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「うぐっ……ぐぐぐぐ……、くそっ……てめぇら……!」
「ああっ、ごめんなさい……痛かったですか?」
苦痛に歪む異人の男に小夜子は謝罪する。
心配するかのような事を言いつつもその表情は挑発的で、内心では彼が苦しむ様子を見てほくそ笑んでいるようだった。
「こいつは私がやるのです。手を出さないでください」
「はいはい……それにしても絢香、少し汚れすぎよ? 帰ったらシャワーにしなきゃ」
「舐めんじゃねえぞ! クソがっ!!」
異人の男は残された左腕で注射器を握り、そのまま自分の首元に突き刺す。
「はっはっ……この薬だけは使いたくなかったが仕方ねえ! てめえらだけはぶっ殺す!!」
男達が作っていた薬は二種類ある。一つは使用者に大きな多幸感を齎す【覚醒剤】
非常に依存性が高く、一度でも使用してしまえ確実にリピーターと成り果てる程に強烈な代物だ。薬物反応が出るのが遅く、末期にならなければ通常の薬物検査では検出されない。さらにその薬物は使い続けると徐々に使用者の肉体構造に変調を齎し、骨格の変化、臓器分裂、肌質変異、身体部位の異常発達等の異常を引き起こす。
「ぐっぐがっ、ぐがががががががががががが!!!」
そしてもう一つは、彼が今使用した【強制変異剤】
使用した者の肉体構造を大幅に変異させ、化け物じみた身体能力を付与する身体強化剤の変種だ。
しかし人外の力を与える代償に、その体は元の姿を留めない程に変形し 正に怪物としか言いようがない姿と成り果てる。
「げ、げげげげげっ! シ、氏らねぇぞ? 抗ナッたら、モウどゥ脂溶もねぇ……加羅な!!」
男の体は元の二倍ほどの大きさまで巨大化し、先程切り落とされた右腕の断面から新しい腕が生えてくる。辛うじて面影を残していた頭部からは毛髪が抜け落ち、まるで皮を剥いでいくかのように筋繊維が露出していく。
「……酷い、姿ですね」
あまりの醜悪な姿に小夜子は目を細めた。
「手を貸しましょうか、絢香」
「……大丈夫、少しがっかりしただけなのです」
絢香は背負っていた十字架の縦アーム部を前に突き出し、まるで重火器を構えるかのような姿勢を取る。
「いくよ、ハリー。私に力を貸して」
その言葉に反応し、十字架はガシャガシャと大きな音を立てて展開する。そして彼女が中心部から迫り出すように現れたグリップを握ると、縦アーム部の先端部から砲口が現れる……
「ガァああああ唖々ああああ嗚呼噫アアアあああああ!!!」
醜悪な化物と化した異人の男が悍ましい絶叫を上げながら絢香に迫る。
そして剥き出しの筋繊維の塊としか形容しようのない肉の槌となった大きな右腕を振り上げ、彼女を叩き潰そうとした。
「……我らが求むは」
「「 愚かな咎人の懺悔なり 」」
絢香が口ずさんだ言葉に合わせるように小夜子も呟き、巨大な十字架から砲火が放たれる……
────ガゥンッ!!
夜の闇を揺るがす砲声と共に放たれた砲丸は迫る肉の槌を根本から吹き飛ばす。
「ガっ!?」
右腕が千切れ飛び、化物は姿勢を大きく崩す。その隙を見逃さずに絢香は素早く接近し、ハリーの砲口を胴体部に押し当てる。そして化物が困惑した様子で自分と顔を合わせたのを見計らったかのように
「ただ悔いろ、お前に救いは必要ない」
その言葉と共に、絢香はトリガーを引いた。
放たれた砲丸は化物の胴体を一瞬で吹き飛ばし、どす黒い血潮が周囲に飛び散る。
ぐちゃりとした不快な音を立てて上半身が地面に落ち、少し遅れるようにして残された下半身も力なく倒れる。
「ごぼっ……! ごぼ墓ぼっ!! ナンだ……お魔へ、ナンナんダ……」
「あら、まだ息がありますね。トドメは私に譲ってくれるの?」
「……違うのです。これからちゃんと殺します」
絢香はハリーの砲口を化物の顔面に押し当てる。
「がっ! がっ……ガガガ画がっ!!」
赤熱化した砲口はその顔を容赦なく焼き、化物は苦しげな声を上げる。その様子を見て小夜子は冷たい笑みを浮かべる一方、絢香はその顔に何の感情も浮かばせない。
「……私たちは掃除屋」
「ぐっ、ぐりー……!?」
「お前のような 塵 を処理する専門家なのです」
そして放たれる砲丸。化物の顔面は砲声と共に弾け飛び、遺された上半身がビクリと大きく痙攣する。少しの間、首元から血を吹き出した後……その半身も動くのを止めた。
「……」
「お疲れ様、絢香。後始末は管理局の人に任せて帰りましょう」
「……おかしいのです」
「? どうかしたの??」
絢香は疑問を抱いた。自分の背丈を大きく越える化物に迫られても、彼女は【恐怖】を抱けなかった。
彼女はこのような化物を相手にしても今まで恐怖を感じた事はない。どんなに脅されようと、眼の前に刃を向けられようと、肌を爪で裂かれようとも。
「大丈夫ですか? 絢香……怖かったならそう言ってくれれば」
「……怖くなんてありません! いい加減、子供扱いしないでほしいのです!!」
「はいはい、もう急に怒鳴らないで。驚いちゃうじゃない……くすくす」
だが、あの男は違った。
ある人物から得た情報を頼りに立ち寄った喫茶店のオーナー。ほぼ全身が機械化し、若く美しい妻と結婚して幸せな家庭を築いている以外は特に特徴のないごく普通の一般人……
その男に睨まれただけで、彼女は生まれてはじめて恐怖を覚えたのだ。
「……ハリー、あの人は 何だったのですか?」
絢香はハリーを抱きしめながら、あの男 タクロウ・クロスシングとの出会いを回想した……