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ヒロインの母親がヒロインになる筈がない。
(……何でだろう)
アーサーの用意した美味しそうな朝食を前にしてもスコットは落ち着けなかった。
(……今日は妙にルナさんが色っぽく見える)
その理由は左隣に座るルナにあった。
元々可憐な少女のような姿に見合わぬ大人の色香でスコットを惑わせるルナであるが、今日の彼女は明らかにいつもと違う。
(いや、気の所為だな。うん……)
気の所為だと思いたくても気になってしまう。ナイフとフォークの扱い方に何気ない仕草、時折こちらに向く視線の全てがいつも以上に扇情的で、スコットは無意識に息を呑んだ。
「どうかしたの、スコッツくん?」
「あ、いえ。何でもないです」
「ふーん??」
ドロシーはそんなスコットの微妙な変化を見逃さず、アンテナを揺らして彼を睨めあげる。
「朝ごはんはちゃんと食べないと駄目よ。はい、あーん」
「な、何ですか、社長?」
「全然食べないから食べさせてあげるの。口を開けなさい」
「い、いや、いいですって! 自分で食べますから!!
「食べそうにないから言ってるんだけど? ひょっとして目の前の朝食より気になるものでもあるの??」
「ほあっ!?」
ドロシーの一言にスコットは珍妙な声を上げて跳ね上がる。
「べ、別に!? いや、今日の朝食も美味しそうですね! アーサーさん!!」
「はっはっ、光栄です。ですが、自信作のハムエッグも冷めてしまっては美味しさ半減でしょうな」
「うふふ、8分も手付かずのまま放置されてますしねえ」
「す、すみません」
アーサーとマリアも爽やかな笑顔でスコットを弄る。
「……美味いです」
「朝食は温かいうちに食べないと駄目よ、スコッツくん」
「そ、そうですね」
「何か気になることでもあるの? スコット君」
「ふおっ!?」
ルナはスコットに顔を近づけながら態とらしく言う。
「な、何でもないですって!」
「そう? それならいいんだけど」
息のかかる距離まで近づいたルナの美しい顔。瑞々しい薄ピンク色の唇に吸い寄せられそうになりながら、スコットは全力で顔を逸らす。
(何だ! 何なんだよ! 今日のルナさんはちょっと変だぞ!?)
顔を赤くしながらスコットはハムエッグを頬張る。味など全くわからないがとにかくこの場を脱したい彼は、物凄い勢いで朝食をかき込んでいった。
「もぐもぐもぐもぐもぐっ!」
「ちょっとスコッツくんー? 行儀悪いよー??」
「良かったわね、アーサー君。貴方の料理は冷めてお味が半減しても美味しいみたいよ」
「ははは、そのようですな。次からスコット様の料理は一番最初に作るようにいたしましょう」
「んぐっ、ご馳走様です!」
温かく見守られながら朝食を完食し、スコットは急いでテーブルを離れようとするが
「あ、待って。スコット君」
「はい! 何ですか!?」
ルナに呼び止められて硬直。気をつけの姿勢でピタッと静止した。
「お口が汚れているわ」
「え、あっ……」
ルナは白いハンカチでスコットの口周りを綺麗に拭く。
「……!!」
「はい、綺麗になったわ。この口ならドリーとキスをしても安心ね」
白い指先で唇にツンと触れ、ルナは妖しく微笑んだ。
「あばばばばっ……! ちょ、ちょっと、外の空気を吸ってきますうぅ────!!」
スコットは顔を真っ赤にして食卓から逃げ出した。
「……」
「ふふふっ」
「おやおや、一体どうしたのでしょう。口を拭いただけで赤くなるほどウブな性分でもなさそうなのですが」
「うふふ、どうしたのでしょうねぇ。マリアさんも詳しく知りたいですわぁー」
マリアはうふふと笑いながら頬に手を当てる。
「……」
〈めぱーっ〉
「あらあら、駄目よメリー。ニック君は玩具じゃないんだから」
「あら、ごめんなさいニック様。すっかり忘れていましたわ」
「……いや、いっそのこと忘れたままでいてくれた方が良かったかな」
テーブルの上でメリーに転がされ、殆ど空気と化していたニックは切なげな瞳でスコットを見送った……
「はー……はー……、一体、どうしたんだ……?」
ウォルターズ・ストレンジハウスから飛び出したスコットは地面にしゃがみ込む。
「落ち着け、落ち着くんだスコット……! 彼女は人妻で、社長のお母さんだぞ!?」
不覚にも人妻にときめいてしまった……その事で盛大な自己嫌悪に苛まれた彼は高鳴る胸を必死に抑える。
「ていうか、今日のルナさんは少し変だぞ!? いつもより色っぽいというか……!」
しかし、スコットの言う通り今日のルナは様子がおかしい。此方に向ける表情といい、声色といい、仕草といい誘っているとしか思えない。
「……ひょっとして、俺を試しているんだろうか……?」
ここでスコットが行き着いた答えは、『娘に相応しい男なのかどうか確かめている』というものだ。
彼女が何よりもドロシーを大事にしているのは特に詮索しなくても察せられるし、ああ見えてドロシーに負けず劣らずの曲者で悪戯好きな女性である事も何度も思い知らされている。そんな彼女が娘の前でここまでわかりやすくコッテコテな誘惑をしてくるであろうか?
(彼女はあの社長のお母さんだぞ……? 誰よりも社長を愛してるあの人が俺に手を出す筈がないし、社長の前であんな顔をする訳ないじゃないか!)
辿り着いた結論はNO。あのドロシー・バーキンスの母親が二十手前のはなたれ小僧に惹かれる筈がない。
「……やってくれますね、ルナさん……」
ルナは試しているのだ。本当にスコットが娘を託すに相応しい相手であるか。
もし此方の安い誘いに乗るような凡夫であればサヨウナラ。残念だけどの慈悲の施しで一夜は共にしてくれるかもしれないがそれでお終いだ。覚悟を決めてドロシーを愛した身としては屈辱にもほどがある。
「いいですよ、見せてやりますよ……」
スコットはギラリと目つきを変えてギュッと拳を握りしめる。
「俺がそんな誘惑に乗るような男じゃないってところを……思い知らせてやります!」
……本気でそう思い込んだスコットは空に向かって拳を突き出し、ルナの好意に徹底抗戦する決意を固めてしまった。
そう思っていた時期が私にもありました。