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「本当に、お昼前から素敵な光景だわ……」
午前11時30分。リンボ・シティ1番街区、シティ全体のほぼ中心に存在する異常管理局セフィロト総本部。
その威厳有る正面ゲートの目の前に小規模な異界門が発生した。
調査班所属の観測手による空間調査から、近日中に60%の確率で発生する事は予測されていたが、さすがに総本部前に開くのは想定外だった。
幸い、異界門から向こう側の存在は未だ現れていないが当然ながら油断はできない。
「このまま閉じてくれれば助かるのだけど」
緊張の走る異常管理局セフィロト総本部の最上階、賢者室に座する大賢者は憂鬱げに溜息を吐いた。
「大賢者様、紅茶をお淹れしました」
秘書のサチコが大賢者にお茶を勧める。
彼女は他の職員と違い白い生地に金色のラインと刺繍が施され、肩に【生命の樹】を象ったエンブレムが刻まれたロングコートを着用している。
その特徴的な白のコートは管理局職員の中でも地位が高い者に与えられる特別仕様である。
「調査班によると、どうやら既に収縮を始めているそうです。今回は偶発的に開いた唯の穴のようですね」
「ありがとう、サチコ」
「門から異界の存在が現れる兆候も見られません。今日は異界門関連の騒動が発生する心配はなさそうです」
「それは良かったわ……ふふふ、今日の紅茶はやけにぬるいわね。一難去った後にまた一難ありそう」
大賢者は紅茶に一口つけた後、穏やかな笑みで今日の街の運勢を予言した。
「……申し訳ありません。すぐに替えの紅茶を」
「いいのよ、このままいただくわ。ぬるくてもサチコの紅茶は美味しいから」
その瞬間、異界門から異音が轟き出す。
収縮を始めて狭まってきた黒い丸穴から5mはあろうかという機械と生き物が歪に混ざり合った異形が這い出てくる。
全身から突き出したパイプのような突起からは緑色の廃液のような液体が漏れ出し、筋繊維が剥き出しとなった有機的な肉体に食い込むようにして機械部品が張り付いている。
〈ヴァア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ────!!!!〉
その瞳は白目を向き、どう見ても知性を有しているとは思えない悲鳴にも似た恐ろしい叫び声をあげていた。その醜悪さに、大賢者は目を細める。
「……前言を撤回します」
秘書官は眉をわずかに歪ませて申し訳なさそうに呟く。
「サチコ、今日は誰がいたかしら」
大賢者はその場で異形の処遇を決定する。
あの異形とは意思疎通が不可能だと彼女の直感が告げていたからだ。
「はい、本日はジェイムス氏が執務室におられます。彼に対処を?」
「頼んでちょうだい。くれぐれも油断しないように、今回のあれは少し面倒そうよ」
秘書官は連絡端末を起動し、ジェイムスに処理を依頼する。
「……ふぅ」
ぬるい紅茶を啜って少し頬を緩めた後、暴れまわる機械の異物を睨みつけて大賢者は静かに言う……それはとても冷たい声色だった。
「残念だけど、あなたの居場所はこの世界には無いわ」
◇◇◇◇
『正午のニュースの時間です。リンボ・シティ1番街区、異常管理局総本部前にて発生した異界門から……』
場所は変わってウォルターズ・ストレンジハウス。
街の喧騒とは無縁の場所に建つ一軒家のリビングでスコット達は呑気にニュースを見ていた。
「わー、目の前に出てきちゃったの。大変ねぇ」
「うふふふ、職員の方々はてんてこ舞いでしょうね」
「ふふふ、そうね」
「あの社長……一つ聞いていいですか?」
「なぁに? スコッツ君」
「ここって……普段何をしてる会社なんですか? それと俺はスコットです」
「よくぞ聞いてくれました」
ここでスコットは先日から気になって仕方がなかったことを聞く。
すると待ってましたと言わんばかりにドロシーはこほんと咳払いし、嬉しそうに話しだした。
「まずこの会社の名前から。名前はウォルターズ・ストレンジハウス、素敵でしょ? 僕のお父様の名前をそのまま使わせて貰ってるの」
「そ、そうなんですか」
「基本的な仕事内容はリンボ・シティに住んでる人達のお悩み相談よ。異人、そして異能力者専門のね。普通のカウンセラーには言えないような悩みや、警察や探偵には聞いてもらえない厄介事を解決するのが僕たちの仕事」
「……普通の人間はスルーですか」
「場合にもよるけど、大抵の人の悩みは異常管理局が何とかしてくれるからね」
「へぇ……」
「それと昨日みたいな警部のお手伝いね。警部達のように普通の人には手に負えない案件を何とかするのも仕事ー。本当は異常管理局が対応してくれる筈なんだけど、向こうに色々と事情があって対応して貰えない場合は僕に依頼が回ってくるの」
「一日にどのくらいお仕事が入るんですか?」
「多くて二日に一度。少ない時は一週間に一度かなー」
「……最近にあった仕事は?」
「警部のお手伝いね」
あははと笑いながら不安になる要素しかない仕事内容を語るドロシーにスコットは頭を抱える。
「それって……稼ぎになるんですか? ちゃんと報酬とか貰えてます?」
「あんまり貰えてないねー」
「大丈夫なの!? この会社!?」
「大丈夫なのよー、元々お金には困ってないから」
ドロシーの頭が痛くなるような発言にスコットは更に追い詰められる。
「……仕事の依頼とかはどうやって届くんですか? 電話とか?」
「まずは依頼人に馴染みの情報屋のリョーコちゃんに会ってもらうの。その子に教えられた今日の道筋を頼りにこの部屋に来た依頼人から直接話を聞いて、それから僕がその依頼を受けるかどうかを決める」
「……何でそんな面倒な。直接、電話で話を聞くとかじゃ……」
「声だけじゃ相手の依頼が嘘か本当かはわからないじゃない。でも、僕は相手の目を見ればすぐにわかるの」
ドロシーは紅茶に一口つけて不敵な笑みを浮かべる。
「その人の悩みが本当なのか、その人が何をしたいのか、その人がどんな人なのか……僕には全部わかるのよね」
先程までとはまるで別人のような雰囲気になる彼女にスコットの肌は総毛立つ。
「……」
「でも、アレックス警部の相談は別よー。あの子の場合は特別に電話対応ー」
「何で!?」
「だって、警部は友達だもの」
スコットの質問にドロシーは即答した。
話の通じる相手と飲む紅茶は素晴らしいものです。味が何倍にも膨らむ気がします。