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「砂糖とミルクは?」
「あ、いいです……そのままで」
コトンと置かれたティーカップにゆっくりと紅茶が注がれていく。
使用するティーパックはドロシーが懇意にしているロードリック紅茶店で購入したもので、店長が彼女のためだけに用意した特製ブレンドだ。
「……ふぅう」
カップに満たされた紅茶に自分の顔を映し、レンは魂が抜けるような息を漏らす。
(……あれ、ここはスコットの部屋よね? スコットは? どうしてスコットじゃなくてドロシーがいるの!?)
スコットを心配して彼の部屋を尋ねたはずが、迎え入れてくれたのはドロシー。彼女への苦手意識はだいぶ薄れてきているものの、まだ会話が弾むような相手ではない。
「ふー……で、どうして彼の部屋を知ってるの? レンちゃん?」
しかも今日のドロシーは見るからに不機嫌で、発言に細心の注意を払わないと魔法を撃ち込まれてしまいそうだ。
「ス、スコットから聞いたのよ。引っ越したんだって」
「そう……」
「と、ところでスコットは? 今日は留守なの?」
「……」
ドロシーはティーカップをコトンとテーブルに置く。睨んでいるとも憐れんでいるとも取れない複雑な視線を向けられてレンはゴクリと息を飲んだ。
(え、聞いちゃいけなかった感じ!? まさか喧嘩しちゃったとか……!?)
「レンちゃん」
「ひゃっ!? は、はいっ!」
レンが戦々恐々とする中、ドロシーは両手を組んで静かな口調で言う。
「スコット君はね、もういないの。彼はいなくなってしまったわ」
「……え?」
ドロシーの言葉にレンは目を見開く。
「な、何言ってるの? いなくなったって……」
「そのままの意味よ。少し前に12番街区で大騒ぎがあったでしょ? それに巻き込まれて行方不明になっちゃったの。それも多分、異世界にね」
「まっ、まっ、待ってよ! 急にそんなこと言われても信じられないわよ! ちゃんと説明を」
「この部屋に彼がいないのがその証拠よ」
戸惑うレンにドロシーは淡々と返した。
その表情には彼女の代名詞である笑顔は浮かばず、冗談を言っている様子も見られない。ただギュッと両手を組み、動揺するレンを見つめていた。
「い、異世界って言われてもさぁ! どうやってよ!?」
「あの騒ぎの中心に空間を操る化け物がいてね。そいつの力で送られちゃったんでしょうね」
「か、確証はあるの!? アンタはスコットがそうなるのを見たっていうの!?」
「見てないよ? でもね、どれだけ探しても見つからないのよ」
ドロシーはテーブルに手をついて立ち上がる。
「……あっ」
「探したのよ、皆で必死に探したの。でも見つからなかったのよ。僕だって見落としがあるんじゃないかと思って探しに行ったわ。でも見つけられなかったのよ……!」
「……」
「たとえ死体でも、腕一本でも見つけ出せてたらスコット君は僕の隣にいるよ! それすら見つけられなかったの!!」
ドロシーの声は段々と熱を帯びていく。
「スコット君はもういないのよ! この街の……この世界の何処にも!」
スコットがいなくなって一番悲しんでいるのは他でもない彼女だ。
当然、打てる手は全て打った。異常管理局にも協力を依頼し、12番街区の隅々まで捜索した。それでも見つけ出せたのは、彼のものと思しき血痕のみだった。
「……ッ!」
ドロシーの表情から深い悲しみと絶望を読み取ってレンは絶句する。
相手は自分のように無力な女ではない。魔法という絶大な力と生涯を費やしても使いきれぬ莫大な富と異常管理局とのコネクションまで持つリンボ・シティ最強の魔女だ。そんな何でもできるはずの彼女の顔に悲しみが宿るとはどういう事なのか……
レンは直感的にわかってしまったのだ。
「……そう、よね。スコットは、アンタの恋人なんだもんね。いなくなっても……絶対に見つけ出そうとするに決まってるよね」
「……当たり前でしょ」
「……ごめんなさい」
出された紅茶に口をつけることなく席を立ち、レンはドロシーに謝罪して部屋を出ようとする。
「……もし見つかってたら、スコット君はレンちゃん達に会いに行ってたよ。僕の目を盗んでね」
「……あはは、やめてよ。今夜も……寝れなくなるじゃないの」
レンは振り返ることなく部屋を出た。
「うう……ッ!」
零れ落ちそうになった涙を堪えてその場を走り去る。
胸の奥から込み上がる感情はいつしか叫び声となって彼女の口から溢れ、堪えたはずの涙もボロボロと溢れてしまった。
(何でよ……! ねぇ、何でよ!? 何でこういうことするの!?)
(別にいいじゃないの! こんなあたしでも、好きな男が出来るくらい! たまに好きな男と会って、お酒飲んで笑い合うくらいの幸せがあってもさぁ……!!)
(ねぇ、神様……ッ!!)
レンは泣きながら街を走り抜ける。
擦れ違う人々は怪訝な顔で彼女を見るが声をかけようとはしない。『ああ、また誰かが死んだのか』『可哀想に』とさも見慣れた光景であるかのように呟き、各々の日常に戻っていった。
「……せっかく淹れてあげたんだから、ちゃんと飲んでいきなさいよ」
一人残されたドロシーはレンのティーカップを見つめながら寂しげに言う。
瞳から不意に溢れた涙を指で拭ってドロシーは紅茶を口に運ぶ。大好きな紅茶を飲んでいるはずなのに、彼女の気分は晴れるどころか暗雲のように深く濃い霧に覆われてしまった。
せつなさみだれうち