28
悲しみの向こうへと
「あ、ああ……ッ!」
アルマとデイジーが倒れてニックが負傷、マリアもインレを封じた代償で身体が崩れつつある。
そのあまりにも絶望的な状況は、今のブリジットには到底受け止められなかった。
「ア、アーサー様……アーサー様……! 一体、どうすれば……!」
ブリジットは縋るように老執事に問いかける。
「……」
「アーサー様……! 私は」
「さぁ、私に聞かれても困ります。ご自分で考えなさってください」
老執事はブリジットの肩をポンと叩くと、静かな口調で怯える彼女に言う。
「もっとも、今の貴女に戦うのはもう無理でしょうから車に戻られるのをお勧め致します」
「ア、アーサー様……?」
「では、また後ほど」
「お、お待ちください! 何処へ、何処へ行くのですか!? わ、私一人では……」
「はぁ、こういうことはあまり言いたくないのですが」
震える手でスーツの袖を引くブリジットの手を払い、老執事はため息混じりに言う。
「私は貴女の保護者ではありません。いつまでも凹んでばかりの貴女の面倒など見切れませんし、そろそろ嫌になってまいりました。なので、貴女にはこのまま立ち去っていただくのが一番有難いのですよ」
「アーサー様……?」
「スコット様がいなくなった事に責任を感じるのは勝手ですがね、誰も貴女にそんなもの望んでいないのですよ。そもそも貴女は悪くありませんし、責任を感じる必要すらないのです。彼が勝手にいなくなっただけなのですから」
「で、ですが……私は」
「いい加減に自分を許してあげなさい。車の鍵は開いておりますので、それでは……」
ブリジットを置いて老執事はスタスタと歩き出す。
後ろからはまだ呼び止める声が聞こえたが、彼は振り向かなかった。澄まし顔で歩みを進める彼の靴先は何故か自然とマリアの方に向いていた。
「大丈夫よ、二人共。すぐに治してあげるから……お願い、白児兎」
〈きゅんっ〉
傷つき倒れるアルマ達の側にルナが駆け寄ると、肩に乗せていた二羽の小兎がぴょんと跳ねる。一羽がアルマに、もう一羽がデイジーの所に向かい二人の傷を癒やしていく。
「アルマ、しっかりして。大丈夫、その傷もすぐに治るから……」
「……ルナ」
「ああ、良かった。気がついたのね……」
「……なぁ、聞いていいか……」
「どうしたの、アルマ?」
「……あたしは、出来の悪い子……なのか?」
ルナの膝の上で目を覚ましたアルマは彼女の目を見つめながら弱々しい声で言う。
「……アルマ?」
「アイツが言うんだ。あたしは駄目な子だって……不細工なものしか作れなくて、力も弱くて……」
「そんなことないわ。貴女は凄い子よ。誰よりもドリーを大事にして、あの子の為に戦ってくれているじゃない。そんな悲しいことを言わないで」
「……なら、どうして……あたしはあの子を守れないんだ」
アルマは悔し涙を滲ませながらインレと戦うドロシーに手を伸ばす。
「あたしが、守ってやらなきゃいけないのに。あの子を守るって、あの子の代わりにあたしが戦うって約束したのに。どうして、どうしていつも守れないの……どうして……」
「……」
「どうして、あたしはこんなに弱いんだ……」
ルナはアルマの手をギュッと握る。
アルマは決して弱くない。どんな物も武器に変換する力を持ち、常人を遥かに越えた身体能力と頑強さを持つ。そんな彼女が手も足も出ない程、あのインレが強すぎるだけなのだ。
「どうして、あの子だけに……!」
だからこそアルマは悲しんだ。愛するドロシーが戦っているのに、助太刀することも出来ないのだから。
「ぐ……ッ!」
「駄目よ、アルマ。まだ動かないで……!」
「畜生、畜生……ッ!」
「アルマッ!」
「うううっ……!」
立ち上がろうとするアルマをルナは必死に抑えつける。
アルマが受けた傷は彼女が思っている以上に深く、無理に動けば死んでしまう。それでもアルマはジッとしていられなかった。
「畜生っ、ああああああっ!」
「アルマ、お願い! 動かないで! もう少しだけ堪えて……!」
「何でだよ……ッ! 何で、あの子だけに全部背負わせなきゃいけねえんだ! いいじゃねえかよぅ! あたしが一緒に戦っても! あたしに……あの化け物と戦える力があってもさぁ!!」
「アルマッ!」
「……もう、泣きながら戦うあの子は見たくねえよ。あの子には、あの子だけは、幸せになって欲しいんだよ……!」
アルマはそう言って悔しそうに目を覆う。悲痛な言葉にルナも何も言えずにギュッと彼女を抱き締めた。
(……そうね、私も……幸せになって欲しかったわ)
アルマを抱き締めながらルナは心の中で呟く。
(私も貴女と同じよ。あの子の代わりに私が戦えるなら……いつもそう考えているわ。あの子には幸せになって欲しいから)
周りを見渡しても、目に飛び込むのは悲しみばかり。
ニックは立ち上がれず、アルマとデイジーは重傷、二体のインレを抑える代償にマリアの身体は今も傷つき続け、心が折れたブリジットは呆然と立ち尽くす……
(……こんなに悲しい光景は、例え夢でも見たくなかったわ……)
胸を裂くような悲しみに潤むルナの瞳に、たった一人で化け物と戦うドロシーの姿が映し出された。
「くっ……、このおっ……!」
「うふふふ、どうしたのセオドーラ? 動きが鈍くなってるわよ? 魔法の威力も弱まってるじゃない」
「うるさい……うるさい、うるさい、うるさいっ!!」
インレと戦闘するドロシーも決め手を使えぬままジリジリと追い詰められていく。
魔力の残量を示す腕の紋章の光も弱まり、魔法の威力も目に見えて落ちている。もはや真正面からの魔法の撃ち合いでは押し負けるようになっていた。
「そろそろ使うべきじゃないかしら? じゃないと、負けてしまうわよ?」
「う、うううううっ!」
「ああ、そうね。私だけに使っても意味がないわね。それじゃあ……」
インレはくすりと笑うと急に空中で動きを止める。
「……!?」
「さぁ、撃ちなさいセオドーラ。ここで魔法を撃てば貴女の勝ちよ」
「な、何を……!?」
そう言って無防備に両手を広げるインレの姿にドロシーはハッとする。
インレの後方……丁度、魔法の射線上にマリア達が居たのだから。
「ここで撃てば私も、あの女の中にいる私達も消し飛ぶわ。それで今日の遊びはオシマイ、貴女の大事なこの街も無事に明日を迎えられるの」
「インレ……、貴女……ッ!」
「貴女はこの街を守る為に私と戦っているんでしょう? なら、いいじゃない。あの女一人くらい居なくなっても。貴女にはまだ家族が居るんだから」
「インレ……ッ!」
「ふふふ、今日の私はとてもいい気分なの。貴女と沢山遊べたし、貴女の可愛い顔をじっくりと見れたから。もう満足よ……だから、今日は特別に勝たせてあげるわ」
インレは満足げに微笑んで言った。
その言葉に、その表情に、ドロシーは気が遠くなるほどの怒りを覚る。彼女にはもうインレしか見えていなかった。彼女の意識は完全にインレだけに向けられ、それ以外の情報は何一つ頭に入ってこなかった。全く気づいていなかったのだ。
────ピシ、ピシ、ピキンッ
白く輝く眩い空に、大きな亀裂が入っていたことに。
辿り着く準備はオーケー?