25
いつの間にか、泡が弾ける音は聞こえなくなった。
耳障りな歌声も聞こえなくなった。
周囲には金色の水溜りが無数にあり、不愉快なまでに甘い香りが鼻を突く。
「……ああ、本当に。うんざりするわ」
ドロシーは顔についた金の血糊を拭い、重い溜息を吐きながら曇った眼差しで前方を見据える。
「そうかしら、セオドーラ。私はとても気分がいいけれど」
彼女の目前に現れた人の形をした災厄。白銀の少女 インレは上機嫌に呟いた。
天使の掃討は滞りなく終わった。あれらの対処自体は然程難しくはない。ただ触れられる前に攻撃するだけでいい。数は多いが、それだけだ。以前と違って異常管理局の職員にも被害は出ていない……
だが、このインレが目覚めてからは覚悟を決めなければならない。
天使の群れの掃討も、最後に現れる主天使との戦いも、彼女に相見える為の前座でしかないのだから。
「どうしたの? 今日の皆は元気がないわね」
「……貴女には関係ないじゃない」
「ふふふ、そうね。私には関係ないわね」
「……」
「ところでセオドーラ、貴女の大好きなボウヤはどうしたの?」
インレが微笑みながらそう言った瞬間、彼女の顔半分が吹き飛ばされた。
「貴女には関係ないって言ってるのよ!」
激昂したドロシーはインレに向かって魔法を連射、自分と瓜二つの少女の身体を穴だらけにしていく。
「うふふっ、ひょっとして振られちゃったの? セオドーラ」
「うるさい! うるさい! うるさぁい!!」
「それとも、また先に死んでしまったの?」
「うるさいって、言ってるでしょ!」
「可哀想なセオドーラ。貴方が好きになる男はいつもいなくなってしまうわね」
「うるさぁぁぁぁぁぁいっ!」
「ふふふふっ」
魔法の集中砲火を受けてもインレは笑い続け、ドロシーの術包杖が焼け切れた一瞬の隙を突いて彼女との距離を詰める。
「どうしたの、セオドーラ? こんな魔法じゃ私は倒せないって知ってるでしょう?」
インレはくすくすと笑ってドロシーの額をツンと指で突く。
「……ッ!」
「あら、ひょっとしてアレが今の貴女の本気だったの? もしそうならごめんなさいね」
「このっ!」
「ドリーちゃんに触んな、コラァァァァーッ!」
アルマはドロシーに触れるインレの右腕を黒刀で切り落とす。続けて左腕も切断し、間髪入れずにそのまま頭を切り飛ばした。
「ドリーちゃん、大丈夫か!?」
「相変わらず、アルマは不細工な武器しか出せないままなのね。出来の悪い子だわ、本当に」
「うぅるせぇぇぇぇー! てめぇは黙ってろ、クソ女ァァァー!!」
両腕と頭を失ったインレの身体をアルマは蹴り飛ばす。インレは地面を転がりながらすぐに頭と腕を再生し、何事もなかったかのように立ち上がる。
「貴女の相手をする気はないの。死にたくなければ退きなさい」
「では、私達の相手はどうかな! 大天使さん!!」
「!」
立ち上がったインレの身体をニックの剣が断ち切る。
「お前、は……」
「まだまだ! 悪いが、今日の私は容赦しないぞ!!」
不意の一撃を与えた後も二撃、三撃、四撃と容赦ない連撃を入れ、彼女の身体をバラバラに解体。
「よし、今だっ!」
可能な限り刻んだ後、ニックは合図を出して横に避ける。
「い、夢幻剣ァ────ッ!!」
続けて襲い掛かるのはブリジットの魔法剣。
アーサーに見守られながら無数の青い剣を放ち、インレが再生する前にその身体を刺し貫いて壁に貼り付けにした。
〈コイツはオマケだ、貰っとけぇぇーっ!!〉
デーアハトの亡骸を身に着けたデイジーが追い打ちとばかりに右腕の砲塔から砲丸を発射する。放たれた砲丸は空中で分解し、内部から電磁ネットが飛び出してインレに覆いかぶさり強烈な電流を食らわせる。
「流石ですな、皆さん」
〈いつまでもやられたままだと思うなよ、コンチクショー! ほんの一部でもオレの苦しみを思い知れ、バカヤローッ!!〉
「うう、このくらい……このくらい……誰にでもっ!」
「そう謙遜なさらずに。ブリジット様の技は誰にも真似できませんよ、その技で沢山の天使を退治し、私を助けてくれたではありませんか。そろそろ自信を取り戻してください」
「奴の動きを封じた! 後は頼むぞ、ドロシー!」
ニックの言葉を聞いてドロシーは僅かに肩をビクつかせる。
無意識の内に周囲に視線を動かし、まさかの出来事が起きないかと期待した。偶然か奇跡でもいい。せめて彼の姿だけでも見れないかと。
(……あはは、馬鹿だね。何を期待してるの、僕は)
だが、そんなものは起こらなかった。
この街に、彼はまだ戻ってこない。
ドロシーは切なげに笑うと、杖を捨てて意識を集中する。インレはダメージこそ受けていないがまだ身動きが取れないようだ。このまま全力を開放すれば、すぐに決着がつくだろう。前のように皆が傷つかずに済みそうだ。そう考えると心が少しだけ楽になった。
「……そうでしょうね、いつまでもやられてばかりじゃいられないわね。貴方達を甘く見ていたわ。流石は、あの子の……」
動きを封じられたインレは抵抗する素振りを見せず、それどころか彼らを褒めるような素振りを見せる。
「でも、それに何の意味があるの?」
しかしすぐに冷たく言い放つ。既にドロシーの変身は完了し、切り札であるウヴリの宝杖を構えている。それなのに彼女は不敵に笑い……
「今日の私が、今までの私と同じだと思っているの?」
貼り付けられたインレの身体がまるで包帯のようにバラバラと解ける。
解けたパーツは白い蛇のように突き立った剣の刃と網をすり抜け、そのまま再生することなく子供程の大きさの三つの塊に分かれて集まっていく。
「……!?」
不気味な動きを見せるインレにドロシーは警戒する。既に魔法のチャージは完了しているが、嫌な予感を覚えた彼女はすぐに魔法を放てず 蠢く白い塊達を前に息を呑むしかなかった。
「例えば、こんな風に」
「私一人じゃなくて」
「私達が相手なら」
「「「どうするのかしら?」」」
そして三つの塊は三人の少女の姿に変貌し、呆気に取られるドロシー達を誂うようにくすくすと笑った。