17
(……そんな……そんなっ!)
ある男がこの世の天国を味わっていた時、その男も地獄を見ていた。
(そんなっ、どうして……! どうしてだ! 彼女は俺に笑ってくれたんだ、俺のために笑ってくれたんだぞ……!!)
その男は地面で倒れながら絶望する。
さっきまで自分に優しく微笑んでいた少女。悲しい別れで傷ついた自分の心を癒やし、再び恋を教えてくれた愛しき天使。
その天使がある男に愛しげに抱きつき、大声で彼への愛を叫んでいる……
認められるものか。
許せるものか。
あの男だけは、あの男だけは。
その男は血の涙を流しながら床を掻きむしり、愛しき天使を奪ったあの男に強烈な殺意を抱いた……
「ふやぁぁぁん! スコッツくん、好きぃーっ! スコッツくんはぼくのスコッツくんなのー! 誰にもあげないのーっ! 誰にもーっ!!」
「私だって好きだもん! 私の方が、私の方がお兄ちゃんが好きだもんーっ! お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなのーっ!!」
その男が殺意を向けるあの男……スコットはもはやこの天国から逃げ出す体力も奪われ、死んだ瞳でランカを見ていた。
「……」
「ど、どうしたの、ランカちゃん……そんなに俺を見つめて」
「ううん、何でもないわ。ただ、向こうを見たくなくて……」
スコットの縋るような視線をランカは全力で逸らす。
たまたま逸らした先にお相手が居たので意図せず見つめ合う形になってしまったが、彼女は見つめ合いながら視点のみを合わせないようにする荒業で対処した。
お相手の方はすっかりその気になっているが、真実とは悲しいものである。
「んあーっ! 放せ、放せーっ!!」
「放さねえー! お前はあたしのものだーっ!!」
「やだーっ! 放してーっ!!」
「やだーっ!!」
「やだぁぁぁぁーっ! スコットォオオオオオーッ!!」
一方、アルマはデイジーを羽交い絞めにしたままブリッジ姿勢でガサガサと動いて修羅場から退場する。
黒い兎の耳を両腕の代わりにして器用に動かし、もはや少女の姿をしているだけの名状しがたきナニカと化したアルマは泣き叫ぶデイジーを連れて何処かに姿を消す。
(……アルマさんはデイジーさんが好きだったんだ……へー。それにしても気持ち悪い動きしてたなぁ……)
スコットは死んだ瞳でデイジーを見送り、アルマについての見識を大きく変えた。
泣きながら自分への愛を叫ぶデイジーにまで気を向ける余裕は無かったようで、彼(女)の想いは全く伝わらないまま大人の遊び場に儚く散った。
(しかし……この……)
ぷよんっ、ぽよよんっ。
(どうしてこの子達は胸だけ生意気に育ってんの!?)
むにゅっ、むにゅんっ。
スコットはドロシーとメイの胸に蹂躙されながら胸だけが立派に育った二人に心の内で物申す。
(社長なんてもう100越えてるんでしょ!? 胸だけじゃなくて身体も大きくなりましょうよ! せめてレンさんくらいには! 別に俺は大きい胸が嫌いとかじゃなくてですね! バランスが取れた方が女性として魅力的)
むぎゅーっ!
(はふうううううんっ!!!!!)
