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おお へんたいよ! しんでしまうとは なさけない!
〈グゴアッ……!?〉
怪物は悪魔の拳で天高く打ち上げられる。何が起きたのかもわからず天井にぶち当たり、べっとりと血の跡を刻んで落下した。
「あーあ、天井に嫌なシミが着いちゃったじゃない。どうすんのよ」
「そうですね……」
ぐしゃっ!
「後で掃除屋さんでも呼んで綺麗にしてもらえばいいと思います」
天井に続いて床にも真っ赤なシミ汚れを飛び散らかす怪物を見ながらスコットは一言。レンは思わず苦笑いした。
〈……グ、ググ……〉
「あ、まだ生きてるわよ! スコット!!」
「そうみたいですね」
まだ息のある怪物に挑発的な笑みを向けながらポキポキと悪魔の腕を鳴らす。
(立て、まだ死ぬな。手加減してやったんだ。もっと殴らせろ)
(俺から彼女を奪いたいならこれくらいで死ぬんじゃない)
先程のアッパーはあれでも手加減しており、怪物がまだ立ち上がって襲いかかってくる事を期待しながらスコットはゆっくりと近づいた。
〈グギッ!〉
スコットの期待通り怪物は起き上がり、身体中からメキメキという不気味な音を立てる。
〈オマァエエエエ! オバッ、エエエエエー! ジャマァ、ズルナ゛アアアアァァォォアーッ!!〉
全身から鋭利な骨の棘を突き出して化け物は再び突撃してくる。骨の棘は一本一本がガチガチと音を立てて動き、スコットを八つ裂きにせんと迫る。
「ははっ……!」
その殺意全開の恐ろしい姿を見て怖じ気付くどころかスコットは嬉しそうに笑う……
〈ガアアアアアアアアッ!!〉
「はははははははははっ!!」
怪物の両肩から伸びる一際長い棘を素手で掴んで止め、スコットは頭を一旦後ろに大きく引いてから怪物の顔面に思いっきり頭突きを食らわせる。
〈ゴギャアッ!?〉
怪物の顔面は陥没し、怯んだ両足から一気に力が抜ける。
「ははっ!!」
スコットはもう一発頭突きを浴びせ、顔中を血で染めてから掴んだ棘をへし折る。
「これくらいで怯んでちゃ駄目だ!」
〈ギイイイッ!?〉
「彼女の魔法はもっと強烈なんだからぁ!!」
ガクッと膝を着きそうになった怪物の頭を掴んで強引に立たせ、スコットは彼の潰れた顔を覗き込む。
「もう素の顔がどんなのかわからねぇが、気にすんな。彼女は見た目なんてそこまで気にしないよ。ほら、頑張れ。根性見せろ」
〈グギ、ギギギギ、ィ……!!〉
「ところでそのでっかい口は何の為にあるんだ? まさかとは思うけどその口で」
〈コノクチデ、アノコォ、クウンダアアアアアアーッ!〉
怪物は両腕で力の限りスコットを突き飛ばし、体から生える棘を鋭い槍のように突き出す。
「……はっ、それはやめておいた方がいい」
突き出してきた骨の槍を悪魔の片腕で受け止める。槍の先端は悪魔の掌に傷一つつけられないまま砕け散り、先端から伝播するように棘全体に大きな亀裂が走った。
〈ギイイッ!?〉
「お前のちっぽけな腹に収まるような女じゃないよ」
〈ガアアアアアッ!!〉
怪物は外見に見合わぬ跳躍力でスコットを飛び越えて気絶するドロシーに遅いかかろうとする。
〈ドロレズゥゥゥゥウ゛ーッ!〉
「ちょ、ちょっと! 何でこっち来んのよ!?」
〈ヴォアアアアアアアアアアーッ!!〉
レンは咄嗟にドロシーとメイを庇う。怪物の大きな口は彼女ごと眠れる天使達に食らいつこうとしたが……
ガシッ。
怪物の身体は悪魔の腕に空中でキャッチされ、軽々と持ち上げられる。
〈グガガッ!?〉
「おいおい、お前の相手は俺だぞ? 間違えるんじゃない」
〈オ、オマエエエエエーッ!!〉
「彼女が欲しけりゃ……俺を倒せって言ってるだろ!」
スコットは悪魔の腕で捕まえた怪物を勢いよく床に叩きつける。
グエッと潰されたカエルのような悲鳴とグシャリという嫌な音が響き渡り、丈夫な大理石の床に大きなクレーターが出来上がった。
「大丈夫か? まだ立てるか??」
〈……グギ、ギ……〉
怪物の身体はみるみるうちに萎み、何処にでも居そうな優男の姿へと変わる。それはドロシーが最初にグラスを手渡した男性客だった。
「……ああ、もう駄目か」
男に落胆の眼差しを向けながらスコットはため息をついた。
(……少しはスッキリできたか。それにしてもこの程度で伸びる奴が社長に手を出そうとするなんて命知らずにも程があるだろ。馬鹿じゃないのか?)
