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「ねぇ、お父様。お母様はどんな人だったの?」
温かな日差しが窓から注ぐ部屋で幼い姿のドロシーが父親に聞く。
「とても綺麗で素敵な人だったよ」
「私みたいに?」
「そう、まさに今の君のようにだ」
彼女の父親、ウォルター・バーキンスはにこやかな笑顔で言う。
子を持つ親としては非常に若々しい外見でどう見積もっても20代に届くかどうか。身長も低めで女性にも見える中性的な姿をしており、頭頂部にはドロシーとよく似たアンテナのような癖毛が生えている。
「じゃあ、私はいつかお母様よりもっと素敵なレディになるのね」
「ははは、そうだろうね。ドリーはお母さんよりも素敵なレディになるよ」
「そしてお父様よりも素敵な彼と結婚するの!」
「ははは、まだ気が早いよ?」
「ううん、そんなことないわ」
ドロシーは一枚の絵を取り出してウォルターに見せた。
「もうお相手は決めているもの」
描かれているのは青い大男を背中から生やした奇妙な風貌の男性。茶髪の男の背中からキノコのようにニョキっと生える青い大男の存在感にウォルターは顔をしかめた。
「わー、ドリーは絵が上手だねー。その子のお名前は?」
「この茶色い髪の子がスコット君で、この青い子はミスター・ブルー。凄く強くて素敵な人なんだから!」
「僕よりも?」
「お父様よりも」
「ははは、冗談キツいよ」
絵の中の男を指差して嬉しそうに話すドロシーに眼鏡を曇らせながらウォルターは乾いた笑いを上げる。
「本当に凄いのよ?」
「確かにインパクトは凄いけど、それだけで認められるほど僕は馬鹿じゃないよ」
「お義母様も認めたのよ?」
「ルナが認めてもだよ」
「むーっ」
顔を膨らませるドロシーに苦笑し、そっと彼女から絵を取り上げて白いテーブルの上に置く。
絵の中の男の無気力な顔が気に入らなかったので裏返すと、裏面にはドロシーが男と幸せそうに並んでいる絵が書かれておりウォルターは無言で床に捨てた。
「お父様、ひどーい!」
当然ながらドロシーはウォルターの冷たい反応に怒り、その脛をゲシゲシと蹴りつける。
「ははは……ところで、僕からも君に伝えたいことがあるんだけど」
愛娘に執拗に脛を蹴られても顔色一つ変えずにウォルターはパンと手を叩いて話を逸らす。
「なによー」
「そろそろ君のところにも彼女がやって来る。早くて明日……かな」
「むっ」
ウォルターは先程までとは打って変わって切なげな表情でドロシーに言う。
「もしかすると、君が夢を見るのも今日が最後かもしれない」
「……そう」
「すまない。幸せそうな君にこんなことは伝えたくなかったんだが……」
「ううん、わかってるよ。僕はもう大人なんだから」
ここでドロシーの姿が幼い少女からいつもの姿に変化し、机に置かれた紅茶に一口つける。
「僕はドロシーだもの。遅かれ早かれその日が来ることは知ってるわ」
「すまない」
「謝るなら僕じゃなくてスコット君に謝って?」
ドロシーにそう言われて床に捨てた絵をチラリと見るが、ウォルターは何も言わずに視線を戻した。よほど彼の存在が好きになれないのだろうか。
「……その彼とは、そこまで上手くいってるのかい?」
ウォルターは複雑な表情でドロシーに問う。部屋に注ぐ日差しは徐々に強さを増し、やがて部屋全体が光に包まれていく。
「勿論、彼と出会えて僕は本当に幸せよ」
光の中に消えていくウォルターに向かってドロシーは満面の笑みで答えた。
◇◇◇◇
「……んっ」
夢から覚めたドロシーが重い瞼を開ける。窓から注ぐ明かりから逃げるようにベッドで寝返りを打ち、ギュッとシーツを掴んだ。
「……」
ドロシーが眠るのはウォルターズ・ストレンジハウスの寝室ではなくスコットの部屋。
此処は黒い鉄塊デーアハトを発端とした騒ぎに巻き込まれて半壊したマンションの代わりに新しく見つけた新居で、まだスコットが引っ越して一週間も経っていない。
姿を消したスコットの面影を求めてドロシーは無断で侵入したが、却って寂しさが増しただけだった。
「……帰ってこないね」
不意にスコットが帰って来ないものかと僅かな望みを懐いて閉ざされたドアを見つめるが、そんな奇跡など起こりはしない。
「……家に帰らなきゃ。みんなが心配してるだろうし」
>ピンポーン<
「!!」
突然鳴り響いたインターホンの音でドロシーは飛び起きる。虚ろげだった瞳に光が灯り、胸の鼓動が一気に激しくなる。
そんなことは有り得ないと頭でわかっていても、もしかしたらという希望を捨てきれずに緊張の面持ちでドアへと向かう。
「……わかってる、わかってるよ。そんなはずないから」
>ピンポーン、ピンポーン<
「彼の部屋だもの。入るのにわざわざベルを鳴らす必要ないもの」
『もしもしー! ちょっと、スコットー!? 居ないのー!?』
ドアの鍵にドロシーの指がかかった時に聞こえたのは女性の声だった。
「……ほらね」
ドロシーはそっと目を瞑り、淡い希望に胸を躍らせた自分を自嘲するように笑いながら鍵を開ける。
「あ、いたいた……ってあれ!?」
「おはよう、レンちゃん。こんな朝早くにどうしたの?」
「え、えーっと……! どうしたって言われても……」
部屋を訪ねてきたのはレン。スコットと交友関係のあるホステスでドロシーの(一応)恋敵でもある異人の少女だ。
「ド、ドロシーこそどうしてスコットの部屋にいるのよ」
「どうしてって言われても、僕はスコットくんの恋人なんだから当然でしょ?」
「うっ!?」
堂々とスコットの恋人を自称するドロシーにレンは衝撃を受ける。
彼女とスコットの関係は薄々勘付いていたが、ここまでハッキリと言われると思うところがあった。
「……まぁ、せっかくだし部屋に上がりなさい。用事があって来たんでしょ?」
「え、えーと……別に大した用事はないの。ただ最近スコットがお店に来ないから風邪でも引いたんじゃないかって……」
「……」
「ドロシーがいるならもう大丈夫ね! じゃ、あたしはこれで……!」
「いいから、上がりなさい? お茶を淹れてあげるから」
「え、えっと……」
「上がりなさい?」
「はい……」
ドロシーの凄まじい威圧感と刺すどころかぶち抜かんばかりの眼力に圧され、レンは耳を震わせながら恐る恐る部屋に上がった……