29
救いはないといったな?
あ れ は 嘘 だ
「上手くやってくれてるみたいじゃない、あの新人ちゃん。心配して損したわ」
「……」
「それで、どうするの? タクロー君」
ビッグバードの外から店内を見守りながらドロシーは隣に立つ【顔に包帯を巻いた大男】に問いかける。
「……どうもしねぇよ」
「このまま帰らないつもり?」
「どんな顔して、帰ればいいんだよ……」
「笑えばいいと思うよ。にっこりと笑いながら、ただいまと一声かければいいの」
心底腹の立つ笑顔を浮かべて言う魔女にタクロウは歯ぎしりを立てる。だが、今の彼女の発言に悪意は微塵もない。
「こんなバケモンみたいな顔になった俺を……迎えてくれる奴がいるかよ」
「確かに、そんな顔した大男を笑顔で迎え入れてくれる子はそうそういないでしょうね」
「……お前ッ」
タクロウはドロシーの襟袖を掴み、剥き出しになった青い目を血走らせる。
「ふん、君が自分で思ってることでしょ?」
子供どころか大の大人が見ても絶叫する今のタクロウに睨まれても、ドロシーは鼻で笑った。
「あのね、タクロウ君。アトリちゃんが君を顔で選んだと思う?」
「……!?」
「君がその顔についてどう考えているかなんてすぐにわかるの。自分の過去についてどれだけ悩んでいるのかも、どれだけ苦しんでいたのかもね」
「知ったような口を……!」
「そして、君が彼女をどれだけ愛しているのかも知ってるわ。結婚前夜に酔っ払った君の惚気話を聞いてあげたのを僕はちゃんと覚えてるもの」
ドロシーの言葉にタクロウは動きを止める。
「……もし今日になってもアトリちゃんに会えないなら、もう全て忘れなさい。あの子との思い出も、あの子が君に与えた愛情も全て。それが君のためよ」
「俺はッ!」
「言っておくけどね、小僧。僕達はもう百何十回と友達の死に顔を見てきたの。そして、これからもそうなるの。僕は死ねないんだから」
「……」
「だから、よく聞いておきなさい」
襟袖を掴む腕を振り払い、ドロシーはタクロウの目を見ながら言う。
「幸せから逃げるのはやめなさい。僕と違って君たちはいつでも簡単に死ねるのよ。だからこそ、死ぬ瞬間までその幸せを手放さないで。後悔なんて死んだ後でいくらでも出来るの」
「ドロシー……」
「どうせ死んだら地獄に堕ちるんだから」
激励とも皮肉とも取れる言葉を残してドロシーは歩き去る。
「……クソッタレめ」
残されたタクロウは暫くの間、一人で立ち尽くしていた……
「あ、いらっしゃいませー、お好きな席……」
「はーい、ボルドーの丸焼きお待たせしましたー……」
アトリと絢香は店を訪れた客を見て硬直した。
ボロボロの服装に、包帯に覆い隠された顔。そして、隙間から覗く剥き出しの双眸……その異様な姿を目にした常連達も一斉に沈黙する。
「……やっぱり、駄目か。はは……いや、その」
ガシャンッ
お皿が割れる音が店内に響き渡る。不意に聞こえた大きな音にタクロウが気を取られていると、誰かが自分に抱き着いてきた。
「……ッ!」
「アトリ……?」
「……馬鹿ッ! 今まで……、今まで何処に……っ!!」
タクロウに抱きつきアトリは声を殺して啜り泣く。
この数日間、彼女がどんな気持ちで自分の帰りを待っていたか。その事について考えてしまったタクロウは、震える妻にかける言葉も見つからなかった。
「……すまん、でも……この顔だし。それに俺……人を……」
アトリは顔を上げ、包帯だらけのタクロウの両頬にそっと触れてキスをした。
「ア、アトリさん……!?」
「……おかえり、なさい……」
「……え」
「おかえりなさい……あなた……!」
アトリは宝石のような涙を流しながら、彼の帰還を心の底から喜んだ。
(……ああ)
(……ああ、そうだ。俺は……)
(この笑顔が好きで、大好きで……ずっと見ていたい、守りたいと思って……)
最愛の妻の笑顔を息のかかる距離で目にしたことで、タクロウはようやく彼女の夫に戻ることが出来た。
「……ただいま」
「……はい」
「……ただいま……ッ、アトリさん……!」
「……はい、あなた!」
「……ただいま……!!」
「おかえりなさい、タクロウさん……!!」