などと言いながらも柔らかな膨らみの魔力には抗えず、彼の力なら容易く押しのけられる筈なのに彼女達に身を委ねている。
「こらスコット、いい加減に目を覚ましなさいよ! 何で年下に良いようにやられてんのよ!!」
そんな情けないスコットにレンが喝を入れる。
「はっ!!」
レンの声が届いた瞬間、ほぼ死んでいたスコットの瞳に光が灯る。
「このっ……いい加減にしてくださいっ!」
「ふやぁっ!?」
「にゃああっ!!」
スコットは悪魔の腕を呼び出して二人を拘束して強引に引き剥がす。
「はぁ、はぁ……」
「ふやぁー! スコッツくーん!!」
「お、お兄ちゃん! 放してー!!」
「全く、二人ともふざけ過ぎですよ! このまま少し頭を冷やしてください!!」
「「やぁぁーっ!!」」
ドロシーとメイはジタバタともがいて悪魔の拘束から逃れようとするが全く抜け出せない。
ようやく天国のロリ巨乳サンドイッチ攻撃から解放されてホッと一息ついた所でレンが隣に座る。
「ふふっ……お疲れ」
「……どうも」
「ふゃーっ! スコッツくんから離れなさいー!!」
「お姉ちゃん、だめーっ!」
「はなしてあげないの?」
「そうしたらまた面倒な事になるんで……」
「あはは、モテる男は大変ねえ?」
レンはお酒を注いだグラスをスコットに渡す。スコットは『ようやく落ち着ける』と内心で咽びながらスコッチを注がれたグラスに口をつけ……
「うぶっはぁぁぁぁ!!」
即座に吹き出した。
「えーっ!? ちょっと何で……ッ」
〈グォァアアアアアアアアアアアアアッ!!〉
目の前に下顎が腹まで大きく裂けた怪物が迫ってきたからだ。
「きゃあああああああっ!?」
「ああもう! 何だよ、クソッ!!」
スコットはすぐにレンを抱きかかえ、悪魔の腕で二人を抱いたまま咄嗟に身を躱す。既の所で回避されて怪物は絶叫しながらソファーに突っ込んだ。
〈ゴオオオオオオオッ!〉
「ふやああっ!」
「な、何よ、アイツ!?」
「知りませんよ!」
「お兄ちゃん! アイツから濃い血の匂いがするよっ!!」
「血ぃ!?」
〈グルルルルルルゥ……!〉
怪物はベリベリとソファーを食いちぎりながらスコットを憎々しげに睨みつける。
「うっ、うわぁあああ! 怪物だぁー!!」
「きゃああああっ!」
「ママァアアアーッ! ちょっと来て、ママァアアアーッ!!」
「お客さんに変なのが混じってたよぉーっ!!」
唐突過ぎる怪物の出現に店内の空気は一変し、ホステス達は悲鳴を上げて逃げ惑う……ように見せかけてお客様を連れて退避する。
このセカンド・ソーリンエリアでは客に妙な輩が混じるのは当たり前であり、彼女達にとってもう驚くような事でもないのだ。
「やぁァァァー! 怖いよぉー、助けてぇー!!」
「だ、だだだ大丈夫! 俺がキミを守るから!!」
「きゃああーっ! ボブっちぃー! あたし怖いーっ!!」
「いやぁぁぁーっ!」
「ママァアアアーッ!!」
「ランカちゃんは俺が守るからね! さぁ、早くあの部屋に逃げようー!!」
だからといって『ああ、またか』と普通の反応をしてしまうとお客様に引かれてしまう。
訓練された夜の女達は怖がる演技も一級品。例え相手が雑魚であろうと泣き叫ぶか弱い女性を演じてお客様を興奮させてあげるのがこの仕事を続けていく上で重要な極意だ。
〈グルルッ、グルルルルルルゥ……!!〉
「あーあ……皆逃げちゃいましたね」
「本当ね……せっかく楽しい夜だったのに。台無しよ」
しかしレンは醜悪な化け物を前にしても特に怖がる様子を見せない。その必要が無いからだ。
「なによ、コイツ! 気持ち悪い! あっちいけ、ブサイク! ぶっころすぞ!!」
「お兄ちゃん、放して! こんな奴、私一人でも十分だから!!」
悪魔の腕に捕まったままの二人も物怖じ一つせずに怪物を挑発する。
「何いってんですか、今の二人にこんな奴の相手をさせられるわけないでしょ」
〈グオオオオオオオオッ!!〉
「こういう空気を読めない奴の相手は……俺たちの仕事ですよ」
片目に青い炎を灯し、スコットは不敵に笑う。
最高のタイミングで『どうぞ八つ当たりしてください』と言わんばかりに殴られ役が現れてくれたのだから。