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とりあえず一発は許してくれる優しいお嬢様。
「こんのクソヴィッチがァァァーッ!」
「あなたっ!!」
タクロウは憤怒の形相で再びドロシーに掴みかかろうとするが、見かねたアトリが彼を叱りつける。
「いい加減に落ち着いてください!」
「……ッ!」
「これ以上、ドロシーさんに乱暴するなら……」
「大丈夫よ、アトリちゃん。ありがとう」
自分を庇うアトリの肩にそっと触れ、ドロシーは静かに立ち上がる。
「ド、ドロシーさん!」
「それで気が済んでくれるなら安いものよ。その後で僕の話も聞いてもらうけど」
「そんなっ! 駄目ですよ!!」
「さぁ、タクロー君。僕が気に入らないならボカッとキツいの食らわせなさ」
ドロシーはアトリを退かせて前に出ようとするが、そんな彼女を庇うようにスコットがタクロウの前に立ちふさがる。
「……社長、それは駄目でしょう」
「スコッツ君、退いて。タクロー君は」
「社長を殴るならその前に俺を殴ってください」
スコットは鋭い目つきでタクロウを睨みつける
「ちょ、ちょっとスコッツ君!」
「社長は黙っててください」
「だ、駄目ですっ! あなた、落ち着いてっ!!」
「……本っっっ当に、よぉぉぉーっ!!」
妻に続いてスコットまでドロシーを庇い、殴ろうにも殴れなくなったタクロウは顔を赤くしながら地団駄を踏むしかなかった。
「がぁぁぁーっ! くっそ、ホンッッットにお前らはよぉおおおー!!」
「あれ、殴らないの?」
「うるせええええええええっ! さっさと話せ、クソァォォォーッ!!」
何とか拳を引っ込め、行き場の無い苛立ちを必死に抑えながらタクロウは叫ぶ。
「僕もデート中に知らない銀髪の子に呼び止められたと思ったら、いきなり十字架突きつけられて大変だったのよ。何も知らないって言っても聞いてくれないしー……」
「あー、あの子ですか。確かに面倒臭い子でしたね。あとデートじゃなくて買い出しですよ、社長?」
「ん、デートでしょ?」
「買い出しですって!」
「まぁ、二人でお出かけ中にその十字架背負ったコスプレイヤーに絡まれたの」
ドロシーは先日に起きた絢香とのプチトラブルを話す。
彼女が水曜日なのにビッグバードに訪れなかった理由がそれだ。直接的ではないにせよタクロウの過去に繋がるような情報を話してしまい、その申し訳無さとデートを邪魔された気分転換に日が暮れるまでスコットと街を回っていたから店に現れなかったのだ。
「とりあえず何か話さないとスコッツ君が 犯罪者 になりそうだったから仕方なく……」
「誤解を招くような言い方はやめてください! ちょっとしつこいから軽く頭を叩こうとしただけですよ!!」
「クソがぁぁぁああー!!」
「どっちにしても君の過去について教えたのはブレンダ先生じゃない。どうせ『ドロシーちゃんが教えた』とか言うように彼女に刷り込んだんでしょ……あの人ならそうするわ」
ブレンダ・カーマイン。13番街区に小さな診療所を構える闇医者の女性。
本人は知る由もないが、彼女は住民達の間で『畜生眼鏡二号』という大変不名誉なアダ名で呼ばれている。その理由は察しの通り……
「……」
「……」
「まぁ、その……何だ」
「なぁに、タクロー君?」
「……ご注文をどうぞ」
「まずはアイム・ソーリーでしょ、タクローちゃん?」
気不味そうに背を向けるタクロウに、ドロシーは満面の笑みで謝罪を求める。
「あなた、ちゃんと謝って??」
「ううっ……!」
アトリにも謝罪を求められてタクロウは思わず顔を覆う。ドロシーが原因とは言え、今回の暴走は自分に非がある。観念した彼は込み上がってくる胃液をグッと飲み込み……
「すぅぅぅんん────ッん!!!!」
タクロウは言葉にならない変な声を上げて凄まじい勢いで頭を下げる。
彼は『すいませんでした』と言ったつもりだが、謝罪の途中に無意識に歯軋りを立てたお陰で思いっきり舌を噛んだ上、ちゃんとした言葉にすらなっていないという二重苦。
「うん、いいよ! 許しちゃう!!」
不格好にも程があるタクロウの謝罪をドロシーは笑顔を受け入れる。
「じゃあ、特製オムレツセット二つね。ドリンクは紅茶ー」
そしてトドメとばかりにいつものメニューをご注文。開店してわずか数分でタクロウのプライドはズタボロにされてしまった。
「社長……流石に……」
「やだよ、昨日は我慢したんだから今日はオムレツ食べるの」
「……かしこまり……ました……」
「いや、タクロウさんも無理しなくていいですって! もう俺達帰りますから!!」
「タクロウさん、大丈夫……?」
「さぁ、席に座って……美味しいオムレツを焼いてやるから……アトリさん、ちょっと肩貸してくれる?」
「は、はいっ」
「美味しく食べられませんよ!?」
アトリに介抱されながら厨房に向かうタクロウにスコットは言う。悲痛過ぎるゴリラの背中に同情の涙を流し、先程まで彼に抱いていた敵対心は既に消失。
「ほら、スコッツ君。座りなさい」
「社長!?」
「タクロー君が美味しいオムレツを焼いてくれるから。お客様は席で待たなきゃ」
「アンタの血は何色ですか!?」
そんな彼を目の当たりしてもこのような台詞を言ってのけるドロシーにスコットは心の底からドン引きした。
「……えーと、ホウ酸……ホウ酸は確か……」
「あ、あの、タクロウさん?」
「ああ、マイハニー! ハニーはスコットの分を焼いてあげてくれるかい!?」
「ええと、それは……」
「ああ、ドロシーのオムレツには特別な味付けをしてあげようと思ってね……ウフフ!!」
「駄目ですよ!?」
一方、厨房ではドス黒いオーラを纏ったタクロウがドロシーのオムレツに毒物を混ぜようとしていた。