16
『彼の事は私達に任せろー!』
『ヤモーッ!』
『きたいしてまっててねー』
カーテンも閉め切った薄暗い寝室のベッドでドロシーは横になっていた。
「……」
彼女の目は虚ろげでドアの向こうから聞こえるヤリヤモ達の声にも無反応。妹のように可愛がっていたヤリヤモの言葉も閉ざされた彼女の心には響かない。
「ドリー、お返事くらいしてあげてもいいじゃない」
ベッドの隣に置かれた椅子に腰掛けながらルナは声をかけるが、ドロシーは彼女の言葉にすら沈黙を貫いた。
「……」
「みんな、貴女を心配しているわ。そろそろ部屋を出て顔を見せてあげて。アーサー達だけじゃなくてロザリーや警部さんからも電話が来ているのよ」
「……」
「ドリー」
「……もう、夢が見れなくなったのよ。お母様」
ドロシーは細く消え入るような声で言う。
「もうすぐ街にあの子が来るわ。そうしたら、僕も戦わなきゃいけなくなるの。今までの僕がそうしたように」
「ドリー……」
「そして、僕は僕じゃなくなるの……」
シーツで目深く顔を隠し、ドロシーは声を震わせる。
「スコット君に会えないまま、僕はいなくなっちゃう……!」
その言葉はルナにしか言えない彼女の本音だった。
インレは肉体を滅ぼされても何度でも蘇る。その周期は曖昧で数週間という短期間から約1年まで伸びる事もある。だが復活の時期が近づくと、ドロシーは夢を介してある人物から警告を受ける。
そしてその警告を最後にドロシーはもう夢を見なくなる。
ドロシーが夢を見なくなったその日の近日中にインレは再びこの街に現れる。夢の終わりとインレ復活の因果関係については不明だが、彼女があの怪物と戦う時はもうすぐそこまで迫ってきているのだ。
「ドリー、大丈夫よ。スコット君は必ず戻ってくるわ」
「もう騙されないよ、お義母様。もうわかってるんだから」
「騙してなんてないわ、ドリー。私はちゃんと見たの……貴女の隣に彼が居る未来を」
「それは僕じゃなくて、次のドロシーなんでしょ!!」
「違うわ、ドリー」
ルナはベッドに座ってシーツ越しにドロシーの頭を撫でる。
「私は家族にだけは嘘を吐かないの」
「……ッ」
「彼は貴女のところに戻ってくるのよ。次のドリーじゃなく、今の貴女の傍に」
「……それが、ただの夢だったら……?」
ドロシーはシーツから顔を出し、瞳を濡らしながらか細い声で聞く。
「それがただの夢じゃないと、私は信じているわ」
不安げなドロシーの優しく笑いかけながらルナはそっと彼女の額にキスをした。
(あれは夢なんかじゃないわ……)
(そうでしょう? スコット君……)
眠り眼で覗いた光景が夢ではないと信じ、遠い世界に居るスコットにそう問いかけた。
◇◇◇◇
「そう、貴方の名前はスコットというのね」
場所は変わって遠い世界。テーブルに運ばれてきたオムレツに手を付けずにこの世界のルナは言う。
「……はい、スコットです」
「不思議と親近感が湧く名前だね。どうしてかはわからないけど、名前だけで気に入ったよ」
「……どーも」
大きく腫れた頬を氷袋で冷やしながらそんなことを言うウォルターにスコットは何とも言えない気分にさせられた。
「ああ、遠慮しないで食べてくれ。そのオムレツセットは僕の奢りだよ」
「えと……すごく言いにくいんだけどさ。ちょっと食べにくいというか……」
「タクロー君、彼女が怖がってるから暫くアトリちゃんだけを見ていてくれないか? 僕は大丈夫だけどさ、その顔は初めての人には刺激が強いよ」
「あー、殺したーい。死なせたーい」
涼しい顔で憎まれ口を叩くウォルターに毒づきながらタクロウはアトリの方を向く。
「さて、少し話は逸れたけど……君はこの世界とよく似た別の世界からやってきたスコット・オーランド君ということでいいんだね?」
「はい、そうです。どうやって来たのかは俺もわかりません……」
「そして君の世界にも魔法があって、他にも様々な超能力者や異世界人が沢山居て、果てには異世界に繋がる穴が時々開いたりすると」
「……はい」
「楽しそうな世界だね、是非一度彼女を連れて旅行してみたいものだ」
オムレツが運ばれてくるまでの間にスコットから聞いた話を振り返り、ウォルターは興味津々の様子で腕を組む。
「君の世界で生まれていれば、僕ももう少し気楽に暮らせていたかもしれないな」
「この世界だと魔法は珍しいんですか?」
「テレビ番組で使うとインチキ呼ばわりされるくらいにはね」
ウォルターは皮肉げに笑ってフォークで掬ったオムレツを口に運ぶ。
「もぐもぐ、実を言うとこの世界にも魔法使いの住処というものがあってね。僕みたいな物好きを除いて大多数の魔法使いはそこで暮らしてるんだ。ちなみにこの事は他言無用でお願いするよ」
「そうなんですか……じゃあ、ウォルターさんはどうして此処に?」
「そこだとこのオムレツが食べられないからだよ」
そう言って美味しそうにオムレツを食べるウォルターを見てスコットは『でしょうね』と小声で呟く。
ドロシーもタクロウのオムレツが食べたくて治安の悪い13番街区まで態々足を運んでいる。彼の作るこのシンプルな卵料理にはどの世界でも厄介な眼鏡を引き寄せる呪いがかけられているらしい。
「……まぁ、確かにこの世界のタクロウさんのオムレツも美味いですね」
「それと向こうにいる魔法使いのお偉いさんと折り合いが悪くてね。特に何も悪いことをしてなくても目の敵にされるんだ。酷いよね」
「……ひょっとしてその人はロザリーって名前だったりしません?」
「おや、よくわかったね。ひょっとして君の友人だったりするのかい?」
「まさか。いくら美人でもろくに話を聞かずに殺しにかかってくるような人とは仲良くなれませんよ」
「ははは、だよねー! 彼女と友人になれる男が居るとすればそれはもう運命のお相手だよ」
「ははは……」
ウォルターは予想通りとでも言いたげに満面の笑みを浮かべる。
どうやらこの世界の大賢者も相当面倒くさい人物であるらしい。ウォルターの言う【魔法使いの住処】も少し気になっていたが、彼女がいると聞いただけでその興味は一気に霧散した。
「ところで今更ながら聞いておきたいんだけど、スコット君はそっちの世界のルナといい関係だったりするのかい?」
そしてそれなりに柔らかい空気になってきたところで、ウォルターは再びその場が凍りつくような空気の読めない事を言いだした。




