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「今日はやけに機嫌が悪いですね」
ナイトクラブ【JACKPOT】のオフィス。テーブルに足を乗せて酒の入ったグラスを傾けるケビンにスーツ姿の屈強なガードマンが話しかける。
「そう見えるか?」
「何かあったんですかい?」
「……別に何でもねえよ。生意気なくたばり損ないをどうやって始末するか考えてんだ」
「くたばり損ない?」
「スコットとかいう3ヶ月くらい前にリンチしたカスだ。まだ生きてやがった」
ケビンが口にした名前にガードマンと二人の若い取り巻きが反応する。
「スコットって確かケビンさんのペットに手を出した奴ですよね……あれだけやって生きてたんですか?」
「いや、死んでるでしょ。全身の骨を折って急所に何発も鉛玉くれてやったんですよ?」
「トドメにロープで縛り上げて川に沈めてやったのに何で生きてんですか」
「俺が知りてえよ」
あれだけ凄惨な暴行を受けても生存していたスコットを思い出し、ケビンは忌々しげに舌打ちする。
「……ケビンさん、流石にあれだけやって生きてるのは考えられねえ。それに奴をリンチしたのは3ヶ月も前なんだぞ?」
「んな事はわかってんだよ! それなのに奴は生きてて、病院でキャサリンと会ってやがった! どういうことだよ!? 3ヶ月前に殺した奴が今にタイムスリップしてきやがったのか!? ふざけんな!」
ケビンは空になったグラスを壁に叩きつける。スコットの挑発するような態度と、本気で蔑むような眼差しが何度も脳裏に浮かんで彼を苛立たせる。
あの男は確かに彼の知る負け犬と瓜二つであったが、何かが決定的に違っていたのだ。
「……キャサリンを呼べ」
「アイツは今、客の相手をしてますよ」
「いいから呼べ! 客なんざ追い出して無理矢理にでも連れてこい!!」
────ドゴォン!!
キャサリンを溜まりに溜まった鬱憤の捌け口にしようとした瞬間、何かを突き破るような大きな物音が聞こえてきた。
「……なっ、なんだぁ?」
「……!?」
「お、おい、今の音は一体……」
「知らねえよ……どっかの床が古くなって抜けちまったんじゃねえのか」
コンコンッ
誰かがオフィスのドアをノックする。状況が理解出来ないケビンはガードマンの方を向いて『お前が見てこい』とアイコンタクトする。
「……」
ガードマンはコクリと頭を下げるとドアの前まで歩き、胸元のホルスターにしまった銃に手をつけながらドアを開ける。
「誰だ?」
「あ、どうも。スコットです」
「!?」
「少しここのオーナーと話したいことがあるんで入れてもらっていいですか?」
ガードマンはそっとドアを閉じ、大きな溜息を吐きながらケビンの方を向く。
『あの、ちょっとー?』
「……どうします?」
「……くくっ! はっはっはっ……!」
ケビンは顔を抑えながらバシバシと膝を叩く。
前々から馬鹿な奴だと思っていたがここまでとは。先程の大きな物音など頭から吹っ飛び、ケビンは必死に笑いを堪えながら顔を上げる。
「ははっ、入れてやれ」
「わかりました」
ガードマンも呆れ気味にドアを開ける。
「お邪魔するよ」
「よく来てくれたな、スコップ君。明日の朝イチに俺の方から会いに行こうと思ってたのによー」
「悪いね、待ちきれなかったよ」
スコットは部屋の真ん中まで進んで立ち止まる。ぐるりと部屋を見回し、ケビンと取り巻きの男二人の顔を見てからぎこちなく笑った。
「で、話ってなんだ?」
「話というか、ちょっとしたお願いなんだが……」
「なんだよ、遠慮なく言ってみろ。今の俺はとても機嫌が良いんだ」
ケビンはニヤケながら深々と椅子に腰掛けてスコットの要求を待つ。
当然ながら何を言おうが聞き入れるつもりはない。そして生きて返すつもりもない。ガードマンもそれがわかっているのか、ドアの鍵を閉めてスコットの退路を塞ぐ。
「キャサリンの前から消えて欲しい」
スコットはケビンの目を見ながらハッキリと言う。
「ん?」
