13
「……」
スコットは何も言わずにドロレスにグラスを差し出す。
「はぁい……ふふふっ」
ドロレスは持参したボトルの栓を抜き、スコットのグラスに注いだ。
「……新人さん、ですか」
「そう、新人よ。今夜だけ特別に許してもらったの」
「へー、どおりで」
「ひゃっ?!」
スコットはわざとらしくメイを抱き寄せ、ピタッと静止したドロレスに言う。
「見たこともない顔だと思いました」
彼の発言にドロレスは目を見開き、手にしたグラスをポトッと落としてしまう。
「……あ」
「あっ、ちょっとドロレス! グラスが落ち……あれ?」
レンがグラスを落としたドロレスを注意しようとしたが、落ちたはずのグラスは何故かスコットの手元にあった。
「あわわわわっ……」
「凄い可愛い顔してますね、流石の俺でも一度見たら忘れられません。だから、初めましてですね」
「そ、そう。当たり前よ、私は今夜初めて此処に来たんだもの」
「あの、お兄ちゃんっ」
「でも、グラスの注ぎ方はメイちゃんの方が上手ですね」
スコットはお酒をぐいっと飲んで挑発的に笑った。
(はうううううーっ!!?)
その態度にドロレスは心の内で奇声を上げる。このまま彼を追い詰めるつもりが予想外の開き直り……ならぬ反撃を受けて彼女の顔は真っ赤になった。
「こらこらスコットー? あんまり新人ちゃんを虐めないでよー」
「あ、すみません……つい」
「お、お兄ちゃん。そろそろ放して」
「あ、ごめん。こうしたら落ち着くかなって……」
「……え?」
「俺はメイちゃんの怒った顔は見たくないんで。君はいつもみたいに笑った顔の方がずっとずっと可愛いよ」
更にここで甘い言葉でメイのご機嫌をとる。先程まで耳を立てて威嚇モードだったメイの顔は一瞬で紅潮し、『あううう』と変な声を出してスコットに倒れ込んだ。
(ふやああああああああーっ!!?)
当然、それを見ていたドロレスは憤慨。今度は彼女がお客様に見せてはいけない顔になっていた。
「あ、グラスが空になったんでおかわりを」
「はいはーい。ほら、ドロレス」
「……こ、このっ」
「ドロレス? お客さんがおかわりって」
「……!」
ドロレスは震えながらグラスを受け取る。
その顔は真っ赤で先程までの余裕は一切ない。
男達を虜にした凛とした雰囲気も、ホステス達から教え込まれたはずの男を堕とす術も頭から吹っ飛んでいた。
(この、この……! スコット君たら、スコット君たらぁぁぁー!!)
心の中で彼に対する愚痴を漏らしながらグラスにお酒を注ぐ。
「何だ、ちゃんと注げるじゃないですか。偉い偉いー」
「ーッ!!」
そんな顔所を更に煽るようにスコットは頭を優しく撫でた。
(……すみませんすみませんすみませんすみません。本当にすみません。すみません、社長。すみません!)
しかし、そんなスコットの心中はドロレス以上に必死であった。
(あー、あー、あー! どうしよう! 何であんな事言っちゃったんだろー! 社長マジで怒ってるよ! こんな顔になった社長見たことないよ!!)
心の奥から沸き起こる何かに突き動かされるまま挑発的な態度をとってしまった。
普段の彼からは想像もできないような大胆な言動の数々。思い返すだけで自己嫌悪で胃に穴が空きそうになる。
(……で、でも! このくらい言わないと社長は懲りずにまた来るだろうし! 俺に残された最後のオアシスまで奪われてたまるか! 今夜は大胆なメイちゃんも見れて久々に凄いイイ気分なんだよ! レンさんも綺麗だし……本当に素敵な夜を過ごせそうなんだ! 邪魔されてたまるかよ!!)
だが、その自己嫌悪をドロシーへの対抗心が上回る。
そもそも、今日この店に来ようと決めたのも昨夜のドロシーが原因だ。誘うだけ誘っておきながら、肝心な時に泣き顔晒して魔法を打ち込んでくるような人の心がわからない魔女を忘れようとして何が悪い。
「……は、はい。お酒……」
「ん、ありがとう。ところで君は幾つ?」
「……じ、じぅごさい……」
「え?」
「……15歳」
「えーっ! メイちゃんと同い年なんだ、若いんだね!!」
スコットにも決して引き下がれない時があるのだ。
「あっはっはっはっは!!」
その様子を自室で見ていたヴァネッサは手を叩いて爆笑する。
「あははっ! 凄いじゃないか、スコットちゃん! 見なよ、あの子の顔! 見たことないよ、あんな顔したドロシー!!」
「ふふふ、本当ね」
「最初に見たときから大物だと思ってたけど……想像以上だよ! ああ、もうこれはお酒が進むねぇ! 出来ることなら混ぜてもらいたいよ!!」
「それは駄目よ? 今夜は我慢してちょうだい」
ルナも滅多に見られないドロシーの 本気で悔しそうな顔 を見て満足気に微笑む。
やはりあのドロシーの義母だけあって彼女も相当な曲者だ。強すぎるが故に今まで【笑顔】か【真顔】しか見せなかった娘が彼が来てから本当に様々な表情を見せてくれるようになった。
ルナはそれが嬉しくて仕方がないのだ。
「ねぇ、アルマ。ドリーは本当に可愛いわね」
「……そうだね」
すぐ近くで静観していたアルマとデイジーはまるで聖母の如き笑顔でそんな事を言うルナにドン引きしていた。
「……そういや、ルナはそういう女だったな。忘れてたわ」
「うふふ、傷つくわ。そういう女呼ばわりはやめてちょうだい」
「……オレの知ってるルナさんじゃない」
「おやぁ、知らなかったのかい? ルナは元々こういう女だよ」
ヴァネッサはグラスに注いだワインを飲みながら、ニコニコと笑うルナに目をやる。
お淑やかで優しい良き母親に見えて彼女の本性はイタズラ好きな快楽主義者だ。ドロシーを心から愛しているのは紛れもない事実だが、それはそれとして楽しむ為なら娘や他人を巻き込む事に一切の躊躇いを持たない。
あのマリアと息が合うのも納得の魔女なのだ。
「ロザリーが今のアンタを見たら何て言うかねぇ」
「さぁ……私にはわからないわ。私はロザリーじゃないもの」
「仲直りできるんじゃね? 正直、今のルナは機嫌が良い時のロザリーにしか見えねえ」
「傷つくわ、アルマ」
「鏡見ろよ、鏡」
「ロザリーって誰ですか……?」
「ああ、いけない。この名前は秘密にしなきゃいけないんだったかね」
うっかりとある女性の本名を何も知らない一般人に話してしまい、ヴァネッサはわざとらしく口を塞いだ。