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同刻、リンボ・シティ2番街区のとある一軒家にて。
「やぁ、ソーマ。今日も素敵な日だね」
マークは自室で育てている白い花に水をやりながら嬉しそうに言う。
広い室内はモダンナチュラルな装いで揃えられ、年代物の柱時計が心地よいリズムを刻んでいた。
「いつもより嬉しそうだって? ははは、今日は特別な日だからね……少しくらい浮かれてもいいだろう??」
彼は白い花に笑顔で語りかける。花の蕾はマークの声に反応しているかのように、白い花弁を咲かせ その様子を見た彼は更に上機嫌になった。
「覚えているかい? この街に来た時、皆がぼくらの花を買って喜んでくれたんだ……幸せにしてくれる花だってね」
部屋の中心に置かれたテーブルの上には写真立てが置かれている。
そこには若かりし頃のマークと、黒い花束を手にした彼の妻の写真が飾られ、二人はとても幸せそうな笑顔を浮かべていた。
「ああ、今でも思い出せるよ。君と二人で、花を売っていた時のことを……本当に幸せな日々だった」
マークが育てている白い花の名前は【ソーマ】
彼の愛する美しい妻と同じ名前でもある。
しかし彼の家には写真にある妻の姿は見られない。この家にはもうマークしか住んでいないのだ。何故なら、ソーマは既に亡くなってしまっているのだから。
ボーン、ボーン、ボーン……
部屋に置かれた柱時計が15時を知らせるベルを鳴らし、丁度水やりを終えたマークはじょうろを置いて一息付く。
「ああ、時間だ。少し出かけてくるよ……大丈夫、すぐに戻るさ」
コートラックから取り出した灰色のコートを羽織ってマークは家を出る。
窓際の花壇に咲く白い花は風が吹いていないのにゆらりと揺れ、まるで彼を見送っているかのようにも見えた。
「ああ、アトリさんは心配しているだろうか。いつもは午前中に顔を出すからな……」
やや曇りがかった空を見上げながらマークは街を歩く。通りかかったタクシーに声をかけ、停車した所にいそいそと乗り込む。
「どちらへ?」
「13番街区まで頼むよ」
「13番街区……ですか」
「料金は多めに出すよ。少し急いでいるんだ、早く出してくれないかね?」
「……わかりました」
運転手は13番街区までと言われて嫌そうな反応をするが、マークに急かされて渋々了承する。マークを乗せたタクシーは目的地に向けて走り出し、道路脇に停められていた数台の車がその後をつける。
「あのオヤジは相変わらず何を考えてるのかわからねえな」
「いいじゃねえか別に。これが終わればあの花と一緒に大金も貰えるって約束だ、前金貰ってるし頑張らねぇとな」
「あいつらの敵討ちも、だろ? ヒデェぞお前ら……」
「畜生、俺たちの大事な仲間をよくも! 仲間の仇は俺たちが討つ!!」
「ぶっ……っアブねぇ! 笑わせんなよ!! 事故っちまうだろうが!!」
タクシーの後を追うのは先日に掃除屋の襲撃を受けたソーマの売人達の生き残りだ。
彼らはたまたまその場に居合わせなかった為に難を逃れたが、懲りずにまたソーマで荒稼ぎしようと目論んでいる。管理局が未だ睨みを利かせているというのに呑気なものだが、ソーマを抜きにしてもマークが提示した金額は彼等の目を眩ませるには十分すぎる額であった。
そして街に白い花をばら撒き、危険薬物【ソーマ】と【ネクタル】の精製方法を余人に教えた元凶こそがマークだ。
「はははは」
「上機嫌ですね、何か良いことでも?」
「ああ、今日は特別な日なんだ。だからつい気分が浮ついてしまってね」
「なるほど……」
「そうそう、君は結婚をしているかね?」
「えっ、ああ……はい。結婚して8年になります」
「ああ、それは良かった。妻とは仲良く出来ているかね? 妻は大事にしないといけないよ。私にも自慢の妻がいてね、今は傍にいないが……」
マークは亡くなった妻の自慢を運転手に延々と聞かせる。愛する妻を失った事で、彼は心を病んでしまったのかもしれない。だが、妻を失った悲しみを背負って過ごす間に彼は見つけてしまったのだ。
写真の中で微笑む妻と瓜二つのアトリという女性を。
◇◇◇◇
「絢香の方からお出かけに誘うなんて珍しいですね」
「……」
「ふふふ、そんなに気に入ったの? そのお店」
「……まぁまぁ、ね」
絢香は姉の小夜子と二人で街を歩いていた。
今日の絢香の服装は悪目立ちする黒いコートではなく、大きなリボンタイがチャーミングな白地のブラウスに黒いフリルスカートというお洒落な服装。小夜子の服装は黒いドレスシャツとデニムパンツというシンプルなもので、長い銀髪をアップヘアで纏めている。
ハリーと名付けられた十字架型超兵器はブレンダの診療所に置いてきたらしい。
「先生も来たらよかったのに……」
「本当ね。あんなに嫌がらなくても……よっぽど怖い人がいるのでしょうか」
「……本当に、怖いのです」
「それでも行きたいの?」
「……迷惑をかけちゃった以上は、ちゃんと謝らないと駄目なのです」
絢香はボソボソと呟いた。不器用ながらも素直で純粋な妹に小夜子はにっこりと笑う。
「もう少し進んだ先の角を曲がるとそのお店があるのです。名前は」
二人の進路を塞ぐかのように一台の車が停車する。車の中からは数人の男達が現れ、ニヤニヤしながら二人に話しかけた。
「お嬢ちゃんたち、これから何処に行くの?」
「……その先のお店です。どいてください」
「駄目だよ、この先はちょっとこれから賑やかになっちゃうから。ね、今日は家に帰ろ?」
「ええと、通してくれませんか? 私たちはその先に用が……」
男は銃を取り出す。どうやら男達はこの先のビッグバードに人が立ち寄らないようマークから人払いを任されたようだ。
「な? ここは素直に言うこと聞いておこうぜ」
「どうしてもって言うなら、行かせてあげてもいいけどよ」
「そうそう、俺たちと遊んでくれたらな?」
男達は下卑た笑みを浮かべて姉妹を見る。二人は小さく溜息を吐き、互いの顔を見合わせる。
「……だそうです。どうするのです?」
「そうですね、じゃあ遊んであげましょうか?」
小夜子はニコニコと笑いながら言った。
「うおっ、マジで!?」
「おいおい、言ってみるもんだな」
「どうしよう、俺大きい子かなり好みなんだけど!」
「ぼくぅ! 小さい子がいいです!!」
命令よりも自分の欲望に忠実な男達は色めき立つ。
確かに二人の容姿はとても美しく、意外と美女が多い辺獄都市でも滅多にお目にかかれない程の美人姉妹だ。金髪魔女が率いる色物美女軍団と違い目立った騒ぎを起こさないので13番街区の住民からも密かに人気があるという。
「嬉しいですね、絢香。私たちモテモテですよ?」
「……嬉しくないのです!」
……しかし彼女達の真の姿は掃除屋。こと無慈悲さならドロシーをも上回る、この街の処刑人だ。