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「……という訳で、俺が派遣されてきたんだが」
「へぇ、そりゃご苦労さまだね」
午後8時過ぎ。サチコから指令を受けてヴァネッサの店を訪れたジェイムスは目の前の光景に頭を抱える。
「あ、お客さん? ごめんねー、見ての通り今夜は貸し切りなのよ」
「あ、どーも! お久しぶりです、ジェイムスさん!!」
天井や床に血が飛び散り、テーブルやソファーの残骸が散らばる凄惨たる店内。
血の海に沈む男。ツンとした血の匂いなど気にも留めずにホステスを抱き寄せて笑う茶髪の男性客……
「ジェイムスさんも一緒にどうですか!? お酒! 辛い仕事を忘れるにはお酒が一番ですよ!!」
すっかり出来上がったスコットを見てジェイムスはそっと背を向けた。
「ジェイムスさーん!」
「・・・・・・」
「ふふふ、折角来てくれたんだ。帰る前にお酒でも飲んでいかないかい?」
「いや、遠慮しとく……あの死体は後でウチの職員に回収させるよ」
「遠慮しなくてもいいのにねぇ? 疲れた時に飲むお酒は格別だよ、アーサーもそう思わないかい??」
ヴァネッサは穏やかな笑顔でスコットを見守る老執事に話を振る。
「ははは、そうですな。ジェイムスさんもどうです? 代金は私が持ちますぞ」
「遠慮するよ」
「ご遠慮なく」
「嫌だ、俺はもう帰る!」
腐れ縁もここまで来れば立派な呪いだ。
ただでさえセカンド・ソーリンエリアに赴くのは抵抗があったというのに。いざ来てみれば問題の殺人犯は血の海に沈み、自分が担当する要警戒対象がボトルを掲げて地獄に誘う。
その男の隣では見覚えある金髪の少女がスヤスヤと寝息を立てており、何が起きたのかを詮索せずに立ち去る事だけが精神の均衡を保つ最善手だった。
「じゃあな! 秘書官にはもう対象は処理されたと伝えておく!!」
「あら、ジェイムス君。お久しぶりね」
「ほあっ!?」
店を出ようとしたジェイムスにルナが声をかける。
「あ、アンタまで来てるのかよ!」
「アルマも来ているわ。今から呼んでこようかしら?」
「いや、いい! 俺はもう本部に戻る!!」
足早に店を後にするジェイムスに優しく笑いかけながらルナは小さく手を振った。
「若いのに大変ね」
「本当にねぇ。なまじ腕が立つからこういう所に向かわされちまうんだろうね……不憫な子だよ」
ヴァネッサはスコットの方を振り向く。
聞いた話では彼はまだこの街に来て一月程度らしいがリンボ育ちのジェイムスがドン引きするほど街に馴染んでいる。
まるでリンボ・シティに来る為に生まれてきたかのようだ。
「可愛い顔してとんでもない坊やだねぇ」
「ふふ、でしょう? ドリーが選んだ運命の相手なの」
「アンタにしては随分とあっさり認めるんだね? 昔は『あの子にパートナーは必要ない』なんて言ってた癖に」
「ええ、自分でも驚いているわ」
ルナはそっと胸に手を当てて悩ましげな溜め息を漏らす。
「ドリーが恋をするのは初めてじゃないけれど、彼ほど惚れ込んだ子は初めてなの」
「へぇ……」
「それにあの子くらい強くて頑丈な子じゃないとドリーとは長続きしないわ」
「ふふん、本当はアンタが先に惚れてたんじゃないのかい?」
ヴァネッサはルナをからかうように言う。
「それはないわ、ヴァネッサ」
ヴァネッサの言葉にルナは涼しい顔で返す。
しかしいつもは垂れている彼女の耳はピョンと起き上がり、それを見たヴァネッサはくくくと満足気に笑った。
「ああ、なるほど。ドロシーよりも先にアンタは夢であの子に会ってたんだね」
「ドリーには内緒よ?」
「どんな夢だった?」
「ふふふ……素敵な夢よ」
スコットが初めてウォルターズ・ストレンジハウスを訪れた日を思い出してルナはくすくすと笑う。
「ふふん。それでこれからどうするんだい? 可愛いドロシーちゃんは眠っちゃったけど」
「空いている部屋はある?」
「泊まっていくのかい?」
「迷惑かしら?」
「いやぁ、私は大歓迎だよ……ふふふっ」
「ふふっ。アーサー、今夜はドリーとこの店に泊めてもらうわ。朝になったら迎えに来て」
「かしこまりました、奥様。では、私は此処で」
「じゃあね、アーサー。たまにはアンタも遊びにおいで」
「ははは、その機会があれば喜んで」
老執事は二人に頭を下げて店を後にする。この後、彼はリョーコの部屋へと戻ったのだがろくに話も出来ないまま追い出されてしまったという……
「……はうっ!」
深夜。見知らぬベッドでドロシーは目を覚ます。
「あれ、僕は……あぐっ!」
不意に頭がズキズキと痛む。彼女はお酒には滅法弱く、勢いでブランデーなど口にしようものなら一杯であの様だ。
「えー……と、僕は……んーと……」
更にたちが悪い事に酔っ払っている間の記憶は残っていない。
ドロシーが覚えているのはホステスとして客の相手をしていたこと、そしてレンからスコットの隣を奪った所までだ。
「んー……」
「うぐぐ……」
「むむ? 誰の声……」
声が聞こえた方を向くと酔い潰れたスコットがダウンしていた。
「ふやっ……」
「もう、勘弁してください社長……もう無理、無理だから……」
「ス、スコット君!? どうして……」
「どうしてって、決まってるでしょ? あたしがアンタを隣に寝かせてあげたのよ」
「えっ……」
「お姉さんの心遣いに感謝しなさいよ、ドロレス?」
そして眠る彼の隣で下着姿のレンが妖しく目を光らせていた。
「はううーっ!?」
「ちょっと静かにしなさいよ。コイツが起きちゃうでしょ」
「な、何でレンがスコット君の隣で寝てるの!? 離れて、彼から離れてーっ!」
「えー、何よー。別にいいじゃないの、元々今夜はこうして寝るつもりだったんだし」
「ふやああああっ!?」
「もー、うるさいわねー」
涙目で珍妙な叫びを上げるドロシーの額をレンはベチンと指で弾く。
「ふぎゃっ!?」
「そんなに言うなら出てってやるわよ。その代わり今夜はアンタ一人でコイツの相手をしてやるのよ」
「えっ……ちょ、ちょっと」
「じゃあね、ドロレス」
「ま、待って!!」
レンはドロシーとスコットを残して部屋を出る。静かに閉じたドアに背中を付け、慌てるドロシーの顔を思い出して意地悪そうに笑った。
「……アレがあのドロシー・バーキンスの素顔ね。何よ、すっごい可愛いじゃない……ふふふっ」
ドロシーが逃げられないように外側の隠し鍵をカチリと閉め、ふんふんと上機嫌に鼻歌を鳴らしながら自分の部屋に戻っていった。
レン姉さんはクールに去るぜ……