20
もうすぐクリスマスですね。一年は早いものです。
「この傷を、覚えているかな?」
ヴェーダはシャツのボタンを外し、かつてスカル・マスクに付けられた胸の傷を見せる。傷口には不気味に蠢く肉塊が埋め込まれ、まるで心臓のように脈動していた。
「……」
「そう、君がつけた傷だ。本当なら致命傷だが……この通り、妻が治してくれたよ」
「……妻……?」
「これは、彼女の身体の一部だ。妻は命が尽きる前に自分の身体を割いて私の傷を塞いでくれた」
「……そう、か」
「ああ、そのお陰か……こんな芸当も身に着けたんだ」
ヴェーダは怪物のように変化した両腕をタクロウに見せ付ける。
「私の身体は、半分ヴリトラになっている。だからこそなのか、身体の一部をこのように怪物化することも出来るんだ……凄いだろう?」
「……」
「この力は、妻が私に残してくれた贈り物。この力は……」
禍々しい魔剣と化した左腕を振り上げ、ヴェーダは最高の笑顔を浮かべる。
「お前を、殺すためのものだ……スカル・マスク」
万感の思いを込め、ヴェーダは左腕をタクロウに振り下ろす────
「やめろぉおおおおお────!!!」
ヴェーダの左腕がタクロウを両断する直前、絢香が頑丈な窓ガラスを蹴り破って店内に侵入する。ガラスの破片を拾い上げ、手裏剣のように勢いよくヴェーダに投げつけた。
「……おや、君は」
ヴェーダは右腕でガラスの破片を掴み取って握りつぶす。そして自分の前に現れた銀髪の少女に優しい視線を向ける。
「お嬢さんいけないよ、人に向かってガラスを投げちゃ」
「……!」
「危ないじゃないか、次からは投げちゃいけないよ?」
ヴェーダの表情は驚く程に優しげで、彼女の不意打ちをまるで意に介していないようだった。
その口調もいつものような紳士然とした物であり、異形化した両腕と血を流して膝をつくタクロウとの対比も相まって彼の異常性を強烈に印象付けていた。
「……その人から、離れるのです」
「その人? ああ、彼のことか……いやいや、そうもいかないよ。私は彼に用があるんだ」
「その人から、離れろ……ッ!」
絢香は勢いよく駆け出し、一瞬にしてヴェーダとの距離を詰める。
────ドゴォッ!
人間離れした瞬発力に驚くヴェーダの腹部を狙って強烈なパンチを放った。
「……お゛っ!」
絢香の右拳は腹部に深々とめり込み、流石のヴェーダも前屈みになって硬直する。
続けて左拳によるアッパーで硬直するヴェーダを追撃し、僅かに宙に浮いた身体を右脚を鞭の様にしならせながら放った渾身のひねり蹴りでカウンター席まで蹴り飛ばした。
「うおおおおおおおおおおおおっ!」
吹き飛ばされたヴェーダはカウンター席ごとテーブルを破壊し、店の壁に激突してダウンする。
壁には大きな亀裂が走り、厳選された丈夫な素材で作られている筈の大きなカウンター・テーブルは見るも無残な姿になった。
「おじさんっ! 大丈夫ですか!?」
「……何を、しに来た?」
「何って……おじさんを助けにッ」
タクロウを心配する絢香の右肩を突然、鋭い刃が貫いた。
「あうっ……!?」
破壊されたカウンター・テーブルから伸びるその凶刃は、ヴェーダの左腕が槍のように変化した物であった。
「おい、お嬢……っがはっごぼっ!」
「いけないよ、お嬢さん。暴力はいけない……女の子は大人しくしてないと」
「あぐうっ!」
絢香から刃を抜き取り、悲鳴を上げて怯む彼女にまるで野獣のような俊敏さでヴェーダは接近する。その速さは、絢香が彼と距離を詰めた際のスピードを遥かに上回っていた。
「うう……ッ!?」
「だから、大人しくしていなさい」
「うあっ!」
ヴェーダは絢香の顔を右腕で掴んで硬い床がひび割れる程の勢いで叩き付けた後、まるで人形を投げ飛ばすかのように軽々と彼女の身体を投げ飛ばした。
「ぎゃうっっ!!」
飾られたテーブルや椅子のいくつかを巻き込みながら絢香は吹き飛び、今度は自分が店の壁に叩きつけられる。彼女は激しく吐血し、そのまま崩れ落ちた。
「あぅ……っう!」
「おいっ……、大丈夫か……っ! おい!!」
タクロウは彼女を心配して声をかける。あの一瞬の攻撃でかなりのダメージを受けてしまったのか、絢香は立ち上がれずに苦しげな呻き声をあげながら店の床を引っ掻く。
「がはっ……おい、あの子には……っ!」
「ただのお仕置きだよ。やんちゃな子には必要だろう? まぁ、普通の人間なら死んでいるだろうが……」
「……!!」
「掃除屋は、あのくらいじゃ死ねないだろう?」
ヴェーダはゾッとするような笑みを浮かべて言う。
彼はこの15年の間に何度も掃除屋の襲撃を受けており、死の淵にまで追い詰められながらもそれらを退けてきた。彼らと戦闘する度に嫌でも痛感させられるのが、掃除屋達の圧倒的なタフネスだ。
「薬でも飲んでいるのか、それとも身体を改造しているのか……果ては人間ですらないのか。とにかく中々死なないのが掃除屋だろう? 流石に首を飛ばしたり、真っ二つにすれば死んだが」
「……」
「彼らとの鬼ごっこは刺激的だったよ。何より、いつかは君がまた私を殺しに来てくれるんじゃないかという期待もあったから暫くは続けていたんだが……君は現れなかったね」
タクロウの沈痛な表情を見て、ヴェーダは少し目を曇らせる。
「偶然、私に割り当てられなかったのか……それとも、その前に君が掃除屋を辞めたのか。もしくは私たち夫婦を殺すことが最後の仕事だったのか」
「……やめろ」
「何にせよ、君を探すのはとてもとても大変だった」
ヴェーダの名前を捨て、その顔も変えた後の生活に何一つ不自由は無かった。
白い花を売ればいくらでも金は手に入った。街に撒かれていた黒い花は既に処分され、家で育てていた蕾も丸ごと焼き払われたが 白い花の存在は最近まで異常管理局も把握できていなかった。長い間逃亡生活を続けていたヴェーダは今や管理局以上にこの街の暗部や闇の領域に精通し、白い花を餌にして多くの協力者も得ていた。
自らも悪魔になる事で、彼はこの地獄に適応したのだ。
「だが……流石に15年も見つからないと私の決意にも陰りが出てね。一度は君を忘れることも考えた」
タクロウの顔に左腕の刃を向けながら、ヴェーダは静かに呟いた。
ふふふ、紅茶の備蓄は万全よ!