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大きいことは良いことかな?
「んぐぎぎぎぎーっ!」
マカトウルマの体内でアルマが必死に体を揺するが、絡みつく赤い蔦は全く解けない。
「んんなああーっ!」
その赤い肉の蔦は優れた剛性と柔軟性を持ち、更にじっとりと蔦を滴る粘液のせいで力が逃される。解こうと暴れるほどに蔦が身体に絡まり、益々身体の自由が奪われていった。
「ぬあーっ! 取れねええ! おい、牛女! 何してんだ、さっさとその剣でこの赤いの切れよー!」
「領主様、申し訳ありません。領主様……」
「まだ言ってんのか! 本当にいい加減にしろよ!?」
「……今から貴方の元に参ります。どうかこの無能な私を、厳しく叱りつけてください……」
「おいいーっ!!」
ブリジットは完全に諦めてしまっている。
涙ながらに己の無力さを悔い、閉ざされた瞼の向こうに今は亡きかつての主を映して覚悟完了。彼女はもう死ぬ準備を終えていた。
「くっそ、もういい! その剣を貸せえ!!」
痺れを切らしたアルマが唯一自由に動かせる右足を伸ばし、ブリジットの腰元で虚しくぶら下がる剣を取ろうとする。
「うぬぬぬぬぬっ!」
何とか足先が剣の柄に届くが、鞘に収まった刃を抜くには少々無理がある。それでもアルマは諦めずに足先を柄の装飾に引っ掛け、精一杯の力を込めて剣を引いた。
「よしっ、抜けたぁっ!」
────ぼよんっ。
だが、必死の思いで抜いた剣の柄はブリジットの豊満な胸に当たって無慈悲に押し留められる。
「ああああああああっ! ほんっっ……! マジ、マジでふざけんなよおおおーっ!?」
ぼよん、ぼよんっ。
「うがああああー! この、お化けオッパイがあああああ! マジでもぎとっちまうぞぉおおおーっ!!」
「ぬ、うっ? はっ!? な、何をしている!?」
しつこく胸を突かれて気になったのか、ここでようやくブリジットが目を開く。
「貴様ー! 私の大事な剣に何をするぅー! 汚れた足先で触るなああああー!!」
「うおおおっ!? おまっ、動くなよ! もう少しで抜けるから、ジッとしてろぉぉー!」
「やめろおおー! 私の剣を足で触るなあああー!!」
己の魂とも言える剣に汚れた足で触られるのが我慢出来ず、ブリジットは大きく身を捩らせる。
その弾みで剣が引っかかっていた駄肉が退き、煌めく刃が勢いよく鞘から抜き放たれ────
「お、やった! このままぁー!!」
「ぬぅあっ!?」
────どたぷんっ!
……なかった。
剣先まで後わずかと言うところでもう片方の駄肉に阻まれ、追い打ちの如く戻ってきた駄肉に挟まれる。聖剣はブリジットの大きな胸にサンドイッチされ、これ以上抜くことも引くことも出来なくなってしまった。
「あああああああーっ!?」
「ぬうう! こ、これは!?」
「ふざけんなよ!? 何を挟んでんだよ! 誰に向けてのサービスだ、コラアアアア────!?」
努力を水の泡にされるどころか、バストの豊満さをこれでもかと強調されてアルマは激怒した。
「あーっ! くそぉぉーっ、取れねえええー! うがああああーっ!!」
持ち手はブリジットの谷間に埋もれて届かず、剣の鍔までバストですっぽり隠れている。辛うじて柄は谷間から突き出しているが、アルマの足先がギリギリ届かない所にあった。
「あーっ、もうやだあああああー! どこまでムカつくんだ、この乳ぃぃいーっ!!」
「痛っ! こら、蹴るな! 私の胸は」
「うがああああーっ!」
「いたたたっ! やめっ、やめろおおーっ!」
アルマは泣きながらブリジットの胸を足先で蹴る。
一応、これには挟まった武器を取る目的もあるのだが、駄肉が虚しく弾むだけで埋もれた剣は微動だにしなかった。
「うああああーん!」
「や、やめろーっ! いい加減にしないかー!!」
「だったら、その乳なんとかしろやーっ! もう少しで剣を抜けたのにーっ!」
「抜いたところで黒兎には扱えん! この剣はんわぁっ! こ、こら! つつくなあっ!」
「やだー! こんなバカと死ぬなんてやだーっ! ドリーちゃんを残して死ぬなんてやだーっ! ドリーちゃーん!!」
ドロシーの名を叫ぶアルマの声にブリジットはハッとした。
(……マスター)
かつて仕えていた領主は既に死んだ。領主と死別してから長い年月が経過したが、彼女はまだその死を乗り越えられていない。
否、乗り越えることなど出来ない。
それほどブリジットにとって領主の存在は大きく、彼を失った事で彼女の心には決して癒えぬ傷が刻まれた。ドロシーという新しい主を得た今でも領主の背中を追ってしまう程に。
(……私は……)
しかしここでブリジットは思い至る……確かに自分の中で領主の存在は未だに大きい。
『ハーイ、初めまして。私の名前はドロシーよ』
それでもこの世界に流れ着いた自分に最初に声をかけ、失った声と心を取り戻してくれたのはドロシーだ。
『ここが貴女の新しい家よ。そして、この子たちが新しい家族』
自分に温かい居場所と新しい家族を与えてくれたのはドロシーだ。
『家族扱いは嫌? 困ったね、じゃあ私は君をどう扱えばいいの?』
『……』
『その大事にしてる剣は何のために使ってたの? 化け物を斬るため? それとも人を殺すため?』
『……違う。この剣は』
『じゃあ、何のためのもの?』
『この剣は、仕えるべき主を守る為のもの。騎士として、主を脅かす邪悪を切り払う為の……』
ただ生き物を斬るためだけの道具と化したこの剣が与えられた理由を、この剣の存在価値を思い出させてくれたのは……
『それじゃあ、今日から私の騎士になりなさい。そして私の為に、私の家族の為にその剣を使って?』
ドロシー・バーキンス。自分よりも年若く、可憐な姿をしながらも誰よりも重く険しい宿命を背負わされた少女だ。
「……私の名は、ブリジット……ブリジット・エルル・アグラリエル。貴女に救われた恩に報いるべく、貴女の騎士として仕えることを……ここに誓います」
かの日のドロシーと交わした誓いを思い出し、ブリジットは先程までの自分を深く恥じる。
「ふっ……駄目だな。これでは騎士として失格だ、死んでも領主様に合わせる顔がない」
絶望を振り払ったブリジットの肩にベチャッと何かが落ちてくる。
「……む? 何だ……肩に」
〈キチチチ、キチチチチチチィーッ!〉
「ぬわっ!?」
〈ギチイイイッ!〉
肩にしがみつく白いダンゴムシのようなグロテスクな生物をブリジットは身体を揺すって振り落とす。
「な、何だ、この虫はっ!?」
「あああああっ!? な、なんだ、こいつらああーっ!?」
「はっ!?」
「キモイのがいっぱいいるううううーっ!!」
アルマの声を聞いてふと頭上を向くと、薄赤色の肉の天井で無数の虫達が蠢いていた。
「これは……まずいな」
〈〈〈ギチャアアアアアアアアアアアアアアアアアーッ!!〉〉〉
天井を這う虫達は大口を開け、身動きが取れない餌目掛けて一斉に飛びかかった。