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(ふふん、驚いているようね……)
ドロレスはスコットの視線を背中で感じながらグラスを傾ける。
「ふふふっ」
「本当に笑顔が素敵だね。ずっと見ていたいよ」
「お兄様、残念だけど今夜だけよ。今日の間にしっかりと焼き付けておいてね」
「本当に今夜だけなのかい!? ずっとこの店で働いてくれよ!!」
「駄目よ、今夜だけ。特別な時間は一夜限りの方が思い出に残るものなのよ」
「そんなっ!」
縋るような目でこちらを見てくる男性客に微笑みかけると、ドロレスは手に持ったグラスを彼に渡す。
「!」
「でもまだ時間はあるわ、お兄様。その時が来るまで私とお話しましょう?」
「ああっ、ドロレスちゃん!」
男性客は渡されたグラスに口つけて恍惚の表情を浮かべる。
その様子を他の男は羨ましそうに見つめ、そんな彼らの反応を楽しみながらドロレスは新しいグラスにお酒を注ぐ。
「ど、ドロレスちゃんは」
「ドロレスちゃんは何処に住んでいるんだい?」
「ふふふ、何処でしょう?」
「僕は一桁区に住んでいるけど、君のように素敵な子は見たことがないよ。ひょっとして管理階級のお嬢様かい?」
「煽てるのが上手なお兄様ね。そんなお嬢様が此処で火遊びしてるなんて誰かに知られたら大変よ?」
「勿論、冗談だけど……そのくらい君からは特別な物を感じるんだ」
「お、俺もそうだよ!」
「俺もだ。本当にお嬢様なんじゃないのかい?」
「ふふふ……どうかしらね」
男達に言い寄られるのはいつぶりだろうか。
いつもの格好さえしなければ街を歩くだけで彼女は人気者になれた。
だが、ここまで多くの男に囲まれ、一人の女として恋慕と愛欲の目を向けられるのは初めてだ。かつてない経験を前に彼女の中にも今までにない感情が芽生え始めていた。
(……悪くないね、こういうのも)
ドロレス、否。ドロシー・バーキンスは生まれてはじめて男に囲まれる歓びを知った。
「ふふ、想像以上だね。やるじゃないか、ドロシー」
自室の壁に設置された大型モニターでドロレスを見守りながらヴァネッサは楽しそうに笑う。
「ドリーのあんな顔は初めて見るわね」
「あーあ、女の歓びを知っちゃったねぇ。もう昔のドロシーには戻れないかもしれないよ?」
「ふふっ、それも良いわね」
「良いのかい? ひょっとするとあの子、アルマ以上の男食いになっちまうかも」
「ふふふっ」
ヴァネッサの隣でルナは余裕げに笑う。
「その心配は要らないわ、ヴァネッサ」
(……でも、何だか物足りないね)
男達に囲まれて優越感に浸っていたドロシーだったが、すぐ彼らでは物足りなさを感じるようになった。
「はははっ、ところで君はどんな男がタイプだい?」
「あっ、お前!」
「ふふっ、聞きたい?」
「是非とも聞きたいね」
「そうねぇ……」
右隣に座る背の高い男の言葉を聞いて彼女は考える素振りをする。
勿論、その答えは決まっている……
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「……だ、大丈夫! 大丈夫!!」
「あ、また一気飲みしてー。マジで潰れるわよー?」
「ぶほぅうううっ!」
そんなドロシーが想いを寄せる男は、動揺する心を誤魔化そうとスコッチを一気飲みした。
(いや、いやいやいや! 見間違いだから! 社長がこの店に居るはずがないから! 彼女は社長に似ているだけの新入りさん! 社長に似ているだけで赤の他人だから!!)
ひと目であのホステスの正体に勘付きながらもスコットは全力で否定した。
(どうした、スコット! 彼女は別人だぞ!? 社長そっくりのホステスが男に囲まれているだけじゃないか! 何も気にすることない! 社長は今頃、家でルナさん達と夕食を取っているはずだ!!)
その頃、ウォルターズ・ストレンジハウスでは。
「ふふふ、あーん」
「あーん……」
「お味は如何? ニックさん」
「……美味しいよ」
「めぺぇー、めぺぇー」
「ふふふ、ほら。メリーちゃんもあーん」
「めぷぁっ」
三人だけの寂しげな食卓でニックとメリーがマリアに夕食を食べさせてもらっていた。
「……その、メリーだったか。膝に乗せて大丈夫なのか? 肉食で凶暴な動物なんだろう?」
「うふふ、心配してくださるの? 嬉しいわぁ」
「めぱーっ」
「安心してください、このメリーちゃんは私を餌とは見てませんわ」
「そ、そうか……」
「うふふふっ。はい、あーん」
「あーん……」
今日の彼らの夕食はマリアの特製シチュー。イカ墨のように暗黒のスープに多種多様な新動物の肉と野菜が入った栄養満点のメニューだ。
「美味しいよ……マリア」
見た目は強烈で少々独特な香りがするものの、ニック曰く味は絶品だったという。
「お、おかわりをお願いします」
「はーい!」
「んー、ちょっとペース落とすべきね。メイ、チェイサー持ってきて」
「えー、お兄ちゃんはまだ大丈夫だよ」
「メイー? アンタ、コイツの酒癖の悪さ知ってるでしょ? 酒に酔うと本当にヤバいんだからー」
「だ、大丈夫です。今日は沢山飲めますから! だから、もっとお酒をください!!」
あの金髪のホステスがドロシーだと気づきながらも認めたくないスコットはお酒に逃げる。
(うふふっ、今日のお兄ちゃんはお酒が飲みたい気分なんだね。これならすぐ酔い潰れちゃいそう!)
奇しくもメイの狙い通りに事は進み、彼女はウキウキでスコッチを注ぐ。その様子を近くの席で見ていたランカは何とも言えない顔になっていた。
「……」
「ねぇ、ランカちゃん。今日は機嫌が悪いの?」
「あっ、そんなことないわよー? 全然、いつものランカちゃーん!」
「そ、そうかい? ひょっとしてあの新人ちゃんに妬いちゃってたり……」
「ないない! それはないわ! さぁ、飲んで! ぐいーっと!!」
お相手の男の言葉を即座に否定し、まだ酒が残っている彼のグラスにウォッカを注いだ。
(うーん! 嫌な予感がするわー! メイは上手くいってる気でいるけど、絶対に一波乱くるわよー!!)
吸血鬼と化して更に強化されたランカの勘が警報を鳴らす。今夜は大きな嵐が来る……
「はい、どうぞ! ぐいっと行っちゃって!!」
「あ、ありがとう」
「ちょっとスコットー? 今日はどうしたのよ? 何だか様子が変よー??」
「いえ、何でも無いです。ちょっと刺激が強いのを目にして動揺して……」
「こんばんは、お兄様」
「……ホア?」
他の客の相手をしていた筈のドロレスが、ボトルを抱えてスコットのテーブルの前に現れた。
「さっき私と目が合ったでしょう? 凄い視線を感じて振り向いたら……貴方が見ていたの」
「……」
「ふふふ、貴方も私とお話したいのね?」
目を見開いてガタガタと震え上がるスコットにドロレスは挑発げに微笑む。
(……ほら! 来ちゃったわよ!!)
ランカが危惧した嵐がやって来たのだ。