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掃除屋。向こう側に存在した宗教団体が抱えていた異端審問官とその弟子達を起源とする組織。
異常管理局とは協力関係を結んでおり、時には管理局の依頼を受けて行動する事もある。その内容は管理局職員が出動する程の事件は起こしていないが、潜在的に大きな危険性を孕んでいる団体及び個人の排除。そして管理局が動くには何かと都合が悪い相手の牽制もしくは抹消。
異界の難民に対して柔和な姿勢を取っているリンボ・シティだが、それでも最低限のルールは存在している。それすらも守れない【異物】を掃除する役目を担うのが彼らだ。
基本的に彼らの存在は民間人には伏せられており公の場に掃除屋の名が出る事はない。また多くの掃除屋は一般人に紛れて生活し、同じ掃除屋であっても人前で素性を明かすのはタブーとされていた……。
◇◇◇◇
「ふぁ~……暇だわぁ」
診療所の質素なソファーにもたれ掛かり、ブレンダは欠伸混じりに呟いた。
「先生、暇じゃありません。先程治療した患者さんが痛い痛いって……」
「ん? 麻酔がまだ効いてるはずだけど?」
「起きてますよ、さっきから……」
「そう、でも私の仕事は終わったし。あとはその人の回復力次第ね」
助手の小夜子は不真面目なブレンダに目を細める。
術後だというのに血まみれの白衣のままタバコを吹かし、苦痛を訴える患者の事など知らぬ存じぬを決め込む闇医者の姿に小夜子は小さく溜め息をついた。
「そもそも夜まで起きるはずないんだけど。あなた、本当に話した通りの分量打ったの?」
「打ちました……」
「じゃあ起きないわね。あなたが聞いたのは幻聴よ」
「……多分」
小夜子は小声で言った。
彼女は数年前からブレンダの診療所で助手をしているが、未だに麻酔の分量を間違えるという洒落にならない欠点を持つ。肝心な医療技術も今ひとつであり、正直に言うと医者に全く向いていない。
「多分??」
「も、もう大丈夫です先生! 次はちゃんとしますから!!」
「毎回ちゃんとして? 次は何もしないでとりあえず見学してなさい」
「でも……」
「まずは覚える、そして頭に叩き込む。『もう大丈夫』ってのは患者に向ける言葉であって、私に言う言葉じゃないの。いいわね? とにかく見て覚えなさい」
しかし彼女は真剣に医者を目指しているらしく、医療技術だけは優れているブレンダの手術を間近で見ながら日々努力している。ブレンダもそんな彼女の姿勢は内心で認めており、何だかんだ助手を任せている。
「絢香はまだ寝てるのかしら」
「そうですね、まだぐっすり眠ってます」
「同じ義体でも姉妹で差があるのねえ。あなたはまるで寝ないのに、あの子は下手すると半日は寝たまま。たまにやたら早起きするけど」
「……先生、私たちは人間です。その呼び方はやめてください」
小夜子は首筋の赤い十字架を摩りながら険しい表情でブレンダを見つめる。
「……そうだったわね。ごめんなさい」
この姉妹も彼らのように、望まぬ形で人外の力を得てしまった被害者なのだ。
「えっ、あ……そこまで気にしなくていいです。大丈夫ですから」
「でも、一応気をつけておくわ」
「それにしても……先生が謝るところ、久しぶりに見ました」
小夜子の意外な発言を聞いてブレンダは珍しく目を丸める。普段は滅多に見せない彼女のコミカルな表情を見て、小夜子は小さく笑ってしまった。
「そんなに珍しい?」
「ふふっ、珍しいですよ。だって先生は患者さんに怒られても、自分から誰かにぶつかっても私達にセクハラしても謝らないじゃないですか」
「小夜子、最後」
「私、知ってますからね?」
赤い目を光らせて自分を睨む小夜子からブレンダは目を逸らす。目を逸らした先には、寝起きの絢香が半裸で棒立ちしていた。
「……ぉぁょぅごゎぃましぁ」
「おはようじゃないわ、おそようよ」
絢香は美しい銀の長髪が辛うじて胸を隠し、ずり落ちたパンティーは大事なところが見えるか見えないかの際どいラインをギリギリ隠しているだけの非常に刺激的な格好でよたよたと歩く。
「ああっ! 駄目、絢香! そんな格好で出てきたら先生にセクハラされるわ! あの人はレズでロリコンの変態なのよ!?」
「小夜子?」
「ぉぁよぅ、さゃこ。おぁょぅ……」
「いいから服を着なさい! 先生が見てるから危ないわ!!」
「んぁぅー……」
「……ちょっとおかしいでしょ、私を何だと思ってるのよ」
小夜子は急いで絢香を連れて診療所の奥に向かう。
この診療所は柩姉妹の寝床代わりでもあり、衣食住の全てをブレンダに賄われている。姉妹とブレンダの付き合いは長いようで、畜生眼鏡二号と名高い彼女も二人の前ではかなり丸くなる様子だ。
「こうして見ている分には良い子達なのにね……」
ブレンダは視線を部屋の隅に向ける。
殺風景な部屋の奥には白い布に包まれた巨大な十字架と鍔のない長刀が無造作に置かれており、部屋のシンプルな内装も相まって異質な存在感を放つ。
「ふー……いい加減に片付けて欲しいんだけど」
それは姉妹の仕事道具。医者の助手という表の顔とは対照的な、掃除屋という裏の顔を見せる際に彼女達が扱う物だ。
「全く、何の因果かしら」
ブレンダが昔を思い出して物思いに耽っていた頃、彼女の携帯に着信が入る。
「もしもし、どちら様……」
『よう、久しぶりだな。元気にしてるか?』
電話をかけてきたのはタクロウだ。彼の声を聞いた途端にブレンダは眼鏡を外し、落ち着かない様子でソファーから立ち上がる。
「……何か用?」
『いやぁ、大したことじゃぁないんだけどね? 一つ聞いていいかな??』
「だから何?」
『お前、俺のことバラしただろ』
タクロウのドスの利いた声が耳に入り、ブレンダは引き攣った笑みを浮かべた。
初期プロットだと先生は常識人枠でした