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汚いオッサンを期待した? 残念、バケモノでした!
「はぁ……」
午後7時過ぎ、店の準備室でキャサリンは重い溜息を吐く。
彼女が働くのはケビンが経営するナイトクラブ【JACKPOT】
しかしクラブとは名ばかりで実態は少女の売春行為が目的の娼館であり、店として多くの問題を抱える最悪の場所だ。本来ならいつ逮捕状が出てもおかしくないのだがケビンが大企業の御曹司であること、そしてマフィア等と太いパイプを持つことから警察が迂闊に立ち寄れない【クズ達の憩いの場】である。
「まぁ……仕方ないよね。こんな仕事じゃないとあたしは生きていけないんだから」
「キャサリン、ご指名だ。相手をしてやんな」
「あれ、やけに早いわね。まだ店開いてすぐじゃないの」
「仕方ないだろ、客がついたんだからよ」
両親が多額の借金を抱えたまま蒸発し、一人残されたキャサリンはケビンに肩代わりしてもらって事なきを得た。だがその一件で彼に大きな借りを作ってしまい、以降はケビンのペットとして生きる事を余儀なくされた。
「喜べ、キャサリン。今夜の相手は若い男だ。汚いオッサンや金持ちの酔っ払いじゃないぞ」
「わーい、それは最高ね……」
「それじゃ、今日も頑張ってきな」
案内役の男にお客様が待つ部屋の合鍵を渡され、キャサリンは目を曇らせながら準備室を出る。
「若くてもここに来るような奴はクズしかいないでしょ……」
『……! ……ッ!!』
『ーッ!』
「……本当に嫌になっちゃう」
廊下を歩くと聞こえる悲鳴とも嬌声ともつかない叫び声に耳を塞ぎながら、キャサリンは合鍵の部屋の前に立つ。
「……131、ここね」
髪を整えてスイッチを入れ替え、キャサリンはその部屋に入る。
「こんばんはー! 今日はご指名ありがとうございます! キャサリンでーす!」
部屋で待っていたのは帽子を目深く被り、サングラスで目元を隠した怪しい男。
(……うーわ、面倒くさそう)
ひと目見て面倒な客だと察したが、キャサリンは表情を変えずに明るく接待する。ここで客に悪い印象を与えてしまうと碌なことにならないからだ。
「ふふっ、それじゃどうします? まずはお喋りから? あたしはお喋り大好きですけどー、お望みならすぐに」
「よう、さっきぶり」
「……んん?」
怪しい男から聞こえた聞き覚えがありすぎる声。男は帽子とサングラスを外し、ぎこちない笑顔を浮かべて挨拶する。
「どうもスコットです、はじめまして」
怪しい男の正体は、帽子とサングラスで変装したスコットだった。
「……」
キャサリンは弾ける営業スマイルのままそっと分厚いドアを閉め……
「何してんのよ、アンターッ!?」
どっと汗をかきながらスコットに突っかかった。
「ご、ごめん……つい」
「ついじゃないわよ、病院はどうしたの!? 退院は明日じゃないの!?」
「あはは……」
「あははじゃねーのよ!?」
まさか病院を抜け出して店まで会いに来るとは。
流石のキャサリンも彼の行動にドン引きし、一気に仕事のテンションから普段の彼女に引き戻されてしまった。
「ま、まぁ、座れよ。話をしよう」
「座れって言われても……! アンタがこの店に来るのがどんだけ危ないかわかってるの!? ケビンはアンタの事が」
「それも含めてな? ちゃんと話すから座ってくれ」
スコットは腰掛けたベッドの隣をポンと叩く。キャサリンは戸惑いつつも指名された以上は追い出す訳にもいかず、そわそわしながら彼の隣に座った。
「……アンタ、払えるの? 知ってるだろうけど、あたしは結構値が張るのよ?」
「らしいな、受付の子もビックリしてた。上客が何人も付いてるみたいだし」
「……アンタの前じゃあんまり話したくないけどね」
「ははは……」
スコットはポリポリと頭を掻きながら乾いた笑い声を出す。
「お金払えるの?」
「……有り金はたいて30分くらいは」
「そう……でもすぐに帰った方がいいわ。ケビンにバレたらアンタ今度こそ殺されちゃうよ」
「……」
