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「はぁ……はぁ……くそっ!」
「ふざけんなよ! 何だアイツらは!?」
「知るか!!」
深夜0時、月明かりすら差さない暗闇に包まれた路地を数人の男が逃げていく。全員が異人で、獣のような顔つきをしていた。
「くそ、今夜だけで何人やられた!?」
「そんなもん数える暇があるかよ!? 逃げるだけで精一杯だったろうが!」
「うおっ!!」
何者かから逃走していた異人の一人が、ゴミに足を取られて転倒する。しかし他の仲間は彼を気にも留めずに走り去っていく。
「お、おい! 待てよ、待ってくれ!!」
「悪いな、お前の命より俺の命だ! 悪く思うなよ!!」
「そんなところで転ぶお前が悪い! 精々、時間稼ぎを頼んだぜ!!」
「おい! ふざけるなよ! おい、待って……待ってくれええええ!!」
縋るような叫びは仲間だった筈の彼らには届かず、無情にも暗闇に溶けていく。
「く、くそが! アイツら……今まで俺がどれだけ助けてやったと……」
取り残された男は闇に消えていく仲間の背中を恨めしげに睨みつけ、力の限り地面を叩く……その時だった。
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
仲間達が逃げた方向から悲鳴が聞こえる。
暗闇の向こうから悲鳴だけが木霊し、男の耳の中に突き刺すようにして入り込んでくる。思わず彼は耳を塞ぎ、闇の中から聞こえてくる叫び声に震え上がるしかなかった。
「な……なんだ、なんなんだよ!」
やがて悲鳴は途切れ、再び路地を静寂が支配する。一人残された男は後退るが、彼のすぐ後ろから何かが聞こえてきた。
「……闇に紛れて、闇を討ち」
「……な、なんだ!?」
暗闇の中から聞こえたのは何者かの囁き。その声は年若い少女のようだが、肌を切る冷たい風のように一片の情は感じられない。
「……闇に潜みて、闇を喰らう」
「ふざけるな、誰だ! 何処にいやがる!!」
「……我らが求むは救いに非ず」
恐怖のあまり平静を乱し、四方の闇に向かって喚き散らす男の前に一人の少女が姿を現した。
「……求むは、穢れし罪人の血なり」
闇の中から現れたのは、身の丈を越える程の十字架を背負う銀髪の少女。
微かに差し込んだ月明かりが照らす少女の姿は美しく、その瞳はまるで血のような真紅の色合いを浮かべている。少女が纏う傾いた十字が刻まれた黒コートは血飛沫で赤く染まり、美しい顔つきに似合わない血腥い匂いが男の鼻を容赦なく抉った。
「な、なんだ……このガキは」
「……」
「こんなガキに……俺たちは追われてたってのか? はっ、悪い冗談だ……」
異人の男は現実を受け止められずに乾いた笑い声をあげる。
彼は違法な薬物の密売人だ。彼らが生み出した【薬物】の効果は絶大であり、数多くのリピーターを生み出した。
「……なぁ、見逃してくれねえかな? 頼むよ」
「……」
「生きるためだったんだよ、仕方ないだろ? 俺だって好きで薬を作ってたわけじゃないんだよ! 金が欲しかっただけだ!!」
「……」
「生きるために何でもして……それが悪いか!? 俺たちは被害者だぞ! いきなりこんな街に放り出されて……
「……それは違いますね」
少女は男の言葉を遮り、感情の籠もらない冷たい声で言う。
「お前たちは、楽しんでいただけです。お金なんてどうでもよかったのです」
「な……」
「お前たちは、あの薬でおかしくなる人を見て楽しんでいたのです。そうじゃなければ、子供にまで薬を売るわけがないのです」
「……ははっ」
少女の言葉に、男は笑い出す。
先程までの弱々しい態度から一変し、少女をからかうような 馬鹿にしたようなどす黒い感情に満ちた笑みを浮かべている。
「はっ、ははははは……ゴメン。バレてた?」
「……」
「いやー、だってまさかあそこまでブッ飛んだ薬が出来るとは思って無くてさ。ほら、頭がハイになるだけじゃなくて体まで変わっちゃうなんてさー! はははははっ!!」
「……」
「でも別にいいだろ? 使った奴らは幸せになれたし、俺たちは退屈してる可哀想な奴らにちょっとした刺激を与えてやっただけなんだよ。ほらー、アンタも俺たちのヤサに忍び込んだ時に見ただろ??」
男は下卑た笑みを浮かべて言う。しかし少女は男の言葉に何の反応も示さない……ただその真紅の瞳で見つめ返すだけだ。
「……気に入らねぇ目だな。ガキのくせに……」
「……言いたいことはそれで全部ですか? もう少し面白い話が聞けると思ったけど、期待外れだったのです」
「はっはっ……舐めんなよ、クソガキがぁ!!」
男はジャンパーから何らかの薬物が入った注射器を取り出すが、次の瞬間にその腕が宙を舞った。
「……は?」
地面に転がる注射器を握りしめた右腕が、自分の腕だと理解するのに少しの時間を要した。
「……っぎゃあああああああああああ!!」
片腕を切り飛ばされた男は地面に蹲る。少女が立つ反対側の闇の中から、足音を立てずに現れる銀髪の女性……その手には血に濡れた刀が握られていた。
「腕が……腕がぁああああ!」
「駄目ですよ、絢香。知らない男の人と長話しちゃ……」
闇から現れた銀髪の女性は優しい笑みを浮かべて少女に歩み寄る。
彼女の瞳は少女と同じ色をしており、左太腿部に大胆なスリットの入った黒い衣装を身に纏うその姿は まるで夜を司る女神のようであった。
「……向こうは片付いたのですか? 小夜子」
「ええ、絢香。他の子はみんな幸せそうに眠っているわ」
「……少しくらい残してくれてもいいのに」
月に照らされた姉妹の姿はあまりにも美しく、幻惑的な色香に満ちたその美貌は逆に見ている者の不安を大いに駆り立てる。
同じく美しい姿で人を惑わせるドロシーとは対照的に、彼女達のそれは見た者の魂を吸い取るような……まさしく魔性としか形容しようのないものであった。
月に代わってパニッシュよ!