ケビンは真顔で首を傾げた。
「あ? 何だって?」
「出来れば今すぐにでも自殺して欲しい。俺もお前みたいな奴の為に手を汚したくないんだ。窓から飛び降りるなり、ナイフで手首を切るなり、胸元に隠した銃で頭を撃つなり手段は何でもいい。とにかく消えてくれ」
「は?」
「頼むよ、俺もお前なんかの為に時間を使いたくないんだ。病院の人達にも迷惑がかかるしさ、世のためこの町の女達のためにさっさと自殺してくれないか?」
「あー……あー……そうか。うーん、そっかー……」
ケビンはポリポリと頭を掻き、鼻で笑いながらガードマンを見る。
「悪い、もうさっさと殺してくれ」
「よろしいのですか?」
「いいやもう……どうでもよくなった。目障りだから頭吹っ飛ばしてやれ」
大胆を通り越していかれているとしか言いようのないスコットの要求に一気に興が削がれ、ケビンはどうでも良さげに彼の始末を命じる。
「ナンセンスだ、マジでナンセンスだぞお前。そこは『キャサリンを貰いに来た』とか『キャサリンにもう手を出すな』とか真っ当なこと言えよ。お前って昔からそういうところで締まらねえよな」
「はー……やっぱ駄目だったか。わかってたけどさあ」
「もういいから死んどけ」
ケビンの指を弾く音を合図にガードマンは銃を取り出し、スコットの後頭部に突きつける。
「……ま、そういう奴だから何度でも殺したくなるんだけどな」
ガードマンが引き金に指をかけた瞬間、スコットは不敵に笑いながら悪魔の腕を呼び出す。
「なっ」
現れた腕はガードマンから銃をつまみ取り、彼の首をマッチ棒のように容易くへし折った。
「はっ?」
「えっ?」
「え、何っ」
悪魔の腕を伸ばし、呆気にとられる取り巻きの首も同じようにへし折る。瞬きをする間に三人の男が絶命し、ケビンは呆然とするしかなかった。
「え、あ? 何だ? 何をしたんだ……?」
「……別に。大したことはしてないさ」
「お、おい、ち、近づくな! おい! 何をしたんだ!? 今のは何だ!? お前、一体……!」
ケビンは狼狽えながら懐に隠した銃をスコットに向ける。
金があるだけの人間でしかない彼には目の前で何が起きたのかを理解するのは不可能だろう。
スコットの背中から伸びた青い影はしっかりと目で捉えていたがそれだけだ。彼にはそれが何なのかを知る機会などもう訪れない。
「ああ、そうそう。言い忘れてたけど……」
「く、来るな!」
「俺は」
「来るなって言ってんだろうが!」
ケビンは銃を発砲するが弾丸はスコットに掠りもせず、壁に小さな穴を空けただけだった。
「ま、いいか。別に話さなくても」
「来るなって言ってんだろうが! それ以上近づくと撃ち殺してっ……」
スコットはそこから一歩も動かずに悪魔の腕を伸ばしてケビンを拘束する。
「なっ、あっ!? なああああっ!?」
「……スコットは優しい男だったろ。言い返されたり、抵抗されたこともなかったんじゃないか? こんな悪魔に取り憑かれずに真っ当な人間として育っただろうからな」
「な、なんだよこれ……ばっ、化け物っ……!」
「そう、化け物だ。スコットじゃない」
怯えるケビンが発した言葉を笑顔で受け止め、悪魔の腕に少しずつ力を込める。
「だからお前を殺しても……」
「ひっ!?」
「心なんて傷まないのさ」
その直後、ケビンは熟れたトマトのようにぐちゃりと握りつぶされる。生臭いトマトソースが部屋中に飛び散り、天井と床を真っ赤に染め上げた後に悪魔の腕はしゅるりとスコットの中に戻る。
「……」
遺言や断末魔を残す間もなく赤い染みになったケビンを一瞥した後、スコットは何も言わずにオフィスを後にする。
「……あの時もこんな風に殺したんだろうか。おい、悪魔。お前はどうやって殺したか覚えてるか?」
〈……〉
「はっ……どうでもいいか。あんな奴の事なんて……」
スコットの問いかけに悪魔は答えない。
どうでも良さげに手をぶらぶらと揺らし、キャサリンの待つ部屋を指差してスコットを急かすように肩をバンバンと叩いた。
慈 悲 は な い