーラ。次に会う時は」
――――パキィィィィィンッ
インレの遺言を打ち消すかのように、空から割れるような事が聞こえてくる。
「? 何────」
不意に聞こえた音に気を取られ、ふと空を見上げた彼女の視界は巨大な青い拳で埋まる。
────ドゴォンッ!
顔面に拳をぶち込まれままインレは地面に叩きつけられる。インレを中心として地面にはどデカいクレーターが刻まれ、周囲に悲鳴とも怒号ともとれない珍妙な叫びが木霊した。
「……えっ」
ドロシーは目の前で何が起きたのか理解出来ず、ポカンとするしか無かった。
「……え、え? 空? 何? 割れて? 降って? 何が……」
『やったぞ、ドロシーッ!』
『おまたせー!』
『約束は果たした! 私達は成し遂げたぞーっ!!』
「……はえ?」
続けて聞こえてきたのは自分とそっくりな愛らしい声。
上の空のままドロシーが上を向くと、空に開いた割れ目から見覚えのある巨大なUFOがドドンと顔を覗かせた。
「……」
精神的に限界まで追い詰められていたドロシーは頭の中が真っ白になり、口を開けたままゆっくりと視線を下げた。
「……嘘、でしょ」
ついにドロシーは思考を放棄した。
下げた視線の先に居た誰か。クレーターから巻き上がる土埃の中心に、今日この日まで求め続け、恋焦がれていたあの男の姿があったのだから。
「……あのさぁ、少しは空気を読んでくれないかなぁ……頼むよ」
その男は叩きつけた拳を地面から引き抜き、心底うんざりしたように吐き捨てる。
「ようやく帰って来れたってのに! なんでお前の顔を見なきゃいけねんだよ!!」
その男、スコット・オーランドは地面の染みになったインレに向かって吠えた。
「あー、あー! そうですね、そうですよねぇ! 神様が俺のために気を利かせてくれるわけないよねぇ! そりゃそうだよ、身に沁みてるよ! はっはっ! 何を期待してたんだろうな、俺は! はっはっはぁ────っ!!」
「……死になさい」
「おあああっ!?」
神に向かって魂の叫びをぶちまけるスコット。
そんな彼に地面の染みになったインレが憎々しげに吐き捨てながら白い槍を突き出して反撃をする。危うく串刺しになるところだったが、スコットは思い切り後ろに跳んで回避した。
「クソがっ! 本当に最悪だ! よりによってなんで今日なんだよ! ふざけんなよ、俺にも我慢の限界ってのがあるんだぞ!?」
「あらあらあら……なんということでしょう。まさかこのタイミングで貴方が帰ってくるなんて……」
「あ、どうも、お久しぶりですマリア……さぁぁぁぁぁぁぁん!?」
スコットが跳んだ先に居たのは血塗れになったマリア。全身から血を吹き出して困った顔をする彼女にスコットは再び叫んだ。
「だ、だ、大丈夫ですか!? どうしたんですか、その血ぃ! 全身血だらけですよ!?」
「はぁ、本当なら喜びたいところなのですが、今回ばかりはそうも言っていられませんの。どうしてくれるんでしょう、貴方のせいでこの世界はオシマイですわ」
「ナンデ!?」
久方ぶりの再会を喜ぶどころか悲しみの表情で世界終了を宣言するマリア。当然ながらスコットは困惑した。
「俺のせいで世界がオシマイってどういうことですか!? 俺、何か悪いことしました!?」
「そういうわけでもないのですが……ああ、もう時間切れですわね。私なりに最善は尽くしたつもりなのですが……」
「まるで意味がわかりませんよ!? とりあえず俺でもわかるよう簡単に状況を説明して」
「……その必要は、ありませんわ」
マリアがそう言った瞬間、腹部から巨大な白い鋏が突き出し 内部から彼女の身体を両断した。
「……」
「────という、わけですわ。私に説明される前に 自分の目で確かめなさい……」
地面にずり落ちたマリアの半身が申し訳無さそうに笑いながら言う。
「……全く、心底不快な女だわ。最悪な気分よ」
「ふふふ、意外と心地良かったわ。機会があればまた入りたいくらいよ」
残された半身は黒い泥のように崩れ落ち、地面に広がった黒い水溜りの中からは血で染まった二人のインレが這い出てきた……
「……お前は確か」
「あら、貴方は」
「ふっっ……ざけんな、コラァァァァァ────ッ!!」
いきなり目前で展開される筆舌に尽くしがたい惨状。
顔に飛び散った血を拭うよりも早く、状況を理解するより先に、スコットは顔面蒼白で二人のインレを全力で殴り飛ばした。