(彼女と遊びたかったら、せめて俺くらいタフになってから出直してくるんだな)
額の血を拭ってレンの所に向かう。怪物が戦闘不能になったと察するや悪魔の腕はガッカリしたように彼の中へと戻っていった。
「終わりましたよ、レンさ」
「うばあああああああああああああ!!」
男は泣き叫びながら立ち上がる。スコットはウンザリしながら振り返り、身体中からダラダラと血を流す男を一瞥する。
「何で、何で邪魔すんだよぉぉぉぉー! ドロレスちゃんは、ドロレスちゃんは俺の女だぞぉぉぉー!? ドロレスちゃんは俺のことが好きなんだょぉぉー!!?」
「彼女はお前の女じゃないし、お前のことを好きでもないよ」
「なんでだあぁぁぁぁ! 彼女は、彼女は俺に笑いかけてくれたんだァ、優しく笑ってお酒をくれたんだょおおおおおー!?」
「そういう店だからだろ。馬鹿か、お前は」
「いぃぃいやぁああああー! ドロレスちゃんは俺が、俺が好きなんだああああああーっ!!」
男は本気でそう信じていた。
ドロレスの優しい微笑みが自分だけに向けられているのだと、彼女は自分に特別な想いを抱いているのだと本気で思っていた。
「だから、彼女は俺と一つになりたいんだ! 俺に喰われたいはずなんだぁぁぁあああーっ!!」
そうして男は今まで何人もの女性を食らってきた。
優しく笑いかけてくれた女性を闇夜に紛れて一人ずつ、一人ずつ。相手を喰らって文字通り一つになる……それが彼の愛し方なのだ。
「邪魔をすんなよぉおおおおおお────っ!!」
彼が金髪で小柄な体格の女性ばかり狙うのは単なる好みだ。思い込みが激しく、好みにうるさく、執念深く、嫉妬深い。娼婦やホステスからすればまさに最悪の存在だった。
「……こういうお客はよく来るんですか?」
「うーん、まぁ……割とね」
「大変ですね」
「あはは……そこそこね」
レンの返答にスコットは苦笑い。
大変な仕事だとは思っていたがこんなのを相手にしても笑顔を振りまかねばならないレン達の苦労を考えると胸が苦しくなる。
「うぼぁぁぁぁぁぁーっ!!」
「ああ、くそったれ。嫌なこと考えちまった……」
そして、彼女もこういう男に抱かれていたのだと考えると……
「ドロレスゥウウウウウッ!!」
久しぶりに心の底から殺意を抱いた。
「ざっっけんな、クソがぁぁっっ!!」
────ドゴンッ!!!
スコットは悪魔の腕すら使わずに素手で男を殴り倒す。
男の顔面は硬い床に勢いよく叩きつけられてグチャッと潰れ、ビクンと手足が跳ね上がったのを最後に男は動かなくなった。
「……」
「……あー、えーと……スコット? ちょっとやりすぎじゃ……」
「レンさん」
「あっ、はい。何かしら」
とどめを刺したスコットはゆっくりとレンの方に振り返り、素手でゴキブリを潰したかのような本気で嫌そうな顔で言った。
「酒、強い酒をお願いします。大至急……ストレートで」
「……ふふっ、はぁい」
少し怖気づいていたレンだったが、そのあまりにも情けない顔を見るとどうでもよくなった。
ソファーに置きっぱなしにされたブランデーを落ちていたグラスに注いでスコットに手渡す。
「……どうも」
スコットはブランデーを一気飲みし、ブハァとアルコール臭い息を吐き出しながらグラスを床に落として割った。