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彼の声を思い出して、明日もきっと泣いてしまう。
「あははははっ」
透き通るような青空の下、デイジーは楽しそうに笑いながら街を歩く。
「機嫌が良さそうですね、デイジー」
隣で歩く少女が上機嫌のデイジーに声をかける。
彼女はデイジーと全く同じ姿をしていたが、その瞳には光がなく表情も何処か無機質で人間離れした印象を与えた。
「当たり前だろ、エメリー! だってこんなオレに新しい友だちが出来たんだぜ!?」
エメリーの反対側。デイジーの左隣で歩くデーアハトを指差しながら彼は言った。
〈……〉
「コイツはデーアハトって言うんだ。こんな見た目してるけどスゲー怖がりでさー」
「かつての貴方とどちらが怖がりでしょうか」
「オレのほうがマシだよ! コイツは蝶々にも銃を向けるくらいのビビリなんだぜ!?」
デーアハトの装甲をバンバンと叩きながら恥ずかしそうに言う。そんな彼を見てエメリーはくすりと笑った。
「ふふっ、そうですか」
「な、何だよ! 笑うなよ!!」
「ふふふふっ」
普段は滅多に見せないエメリーの笑顔にデイジーはたじろぐ。デーアハトは何も言わずに二人を見つめ、ガショガショと音を立てて街を歩いていた。
「彼が居れば……もう安心ですね」
「? どうした??」
エメリーは急に立ち止まるとデーアハトの方に近づき、彼の腕にそっと触れた。
「私はデイジーに自由を与えられましたが、彼を守るだけの力はありませんでした」
「エメリー?」
「ですが、貴方なら……彼を守れるでしょう。どうかその力でこの人を守ってあげてください」
〈……〉
「……と言っても、今の貴方はまだ抜け殻ですが」
「おい、さっきから何を言ってるんだ?」
彼女の言葉の意味がわからずにデイジーは首を傾げる。
「ふふふ、そろそろ目を覚ましてください。もうお昼過ぎですよ?」
「えっ?」
「そして目を覚ましたら……ちゃんと私のことを忘れてくださいね」
エメリーは静かに振り返り、寂しげな笑みを浮かべて言った。
◇◇◇◇
「……」
13番街区にある安ホテルのベッドでデイジーは目を覚ます。
「……あれ、オレは……」
先程まで見ていた筈の夢はもう思い出せない。悪い夢では無かったのは確かだが、思い出そうとすればするほど彼の頭から抜けていく。
「……んー?」
「くかー……」
彼の隣では裸のアルマが幸せそうに寝息を立てている。
「……ま、いっか」
デイジーはまだ目を覚まさないアルマの頬に軽くキスをして、ふわぁと小さく欠伸をしながらベッドを降りた。
「ここからの景色はどうだ?」
泊まったホテルの屋上で13番街区を見下ろしながらデイジーは呟く。
「ひでえ街だろ? 俺も初めて来た時はそう思ってた」
道行く異形の者達、得体の知れないペット、交わされる物騒な会話。
今日も変わらない街の様相にため息が漏れる。
「……でも、お前が生まれた場所よりはマシだよな。お前の世界は雲が分厚すぎてお日様さえ見えないんだからよ」
隣には誰も居ないのに、まるで友人に話しかけるように言う。
「こんな場所だけどさ……見せたい所は沢山あったんだ。こんな場所だけど良い所はあるんだよ」
デイジーが何もない空間に触れると、バチバチと音を立てて黒い鉄塊が姿を現す。
人目を避ける為に使用した迷彩機能を停止させ、デイジーはその空っぽの胴体の中に乗り込む。
生命の鼓動を感じない冷たい内部。魂を失った鉄の塊はもう独りでに動くことはない。これはもう唯の鉄塊、争いのない世界に旅立った怖がりな青年の抜け殻だ。
彼、デイジー・エメラルドが居なければ。
デイジーが瞳を輝かせると魂を失った鉄の塊は動き出し、その胴体にエメラルド色の光を灯す。ラーカイムに負わされた損傷はデイジーの異能力で修復され、まるで彼が生き返ったかのように見える。
「だから……このデイジー先輩が新入りのお前に教えてやるよ。ここがどんな街なのか」
デイジーは未だに溢れそうになる涙を堪えて精一杯の笑みを浮かべ、雲一つない透き通る晴天の空を見上げた。
『午後のお報せです。13番街区上空に謎の黒い飛行物体が……』
「……大丈夫なんですかね、これ」
「大丈夫だよ、あの子はもう死んでるんだから」
「そういう問題ですか?」
「昨日のことは僕たち以外覚えてないから大丈夫なのよー」
スコットの隣で午後のニュースを見ながらドロシーはニッコリと笑う。
「大賢者様も本当に甘い人ですわねぇ、いくらお嬢様が可愛いからって軽々とムネモシュネを使うなんて。歳を重ねてからまた甘くなって……」
「まぁ、大賢者ですからな。お嬢様への愛情まで失くしてしまえばあの方にはもう何も残りませんし」
「言い過ぎだよ、二人とも? ロザリー叔母様はこの街で一番頑張ってる凄い人なんだから馬鹿にしてあげないで」
「うふふ、失礼いたしました」
「申し訳ございません、お嬢様」
ドロシーに失言を咎められて使用人達は頭を下げる。
「……」
スコットは大賢者の扱いに少々同情したが、ドロシーのワガママを嬉々として聞き入れる彼女の姿が容易に想像出来て敢えて何も言わなかった。
「見えるか、デーアハト? この街にはこんなにも色んな奴らが居るんだ。確かに嫌な奴も居るけど……」
デーアハトの身体を駆って飛行しながらデイジーはリンボ・シティを見下ろす。
「この街ならお前も普通に暮らせたはずなんだ。オレみたいに一人の人間としてさ」
ズームアップされた街の人々の多種多様な驚き顔を見ながら彼は物言わぬデーアハトに語りかける。
「……だから、安心して生まれ変わってこいよ。頭の悪い兄弟も連れてな」
キラキラと煌く緑色の粒子を空に散らしながら青い空を駆け抜ける。
空を黒い鉄塊が飛び回るという一件奇天烈な光景もこのリンボ・シティではそこまで話題になることもなく、1時間後には彼らに興味を抱く者は居なくなった。
ただ、街を照らす温かなお日様と透き通る空だけがデイジー達をずっと見守ってくれていた。
chapter.18「いつの日かなんて、決してやってこない」end....