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「マークさん……ッ!」
アトリは息を引き取ったヴェーダを抱きしめ、悲しみの涙を流す。
彼の人生に何があったのか、どうしてこんなに優しい人が怪物にならなければいけなかったのか、どうして自分の夫が彼に恨まれなければならなかったのか。
夫から何も聞かされなかった彼女には、何一つ理解できなかった。
「……すまない」
泣き崩れる妻に、スカル・マスクはその一言だけを呟いた。
「……ッ、……!」
アトリは夫に溢れる感情をぶつけようとするが思うように言葉にできない。ただ傷だらけになり、顔を失ってしまった夫を涙ながらに見つめるしかなかった。
「大丈夫か、店長―!」
「今更だけど助けに来たぞーっ!!」
「俺たちが来たからにはもう安心……」
空気を読んだのか、読めなかったのか 裏口から三馬鹿が突入してくる。
三人は何処からか調達した金属バットを手に、タクロウを救うべく乗り込んできたようだが……
「うわぁああああああああああああああああああああああああ!!!」
店一面に飛び散った血飛沫と、床に転がる腕と、こちらを凝視する 顔の剥がれた大男 を見て悲鳴を上げた。
「……ま、待って! この人は……!!」
「うやぁあああああああああああ!」
「だぁああああああああああああああ!」
「ばああああああああああああ――――っ!!」
「……ははっ」
恐怖のあまり半狂乱になって逃げ出した三馬鹿を見てスカル・マスクは乾いた笑い声を上げた。
「……そうだよなぁ、怖いもんな……俺の、顔……」
スカル・マスクは妻に背を向け、何も言わずに立ち去ろうとした。
「待っ……」
「おじさん!」
アトリが何かを言う前に、快復した絢香が彼を呼び止める。
「あ、あの……私、私……!」
お洒落な服装こそ台無しになったが、傷ついた身体は全快している。絢香は胸を締め付ける罪悪感に身を焼きながらもスカル・マスクに謝罪しようとした。
「気にするな、お前は悪くない……」
「私は……!」
「悪いのは、俺なんだからな」
スカル・マスクは静かに振り向く。
「……」
絢香は彼の素顔に畏縮する。彼女の怖がる顔を見た後、最後にアトリと目を合わせ スカル・マスクは後ろめたさに声を震わせながら呟いた。
「……ごめんなぁ、こんな……化け物でよ」
その言葉を遺して彼は走り去った。剥き出しになった瞳から、青い雫を垂れ流しながら。
「待って、タクロウさん……行かないで!」
自分を呼び止めるアトリの声が聞こえても、彼は走り続けた。
「あなた、お願い……行かないで! 私を置いて行かないでぇぇぇぇぇぇ!!」
アトリは遠ざかる夫の背中に向かって叫び続ける。彼女の声は確かに届いていたが、彼が妻に振り返る事は無かった。
「……私は、おじさんに……謝りたくて……」
絢香は崩れるように膝をつく。目の前で泣き叫ぶアトリの姿を呆然と見つめ、彼女は静かに涙を流した。
彼女が涙を流したのは、その時が初めてだった……
◇◇◇◇
「……やれやれ、また暫くトマトスープが飲めなくなるな」
13番街区のとある路地。連絡を受けて急行したジェイムスは目の前の惨状に頭を抱える。
「……これを、あの女性がやったんですね」
「いや、赤い染みになってる奴らは多分このデカブツの仕業だな。いくら掃除屋でも、人間相手にここまで凄惨な殺し方はしない」
路地に散らばる肉片、中身の混じった血飛沫、そして潰された肉塊。色々とショッキングな光景に慣れているジェイムス達ですら目頭を押さえる程の光景だ。
「先輩……このデカブツも、元は人間だったんですかね」
「だろうな……考えたくはないが」
同行したロイドは血だるまになった大男を見て目を細める。
両眼を抉られ、耳と鼻を潰され、全身に抉り取られたかのような裂傷が見られる。既に大男は息絶えているが、何をどうすればこの怪物がこんな無残な姿になってしまうのか……ロイドには想像もできなかった。
「さっきの……ええと、掃除屋の人は人間なんですか」
「本人はそう言ってるよ」
「はぁ……」
「まぁ、ここで何があったのかはコイツに聞くとするか」
ジェイムスは道の隅っこで震えるチンピラに目をやる。
この惨状の中、ただ一人奇跡的に生き残ったようだが顔面蒼白でとても会話が出来そうにない。彼は目の前で仲間が化物に変化し、その仲間の手で仲間達が殺される光景をまざまざと見せつけられていたのだから。
「勘弁してください、勘弁してください、勘弁してください、勘弁してください、勘弁してください、勘弁してください、もうしません、もうしません、もうしませんから……」
「……まともな会話ができそうにないですけど」
「少々荒っぽい処置になるが、無理矢理にでも聞き出さないとな。こいつには気の毒だが……」
ジェイムスは暗い表情で言う。普段は見せない彼の一面を見て、ロイドは息を呑んだ。
異常管理局。リンボ・シティの治安や世界の安定を維持すべく活動する一大組織。彼らはこの街や、世界を維持する為ならば非情に徹し、時には冷酷とも言える手段も敢行する。否、非情にならなければいけないのだ。
非情になり切れなかったが故に、彼らはかつて住んでいた世界を失ってしまったのだから。
「……少し遊び過ぎちゃったかしら」
小夜子は小走りでビッグバードに向かっていた。彼女の服装は返り血で汚れ、鼻を突く血の匂いに顔をしかめながら絢香の元へ急ぐ。
「私もまだまだあの子を悪く言えないわね。早く先生みたいな大人にならないと……」
ビッグバードまであと数メートルという所で、店から飛び出す謎の男性の姿があった。
彼は脇目も振らずに走り抜け、小夜子とすれ違ったが絢香の事で頭が一杯だった彼女は走り去る大男に目もくれなかった。
その男が、自分の憧れる大先輩であったと彼女が知るのは……まだまだ先の話である。
「絢香、大丈夫……ですか?」
店に足を踏み入れた彼女が目にしたのは、血塗れで息絶える男性に泣きつく女性と、静かに涙を流す妹の姿だった。
「うっ……ううっ、うっ……!」
「……絢香、大丈夫?」
小夜子は困惑しながら絢香に近寄って声をかける。
「……あ」
「……絢香?」
「小夜子……どうしよう……私……どうしたら」
「何があったの?」
「私……ッ!!」
姉の姿を見て緊張の糸が切れたのか、絢香は小夜子に抱き着いて泣き出す。血と肉の焼け焦げた匂いが充満する店内に、身を裂くような悲しい泣き声が響く。
それは、11月の終わり頃。冷え込む冬の遅がけ。とある小さな喫茶店で起きた出来事であった。
泣いたっていいじゃない。にんげんだもの。