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「ははっ……」
「ちょっとー? 笑ってないでちゃんと話してよ、ダー」
「はっはっ、相変わらず見せつけてくれるなぁ。お前らは」
「……あっ」
「妬いちまうぜ」
病室に訪れた癖のあるブロンズ髪の男の一声で部屋の空気は凍りつく。
「お前がそいつにご執心なのはいいんだが、そろそろお仕事の時間じゃないのかい?」
耳に沢山のピアスをつけブランド物のレザージャケットを羽織った長身の男は、腕に嵌めた高級時計で態とらしく時刻をチェックする。
「……わ、わかってるわよ」
男が現れてからキャサリンの様子が変わる。
明るい笑顔がすぐに消え失せ、あれ程愛おしげに抱き着いていたスコットから離れてそわそわと身体を揺らす。
「……ははぁ」
スコットは男の顔を見てウンザリするように笑った。
その男はケビン・オコナー。セカンド・ソーリンエリアのボスであったニコライの実弟で、世界有数の大企業オコナー・カンパニーの次男。
落ち着いた雰囲気の兄と違って軽薄かつ粗暴な性格に育ち、親の権力と金に物を言わせて好き勝手に暴れる問題児だ。スコットとはジュニアスクールから一緒の学校に通っており、長年に渡って彼に陰湿な虐めを行っていた。
「まさか、ケビンがお見舞いに来てくれるなんてな」
「ん? 迷惑だったか、スコップ君? 付き合いの長い親友が大怪我で入院してるんだぜ、お見舞いくらいしたくなるさ。あと呼び捨てじゃなくてケビンさんと呼んでほしいなぁ?」
「……はは」
スコットは隣で気まずそうにしているキャサリンと、ニヤつきながらこちらを見るケビンを交互に見て大体の事情を察した。
(……そうか、この世界じゃコイツはまだ生きてるのか)
詳しい経緯は不明だがハイスクールを卒業してからケビンはフィラデルフィアにある風俗店のオーナーになっており、かなり悪どい手口で客から金を巻き上げている。従業員達の扱いも悪く、そこで働く女性は今まで何人も心と身体を壊されてしまっている。
「じゃ、じゃあまたね。そろそろ仕事だから」
「そうそう、楽しいお仕事の時間だよ。お前はウチの看板なんだから頑張ってくれないと!」
キャサリンはそんなケビンの店で働かされていたのだ。
「……ッ」
悲しげにスコットの方を向いた後、キャサリンは急ぎ足で病室を出た。
「しかし大怪我と聞いたが元気そうじゃねえか。心配して損したぜ」
「……」
「……と言うのは冗談だ。テメェ、何で生きてやがるんだ?」
キャサリンが居なくなった途端にケビンは態度を変え、スコットを威圧するように睨みつける。
(……なるほどね。こっちの俺はコイツにやられたのか)
青い悪魔に憑かれていないこの世界のスコットはケビンに抗う術など無かっただろう。
子供の頃から執拗に虐められていたに違いない。それでもキャサリンと出会うまで生きていられたのだから大したものだ。
しかしキャサリンと仲良くなってしまったことでケビンに目をつけられ、路地裏あたりでリンチを受けて始末されてしまった。勿論、これは彼の実体験を元にした推測に過ぎないのだが、ケビンの反応を見るにまず間違いないだろう。
「この俺の手でしっかりトドメを刺して川に捨ててやったんだぞ? なんでピンピンしてるんだよ?」
「さぁ? 空っぽの頭を捻って考えろ」
「あ??」
「ま、実際にその男は死んだんじゃないか? 俺の方は死ねなかったけどな」
スコットは頭をポリポリと掻いてどうでも良さげに言う。
「気のせいかな? スコップ君がこの俺に生意気な口を聞いたような気がするんだが? いつもの敬語はどうしたの??」
「兄貴と親父と優しいオジサン達が居なきゃ何にも出来ないルーザーに敬語なんて使うわけないだろ。おい、それ以上近づくな。病院のベッドを汚したくない」
「あぁ!?」
「二度も言わせんな、ケビンちゃん」
スコットは散々ケビンを煽ってからベッドで横になる。
「てめ……この……」
このスコットが別人であることなど知る由もないケビンは青筋を立てながら顔を引き攣らせる。
懐に手を忍ばせて何かを取り出そうとしたが、スコットの異質な雰囲気に気圧されて舌打ちしながら背を向けた。
「……必ずぶっ殺してやるからな。タダで済むと思うなよ?」
「それは、楽しみだ」
病室を出ていくケビンを見送ったスコットは小さく溜息を吐く。
「別の世界でもアイツはあんな調子かぁ……期待通りだな」
ポキポキと首を鳴らし、スコットは窓の外を見る。
「……あの時の俺は、どんな風にアイツを黙らせたっけな」
スコットはケビンの顔を見た時からどうするかを決めていた。
キャサリンの死因とは関係ないが、彼女を娼婦に堕としてその身体と心を傷つけたのはケビンだ。どこまで元の世界と同じかはわからないが、キャサリンがケビンを見た時の反応から碌な目に遭わされていないのは疑いようも無い。
それだけで一度殺したあの男をもう一度殺すには十分過ぎる理由になる。
「あー……でもこの世界の法律ってどうなってんだろうな。バレたらヤバいだろうな。いや別にバレてもいいか。この世界の俺はもう死んでるし……」
リンボ・シティで過ごした時間はスコットの精神に多大な影響を与えていた。憎いクソヤローは殺してもいいと即決断させてしまう程に。
かつての彼には平時であれば人殺しを躊躇する程度の人間味は残されていたが、今やもう迷いなど微塵もない。愛した女を泣かせるろくでなしに与える慈悲はとっくの昔に捨て去った。
(……ここでキャサリンを助けて……俺はどうするんだ? この街で人生をやり直すつもりか?)
だが、鏡に映る自分を見てそんな考えが過ぎる。
限りなく似ているがここは別世界、スコットの居るべき場所ではない。名前と顔が同じでも彼女は彼の恋人ではない。スコットの恋人は既にあの世に旅立っているし、今頃ドロシー達が自分の帰りを待ってくれている筈だ。ケビンを始末してキャサリンを救っても、彼女とこの世界で暮らす未来は選べない。
「まぁ、いいか。ケビンは死んでも良いヤツだからな。とりあえずアイツだけは殺しておこう」
それはそれとしてケビンは殺す。
もし彼が改心していたなら別人ということで許すことも出来たが、こうも腐った人間性を再び見せつけられると許すことなど不可能。許した所でキャサリンを含めた大勢の人達が悲しむだけだ。
スコットはベッド脇に置かれたスーツケースに手を伸ばし、徐ろにケースを開いて中の着替えを取り出した。