剥き出しの両眼から大粒の涙を流し、タクロウはアトリを抱き締める。
夫婦の再開を祝福するかのように、店内からは黄色い歓声が響き大きな拍手が沸き起こる。
「おかえり、店長!」
「畜生、帰ってきて早々イチャつきやがって……祝ってやる! 爆発しろ!!」
「馬鹿野郎、店長……お前……馬鹿野郎! 早く帰ってこいよ!!」
「マスターが居ないト、何か盛り上がらないダヨ! 畜生め!!」
「ああ、おかえりタクロウくん。君が帰ってきてくれて本当に良かった……本当に……」
「うわぁ! 先生の目って其処にあんの!? コワイ!!」
絢香は恐る恐るタクロウの傍に近寄って彼の腕を引く。その瞳に見られると未だに怖気づいてしまうが、彼女は勇気を振り絞って
「お、おじさん……あの……!」
「あぁ、お嬢ちゃん。その……俺は」
「ごめんなさい……!」
大声で絢香はタクロウに謝罪する。
彼女は殴られる事も覚悟していた。自分の傍迷惑な行動が原因であんな事件に発展したのだから。
「……もう、いいんだよ」
「……え?」
タクロウは絢香の頭を優しくポンと叩いてにっこりと笑った。
その笑顔はそれはそれは恐ろしいものだったが、不思議と絢香はもう彼の顔を怖いとは微塵も思わなかった。
「ありがとうな……お嬢ちゃん。この店を、守ってくれてよ」
「ふふふ……本当に、この子には助けられたんですよ。絢香ちゃんって言うの……後でゆっくり話してあげますね」
「あ……あの、私……」
「ああ、ありがとうな絢香。お礼……としてはちょっと足りないかもしれないが少し待っててくれ」
常連達に見守られながらタクロウは歩き出す。そして、深呼吸して気持ちを落ち着かせて言った。
「今から美味いオムレツ焼いてやるから、食っていきな。前に焼いたやつよりもずっっと美味いぞ?」
「……ッ!」
タクロウの言葉に絢香は思わず涙ぐんだ。アトリの目からは再び涙が溢れ、常連達も一斉に啜り泣く。
「お前らも、今日は特別だ……盛大に食っていけ! 料金は全品半額にしてやる!!」
「「「わあああああああああああっ!!!」」」
太っ腹な一言に常連達の涙は吹き飛んだ。そしてタクロウが戻ってきたビッグバードは、再び賑やかな笑い声に包まれた。
「ふふふ、ここまで聞こえてくるわね」
「いいんですか、社長? 今日は行かなくても」
「いいのよ、今日はね」
店から少し離れた場所でドロシーとスコットが様子を伺っていた。
何だかんだ言いながらタクロウが心配で戻ってきた彼女だったが、その心配が杞憂だった事に安堵の笑みを浮かべる。
「僕が行けば台無しになっちゃうでしょ?」
「……どうですかね。少なくともアトリさんは」
「いいえ、台無しになるわ。だから今日はこのまま帰るよ、スコッツ君」
寂しげな笑みを浮かべて歩き出すドロシーの腕をガシッと掴んでスコットは引き止める。
「……スコッツ君?」
「そういうところが駄目なんですよ、社長」
スコットはドロシーの手を引っ張りながらビッグバードに向かう。
「ちょ、ちょっと! スコッツ君!?」
「何カッコつけてるんですか、社長。あの中に混ざりたいなら我慢なんてしないで混ざればいいんですよ。あの人を散々煽っておきながら自分は日和ってどうするんですか」
「は、放しなさい! このっ! 今日はこのまま帰るのっ! これは社長命令よ!?」
「俺も丁度、タクロウさんのオムレツが食いたいと思ってましたしねー」
「スコッツくん!!」
「あの人にああ言った以上は、社長も逃げちゃ駄目でしょう」
慌てるドロシーに向かってスコットは言う。
「……もうっ」
タクロウへの激励を早速スコットに言い返されてドロシーは困ったように笑う。
「最近のスコッツ君て本当に生意気よね」
「……」
「初めて会った時はあんなにキョドキョドして可愛かったのにー」
「……誰のせいでこうなったと思ってるんですか」
「僕のせいじゃないのは確かね」
「そう言える図太さが羨ましいですよ、本当に」
ドロシーはくすりと笑い、最近元気の無かった頭の癖毛をピンと立ててスコットの腕に抱き着いた。
このラストは一番最初に決めました。夫婦には死ぬまで末永く爆発していただきます。