12
大嫌いでも、死んでしまえとは思えない。彼女は家族には優しいから。
「ぐ、ぐぐぐっ……! 何、笑ってんだ、テメー……!」
アルマは激しい振動の中でも何とか立ち上がり、赤黒い影を睨みつける。
「次、笑ってみやがれ……そのブッサイクな面に蹴りを叩き込んでやる!」
〈くふふふっ!〉
「笑ったな!? オーケー、くらえっ!」
揺れる地面を蹴ってアルマは跳躍し、宣言通り赤黒い影の顔面に強烈な蹴りを食らわせる。だが彼女の蹴りはまるで泥を蹴るように突き抜け、赤黒い飛沫が部屋に飛び散る。
「んなああっ!?」
〈ふ、ふ、ふふ……〉
頭を失いながらも影は不気味に笑い、パチンと指を鳴らす。乾いた音が響くと共に床の振動はピタリと止まった。
「な、何だよ! 何しやがった!?」
〈ふひははははっ!〉
「かーっ! 気持ちわりぃ! もういい、もうぐちゃぐちゃだけど もっと念入りにぐちゃぐちゃにしてやる……!?」
ここでアルマの兎の耳がピンと立つ。彼女の優れた直感が頭上から迫る何かを察知し、その場から大きく飛び退いた。
────ゴゴォンッ!
彼女が飛び退いた瞬間に、部屋の天井が巨大な何かに削り取られる。
「なああああっ!?」
《ぎょおおおおおおおおおおんっ!!》
「ふざけんな、何だよコイツは!?」
突然、頭上に現れたのは巨大な蛇のような怪物。とてつもない大きさの空飛ぶ蛇がマンションを削りながら出現し、流石のアルマも驚きのあまり目を見開いた。
《ぎょおおおおおおおおおおおおおおおっ!!》
「あーもー、滅茶苦茶だ! こんな所に居てられるか、退却だ! 退却ぅー!!」
「ぬうっ……! 何だ、何が起きた!?」
瞬時に危機的状況を察知して即退却を選んだアルマに対し、ブリジットは状況が理解出来ないままでいた。
「おい、牛女! さっさとここから逃げんぞ!!」
「逃げるだと!? 騎士である私が敵を前に逃げることなど出来るものか!」
「あー、もう! 今はそんなこと言ってる場合じゃ」
《ぎょおおおおおおおおおおっ!》
一度は頭上を泳ぎ去った巨大な蛇が、大口を開けながら再び此方に迫る。
(やべっ! 逃げなきゃっ!!)
アルマは直ぐに逃げることを選んだ。
あの怪物相手に手ぶらではあまりにも分が悪い。それに怪物の全身を覆う鎧のような鱗は並大抵の攻撃ではビクともしないだろう。
一先ずここは逃げてドロシー達と合流し、態勢を立て直そうと考えていた。
(……おい、何してんだ? アイツ??)
だが、そんなアルマの目にあの巨体を前にしても逃げずに剣を構えるブリジットが飛び込んできた。
「我が名はブリジット! ブリジット・エルル・アグラリエル!」
大口を開けて迫る化け物相手に、ブリジットはそんなことを宣っている。
(……馬鹿じゃねえのか!? あんなの相手にお前の剣が効くわけねーだろっ! ていうか、もう技が間に合わねえよ!!)
ここまで来るともう病気だ、馬鹿という次元を超越している。
アルマは大蛇に剣を向けるブリジットに背を向け、そのまま窓を突き破って脱出しようとした。
(馬鹿は死なねえと治らねえからな! あばよ、牛女!!)
少なくともこの瞬間、確かにアルマはブリジットを見捨てる選択をした。
「……ッ!」
それなのに、彼女は咄嗟にブリジットに向かって飛び出してしまう。
「おい、このっ! 逃げろっつってんだよ、馬鹿牛女ァァーッ!!」
「行くぞ、化け物……むああっ!?」
アルマは不思議に思った。自分は何をしているんだろう。
どうして大嫌いなブリジットに手を伸ばしているんだろうと。
(おい、おいおいおい。何してんだよ、あたしは。どうしてコイツを助けようとしてんだ?)
ブリジットの方に向かわなければ、その手を伸ばさなければ、アルマだけは逃げきれた。
「な、何をする!? その手を放せっ、私は」
「うるせええええっ! 逃げるんだよ! おら、さっさとその剣しまって……!!」
《ぎょおおおおおおおおおおおおおおんっ!!》
しかしアルマはブリジットを助けようとしてしまい、自分から大蛇の口に飛び込んでいく形になってしまった。
────バクンッ!
二人仲良く大きな口に飲まれて目の前が真っ暗になる瞬間まで、アルマは自分がブリジットを助けようとした事実を受け入れられなかった。
〈くっくっ、ふふふふっ! ふふふはははははははっ!!〉
暗闇に飲まれたアルマの耳には、此方を嘲笑うかのような高笑いだけがずっと残っていた。