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「本当に大丈夫? 荷物持つのを手伝おうかしら?」
「大丈夫、荷物と言っても母さんが持ってきてくれたスーツケースしかないし。身体も何処も痛くないからさ」
「でも……」
「大丈夫だよ、母さん。ありがとう」
場所は変わって別世界のフィラデルフィア。退院日を迎えたスコットは心配する母親に笑顔で返事する。
(……向こうだと最後に母さんと話したのはいつだっけな)
元の世界の両親とは殆ど絶縁状態であり、こちらを心配そうに見つめる母親を見ると不思議な気持ちにさせられる。姿も声も心配性で優しい性格も彼の知る母親そのものだが、それ故に此処は別世界なのだと実感してしまうからだ。
元の世界の両親に何も伝えず家を出た為、本当の母親はスコットが今何処に居るのかも知らないのだ。
「今日はまだキャサリンちゃん来てないのね。昨日までずっと貴方と一緒にいてくれたのに」
「はは……そういう日もあるよ。仕事が忙しくてまだ寝てるのかも知れないし」
「今から電話を入れようかしら?」
「いいよ、後で俺から入れておくから」
更に付け加えると元の世界の両親はキャサリンとの面識も無い。
その少ないながらも決定的な違いがスコットを苦悩させる。『もしも』『こうなっていれば』と心の何処かで望んだものがこの世界では現実となっており、悪魔の力さえ無ければここは彼の望む世界そのものなのだ。しかし皮肉な事にこの世界のスコットはその悪魔の力が宿らなかったのが原因で死亡している……
(……どっちの世界でも、俺は結局キャサリンと一緒になれないってことか)
ここまでくるともう呪いだ。
スコットはうんざりするような笑みを浮かべて病室を出るが、部屋を出た瞬間にキャサリンとばったり顔を合わせた。
「……んん!?」
「あ、スコット!」
「キャサリン!? 何で!?」
キャサリンの来訪に思わず後退る。また彼女が会いに来てくれるとは思いもしなかったからだ。
「何でって……会いたかったからに決まってるでしょ! 言わせないでよ、恥ずかしい!!」
困惑するスコットに対してキャサリンは照れくさそうに言い返した。
「え、いや……でも……キャサリンはアレを見ただろ!? すごく怖がってたじゃないか!」
「確かに最初はビックリしたけど……お酒がぶ飲みしてぐっすり寝たらどうでもよくなったわ!」
「どうでもよくならないで!? 本当にアレはヤバいんだよ! ちょっとでも力んだらキャサリンなんて一瞬で」
「甘く見ないでよ、スコットちゃん! こう見えてあたしはタフな女なのよ! ちょっと大きくて逞しいアレが生えてるぐらいで怖気づくような女じゃないんだから!」
「いや、本当にヤバいんだって! 後で改めて説明するけど、アレは」
「ふふふ、若いっていいわねぇ」
スコットとキャサリンの言い合いを見て母親は満足げな笑みを浮かべる。
「じゃあ、私は先に帰るわね。今日はまだ私もパパもフィラデルフィアに居るけど、明日には出ていくから用事があるなら今日中に言ってね」
「え、あ、うん……ありがと」
「でもスコット? キャサリンちゃんと仲睦まじいのは良いんだけどここは病院よ? 時と場所は弁えなさいね?」
「えっ? あの、母さん?」
「この子をお願いね、キャサリンちゃん。もしも悩み事があったら一人で抱え込まずにいつでも相談してちょうだい。他人には話しにくいことでも構わないわ、ちゃんと相談に乗ってあげるから」
「あ、うん……ありがとう。お母さん」
スコットの母親は妙に上機嫌に手を振りながら小走りで去っていく。
「……」
「とりあえず帰りましょうか」
「……そうだね」
何故か悪寒を感じつつ、スコットはキャサリンと病院を後にした。
「へーっ、アンタの世界の身分証ってこうなってるのねー」
病院を出てすぐの所にある公園のベンチに腰掛け、キャサリンはスコットの住民カードを興味津々で見つめる。
「こっちの両親や医者の先生には見せてない。面倒なことになりそうだしな」
「あれ、よく見たら財布のお金も変じゃない? アンタが使ってるお金は$じゃないの?」
「これはL$と言って俺が住んでる街の通貨だな。US$はもう暫く使ってないよ」
「へー……このお札に描かれてる人は? すごい美人だけど」
「……その街で一番偉い人だな。名前は知らない、興味もないし」
スコットはL$紙幣に印刷された大賢者の肖像画と目を合わせないようにそっと財布に戻す。
「アンタは本当に別世界から来たのね」
「ああ、どうやって来たのかは俺にもわからないけどな」
「アンタの世界ってどんな所なの?」
「……」
キャサリンに元いた世界の事を聞かれ、スコットは無言で空を見上げる。
「……スコット?」
「……控えめに言っても地獄だったけど、まぁまぁいいところだったよ」
「地獄なのにいいところってどういうことよ」
「俺には地獄が合ってるってことなんだろうさ」
「あはは、何よそれ! 変なのー!」
「そうだよ、俺は変な奴なんだ」
スコットの答えを茶化すように笑うキャサリンに彼は真顔で返した。
「大切な人を失っておかしくならない奴なんていないよ」
「……アンタの大切な人は?」
「……聞かないほうがいい」
「じゃあ、それでも聞きたいって言えば教えてくれるの?」
「……」
「……そう」
固く口を閉ざすスコットの肩にもたれ掛かり、キャサリンは鬱々とした溜め息を漏らす。
「まぁ、何となくわかってるんだけどね」
「そうか……」
「病院でアンタが言ってたもの。あたしは死んだってさ。こうして生きてるのに死んだってどういうことなのって、その時は思ってたんだけど……」
「……」
「そう、アンタの世界じゃ……あたしが居なくなったんだね」
キャサリンが切なげに呟いた言葉にスコットは重苦しい沈黙で答えた。