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「ありがとう、本当にこの店のコーヒーは美味しいよ」
「ふふふ、いつもありがとうございます」
「タクロウ君が淹れてくれるものも良いがね」
「どこで差がついたんだろ、その子にコーヒーのブレンドと淹れ方教えたの俺なんだけどな……」
外の様子を知る由もないビッグバード店内は相変わらず常連達で賑わっていた。
ジャックを筆頭とする【アトリ親衛隊】こと馬鹿三人組は、クロスシング夫妻と談笑するマークに睨みを利かせながらソフトドリンクをストローで啜る。
「ぢゅるるる……何でだろうな、どうもあのオヤジが好きになれん」
「俺もだ、何でだろうな」
「本当に何でだろうな」
「おい、三馬鹿。いい加減にしねーと出入り禁止にすんぞ」
マークを警戒する三馬鹿にタクロウは釘を刺す。
「「「三馬鹿言うなよ!!!」」」
「じゃあバカリオでいい? BAKA+TRIOでバカリオ、カッコいいだろ」
「そういう意味じゃねーよ!?」
しかし馬鹿ゆえの本能的な危機察知能力の高さか……三人の勘は的中していた。
あの恰幅の良い紳士、マークはこの街にソーマをばら撒いた危険人物だ。夫妻を始めとした他の客は完全に気を許しているが、その男は下手な怪物よりも怪物的な本性を秘めている。
「そうだ、あの花は大事にしてくれているかね?」
「ええ、それはもう。ありがとうございます」
「その笑顔だ……君は本当に綺麗だよ、アトリさん」
「またまたー、照れちゃうからやめてください」
「羨ましいな、タクロウ君は」
「やめろよー、俺も照れるだろが」
「はっはっはっ」
少しの間楽しげに笑った後、マークは静かな口調で言う。
「……さて、実は君たちに伝えたいことがあるんだ」
「ん?」
「どうしました? マークさん」
「君たちに、お別れをしなければいけなくなったんだ」
彼は席を立ち、名残惜しそうな顔で店内を見回す。
いきなりの事でアトリは驚きを隠せず、タクロウも目を大きく見開いて困惑した。
「ど、どうしたんですか? マークさん」
「すまない、前から伝えようと思っていたのだが……中々言い出せなくてね。本当にこの店が好きになってしまっていたんだ」
「いやぁ……そんないきなり言われても、困るぞ? 何かあったのか??」
「ああ、でもそれを言うのが辛くてね」
マークは静かに涙を流す。その涙に夫婦は戸惑い、他の常連客もざわめき出す。いつしか彼はこの店を心から愛するようになっていた。
「……まぁ、何だ。仕事とか、色々と事情があるんだろうがこの店はずっとやってくからよ」
「そうですよ、落ち着いたらまた来てください。いつでも温かいコーヒー淹れますから」
「ありがとう、ありがとう……これで ようやく決心がついたよ」
取り出したハンカチで涙を拭い、マークはにっこりと笑う。そして優しい声で言った。
「さようなら、タクロウ君……いや スカル・マスク」
「……は?」
突然、マークは右腕を変異させてタクロウを殴り飛ばす。190cmを越す巨体は天井高く打ち上げられ、そのまま店の奥まで吹き飛んだ。
「え?」
「……がっっはっ!!」
タクロウの右頬は大きく抉られ、彼は激しく吐血する。
目の前で起きた出来事を理解出来ず、アトリは硬直しながら殴り飛ばされた夫に目をやった。
「やっと君にさよならが言えるよ。ああ、本当に……本当に長かった」
「……あなたっ!!」
「てめえっ!!!」
ジャックはマークに殴りかかろうとするがその拳が届く前にマークの右腕で軽く弾き飛ばされる。ジャックはそのまま仲間達の所に吹き飛び、二人を巻き込んで大きく転倒した。
「あだぁぁあっ!!」
「いでぇっ!」
「くっそ! 何だよ、いきなり!?」
「おっと、すまない。手加減はしたつもりなんだが……」
「あなたっ!」
アトリはタクロウに駆け寄り、大きく抉れた彼の顔をハンカチで押さえつける。
「ぐ、う……っ!」
「どうして、どうしてこんなことを!!」
「……どうして? どうしてと言うのかね……彼の妻である君が」
「……!?」
「何も知らなかったのか? 本当に、夫のことを」
マークはタクロウに寄り添うアトリに悲しい眼差しを向けながら言う。
亡き妻と瓜二つの顔に涙ながらに見つめられ、彼の胸中はまるで穴が空いたかのように激しく軋んだ。
「彼の名前はスカル・マスク……かつて、伝説の掃除屋と呼ばれた男だよ」
「……スカル……マスク……」
「……やめろ」
「そうだ、ずっと探していた。ずっと、ずっとずっとだ……あの夜に君と出会ってから……!」
右腕に続き、マークは残った左腕も大きく変異させる。
辛うじて人の腕と認識できる程度には人体の面影を残していた右腕と異なり、その左腕はまるで血に塗れた剣のような形状になる。床に歪な刃先を当て、キリキリと音を立てながらゆっくりとした歩調で彼は夫婦に近づく。
「……!」
「アトリさん、どいてくれ」
「タクロウさん……!?」
「いいんだ、ありがとう」
タクロウはアトリを押し退けて立ち上がり、自分に近づいてくるマークを虚ろな目で見つめる。
「そうだ、その目だ。君は、あの夜もその目で私たちを見ていたな……」
「……マーク、お前は」
「覚えていないか……そうだな、私も大分変わってしまったからね。君から受けた傷を癒やすのにかなり無理をしなければいけなかったからな」
「……」
「そして、私の名はマークではない。本当の名前は……ヴェーダ」
「!!」
マークの本当の名を聞いてタクロウは衝撃を受ける。彼はその名前を知っていた。
いや、忘れたくても忘れられなかったのだ。
「……ヴェーダ」
「そうだよ、思い出したかね? いや、忘れるはずがない……忘れるなど許さない!!」
マーク。否、ヴェーダを名乗る男はタクロウの右肩に左腕の刃を突き刺す。
「ぐあっ!」
「いやっ、タクロウさん!!」
「……来るな!!」
駆け寄ろうとするアトリをタクロウは制止する。
「……皆と、裏口から逃げろ」
「でも、でも……!」
「アトリ! 皆と一緒に早く逃げるんだ!!」
彼は愛する妻に顔を向けずに苦しげな声で叫ぶ。
「そうだよ、アトリさん。逃げなさい……皆を連れて」
「……!」
「ここから離れるんだ……君には、見せたくない」
ヴェーダもアトリに語りかける。
夫の肩を無慈悲に刺し貫いているというのに、彼女に向ける表情は優しげで その声もいつものように紳士然としたものだった。
(……どうして……?)
アトリは目の前の光景を受け入れられず、まるで悪い夢を見ているかのような気分だった。
まだまだ底があります。ゴリラには頑張ってもらいましょう。