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母は強し。
「……」
ライオンに囲まれたミーアキャットとはこんな気持ちなのだろうか。
「むむむ……」
「ふふふっ」
老執事の運転する高級車の中で魔女二人に挟まれながらスコットは思った。
(い、いや、落ち着け……落ち着くんだスコット。俺はただ社長に意識を向ければいいんだ!)
ルナの蠱惑的な微笑みと腕に当たる柔らかな感触に惑わされぬよう気を張りながらドロシーの方を向く。
「……むむっ」
しかしドロシーはスコットと目を合わせても顔を膨らませるだけだ。
(何で機嫌悪くなってるんですか、社長! 俺、貴女に何かしました!?)
どうして彼女は不機嫌そうな目で睨んでくるのか。寝起きに見せた天使のような笑みは何処へ? スコットはドロシーの刺すような視線に耐えられずに目を逸らす。
(……ひょっとして社長は俺がルナさんに惹かれてるとか思ってるんじゃないだろうか)
確かにルナとの間に何も無かったと言えば嘘になる。
彼女とは入社直後に裸を見せられた上に夜まで共にするという衝撃的な出会い方をしている。それ以降も色々と危うい体験をしてきており、日頃の思わせ振りな発言もあって彼女への関心は増すばかりだ。
しかし、ルナはドロシーの母親である。
(流石の俺でも人妻には惚れませんよ! 社長の母親ですよ!? 手を出せるわけないじゃないですか! それくらいは信用してくれても良くないですか!?)
(……何とかスコット君の興味をお義母様から逸らさないと)
スコットがドロシーに戦々恐々とする一方で、ドロシーは真剣にスコットの身を案じていた。
(僕が一番可愛いっていうのは揺るがないけど、それでもお義母様は強敵だわ。男の気の惹き方とか色々と知ってるだろうし、スコット君とは相性も良いし……油断したら一瞬で落とされちゃう)
ドロシーは目を細め、癖毛を針のように尖らせながらスコットの腕を抱き寄せる。
(……ヤバい! 凄い怒ってる!!)
生意気な胸の感触など頭から消し飛ぶ程の気迫にスコットは震え上がる。
ドロシーにそんな気など全く無いのだが、普段の笑顔に見慣れているだけに今の彼女の迫力は凄まじいものだった。力はあるがまだ若い人間の青年には、100歳を越えた魔女の真意を知ることは難しいようだ。
「……もう、駄目よドリー。彼の前でそんな顔しちゃ」
「えっ」
「真剣になるのはわかるけど、力み過ぎはいけないわ。好きな人の前では常に笑顔でいなさい」
ルナはスコットを怯えさせている事に全く気づいていないドロシーに優しく笑いかけ、母親としてさり気なくアドバイスした。
(はううううう────っ!?)
ルナの母親らしい一言を挑発と受け取ったドロシーは顔を真っ赤にして目を見開いた。
(ちょっとおおおー! 何を言ってくれてんだ、この人ぉぉぉ────っ!?)
スコットもルナのアドバイスをドロシーへの挑発と勘違いし、全身から汗が吹き出す。
(い、言ってくれるわね……お義母様! そう……そうなのね! 本当に……本気ってことね!!)
ドロシーは母への対抗心で燃え上がる。
(そっちがその気なら……僕だって手段は選ばないのよ!)
ポフッとスコットに倒れ込み、ドロシーは急に大人しくなる。
「……え」
「……」
「あ、あの……社長?」
「……スコット君」
「は、はい」
ゆっくりとスコットの顔を見上げ、潤んだ瞳で彼を見つめる。
先程までとは一変してあざといまでに愛らしい表情を見せるドロシーにスコットは動揺する。
「……何だか今日のお義母様は少し怖いの。助けて、スコット君……」
いつものドロシーなら絶対に口にしない一言にスコットは全身総毛立った。
「あら」
「えっ、えっ……?」
「どうしてかはわからないけど……いつもの違うの。どうして? 昨日までは優しいお義母様だったのに……」
「ええと……それは……っ」
「ひょっとして僕……悪いことしちゃったの?」
ドロシーの弱々しい声と大きな瞳から零れる雫にスコットの精神は多大なダメージを受ける。
「べ、別に社長は悪いことしてませんよ! ルナさんもいつものルナさんですよ!?」
「いつもと違うよぅ……全然、全然……違うよっ。怖い……」
「あ、あわわっ、大丈夫ですって! だ、だから泣かないでくださいよ!!」
「やだぁ……今日のお義母様はやだ……っ」
ドロシーは数十年間磨き上げた渾身の感情爆発演技でスコットの精神に揺さぶりをかけながらギュッと抱きつく。
(……少し強引だけど、これでかなりの時間が稼げるわね)
……スコットの胸の中で弱々しく泣きながらも内心でドロシーは次の一手を考えていた。
(でも、お義母様が悪いんだからね。卑怯だなんて言わせないよ?)
(あら……もう使ってしまうの? 駄目よ、ドリー。涙は最後まで取っておかないと。それに急に態度を変えてしまうのは良くないわ……)
しかしそこはドロシーの母親。娘の狙いに気づいて早速ダメ出しをする。
(もっと自然な涙に繋げられるように前準備をしないと。ほら、スコット君が困ってしまっているわよ)
……ルナの言う通り、スコットは突然泣き出したドロシーにどうすればいいのかわからず硬直してしまっていた。
「……そうね、今日の私は少し変かもしれないわね」
「ル、ルナさん!?」
「だって……」
ルナはドロシーに手本を見せるように、彼女への対応に困るスコットの頬を撫でながら艶かしい溜め息をつく。
「今までずっと我慢していたんだもの……彼への想いをね」
そうくるならば こうしてやろう。娘の行動の粗と早急さをそのまま利用して攻めの一手に活かす。
(ふやぁぁぁぁぁ────っ!?)
恥を忍んで使った逆転の一手を即座に返されてドロシーは心の中で悲鳴を上げた。