「心配して来てくれたんだと思うけどさ。あたしは大丈夫だから……ね? 今から逃げれば何とかなるから。お金は取られちゃうだろうけど……」
キャサリンはスコットに逃げるよう促す。
もし彼がこの店に来たと知られたら今度こそケビンに殺されてしまう……彼女にはそれがわかっているのだ。
「なぁ、キャサリン。自由になりたいか?」
「……え?」
「こんな所から開放されて……自由に生きたいか?」
スコットはそっとキャサリンの手を握ってそんな事を言う。
「な、何言ってんのよ……そんなこと出来るわけないじゃない」
「もし出来るとしたら?」
「ちょっと、お酒でも入ってるの? 馬鹿なこと言ってないで早く逃げなよ」
「大真面目だよ」
キャサリンはスコットが自分を誂っているんじゃないかと疑ったが、彼の表情は真剣そのものだった。
「もしも、この店がぶっ潰れてケビンとも二度と会わずに済むようになったらどうする?」
「……もし、そうなったら……」
「そうなったら?」
「……泣いて、喜んでやるわよ」
目尻に涙を滲ませながらキャサリンは答える。
だが、彼女はこれまでに嫌というほど思い知らされていた。そんなことなど出来ないことを。警察すら買収出来るあの男をスコットではどうすることも出来ないことを。
そしてスコットが行方をくらませたのも、ケビンの息がかかった者達の仕業だということも心の中ではわかっていた。
金も力もない非力な彼女に、金と暴力の権化であるケビンから逃れる術などないのだ。
「わかった、それだけ聞ければ十分だ」
スコットは『それが聞きたかった』とでも言いたげに笑うと、ポンとキャサリンの頭を優しく叩いて立ち上がった。
「スコット?」
「キャサリン、今日はもう家に帰れ。今すぐ裏口からダッシュだ」
「何を言ってるの? 帰れるわけないじゃない。帰ってもすぐバレるし、あたしは稼がなきゃ」
「あんなクズの為に稼ぐ必要はないよ。いいから早く店を出ろ」
「??」
「……ああもう、仕方ねーな」
首を傾げるキャサリンの肩を掴み、その透き通る目を見つめながら言う。
「心して聞いてくれ。俺はスコットだが、君の知ってるスコットじゃない。君と結ばれるはずだったこの世界のスコット・オーランドはもうとっくに死んだ。俺は別の世界から来たスコットなんだ」
「……は?」
「そうだよね、信じられないよね。すまん」
「は、え? ちょっとアンタ何いってんの? 頭がどうにかしちゃったんじゃないの?」
「うん、まぁ……そのとおりだろうな」
スコットは『頭がどうにかしてる』というキャサリンの言葉を否定できずに苦笑いした。
「でも本当なんだ。俺はスコットだけど、君の知ってるスコットじゃなくて」
「えっ、えっと、とりあえず落ち着くまで一緒にいてあげるわね。落ち着いたらすぐにこの店を……きゃんっ!?」
「うおっ!?」
何とかキャサリンに説明しようと苦心するスコットに痺れを切らしたのか、悪魔の腕が音もなく背中から伸びて彼女の首元を軽く叩いて気絶させた。
「おいいっ!? 何してんだよ、悪魔ぁー!?」
スコットは顔を青くして青い悪魔に言うが、悪魔は部屋の外を指差した後に親指をぐいっと下に向ける。まるで『さっさとアイツをやっちまおうぜ』とでも言っているかのように。
「……そうだな。そもそも俺は社長と違って説明が下手だし……終わらせてからゆっくり話そうか」
〈……〉
「でもな、もう少しやり方を考えろ。別世界だけど俺の女だぞ?」
悪魔に愚痴りつつキャサリンをベッドに寝かせてスコットは部屋を出る。
周囲の声から意識を逸しながら店の廊下を歩いて受付が待つエントランスの近くまで来ると
「お客様、どうかしましたか?」
「確かケビンのオフィスは……この上だったかな」
「はい?」
受付の前で悪魔の腕を呼び出し、勢いよく天井をぶち抜いてそのまま二階へと移動。
「お、あったあった。いやー、本当に記憶通りってのは探す手間が省けて助かるよ」
スコットはググッと手を伸ばして柔軟体操をした後、純金製の悪趣味なドアノブが目立つ木製ドアの前に立って不敵な笑みを零した。