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「よっぽど嬉しかったんだろうね。スコッツ君は暫く本気で泣いちゃってねー」
「……」
ドロシーは説明好きなのだろうか。
昨日の出来事について詳細かつ丁寧かつくどいぐらいに念入りに話され、スコットの気分はドンドン滅入る。
「そしてね、泣きじゃくるスコッツ君を皆で10分くらい励ましてからようやく乾杯したの」
「……何か、すいません。ホント」
「泣くほど喜んでもらえてアーサーも嬉しかったって言ってたよ」
スコットは確信していた。
その時に自分が流した尊い涙は決して喜びの感情から生まれたものではないと。
「それでー」
「ありがとうございます。社長、お陰で大分思い出してきました。もう結構です、勘弁してください」
「泣き疲れてお腹が減っちゃったのか、スコッツ君はアーサーが用意したご馳走を一心不乱に食べだしたんだよ。うめー、うめーって泣きながらね」
「もういいってばぁ!!」
説明に熱が入りすぎたのか、それとも昨日のスコットがよほど面白かったのか。
ドロシーの回想はやめてと嘆願する彼を置いてけぼりにしてクライマックスに突入した。
「ゔぁあああああああ!」
「ははははー! いい飲みっぷりじゃねえか、童貞ぇぇー!!」
様々な感情が駆け巡りすぎて脳の処理能力を越えたのか。
先程までの泣きじゃくる姿から一変、スコットは用意されたディナーを手当り次第にかきこんでいた。
貪欲なその手はいつしか高級ブランデーのボトルにまで伸び、グラスに注がずそのまま飲み干してしまう程だった。
「わー、凄いなー。あれだけの量を一人でペロリと食べちゃったよ」
「本当ね、よっぽどお腹が空いてたのかしら」
「はっはっは、スコット様のお気に召したようで嬉しい限りです」
ドロシー達は暴飲暴食するスコットの姿を見ても引くどころか紅茶片手に微笑みながら談笑する。
「ほああああああー!」
「……あの新人、流石に羽目を外しすぎではないか?」
「あーん? いいじゃねえか、あたしはこのくらい元気な奴が好きだぞ?」
「そうか……。そうだな、確かにお似合いだ」
「喧嘩売ってる?」
「? 何のことだ、私はあの新人が短気で子供っぽい性格の子うさぎにはお似合いだと」
「売ってるな? いい度胸だ、脳味噌くるくるぱーの牝牛女騎士。ぶち転がしてやる」
「何に怒っているのかわからんが……牝牛とは聞き捨てならないな。良いだろう、相手をしてやる!」
「そこの二人ぃー! 喧嘩はやめるるぉー!!」
流れるように洗練されたやり取りで喧嘩寸前まで発展した二人を泥酔してハイになったスコットが制止する。
「何だぁ、童貞! 邪魔すんな!!」
「喧嘩はやめろぉ! 喧嘩は良くない! 絶対に良くない!!」
「これは喧嘩ではない。制裁だ! 私を牝牛と侮辱したこの子うさぎに」
「屁理屈を垂れるな爆乳女ァ! 喧嘩と言えば喧嘩なんだよ! それも女同士の喧嘩だ! 万死に値する!!」
「ば、爆乳女……だと!?」
「だははははは! 言われてんぞバカ乳女!!」
「アンタもだ、貧乳黒うさぎ! 少しは恥じらいを覚えろ! 俺が困るだろ!?」
「はぁぁぁぁぁん!?」
既に理性が蒸発してリミッターやら何やらが外れたスコットは、普段の彼なら絶対に言いそうにない台詞をぶち撒ける。
「わー、スコッツ君って酒癖悪いんだ。覚えておかなくちゃ」
「次からは気をつけないといけないわね」
「あらあらうふふ、良いですわねー。若気の至りというものでしょうか……嫌いじゃないですわ」
正常な感性をした会社経営者なら歓迎会で酒に溺れてセクハラ発言をかます新人など即解雇案件なのだが……
「あはは、そうね! いいよ、最高だよスコッツくーん! 今の君は最高に輝いてるよー!!」
正常な感性も何もないドロシーには好意的に受け止められてしまった。
「女の喧嘩はなー! この世で二番目に最悪なもんなんだよ! 喧嘩する女は最悪だ! 最低だ! つまり二人共、女として最低なんだよぉー!!」
「んだとコラァー! 喧嘩売ってんのか、童貞ぇー!!」
「……いい度胸だ。その言葉、私への侮辱と判断する!」
「なんだその目はー! やんのか、こらー! かかってこいや! 飯時に喧嘩するような残念女にはこの俺が直々にお仕置きを」
「おらぁぁー!」
「はああーっ!」
────めごんっ!!
酔っ払ったスコットの顔面に怒り心頭のアルマとブリジッドの拳が同時に叩き込まれる。
「……」
スコットはそのまま白目を剥いて昏倒した。
「……あ?」
「何だ、一撃で倒れたぞ」
「あれ、スコッツ君? どうしたの、大丈夫ー?」
ドロシーは俯向けで倒れたスコットに近づき、その身体を揺するが全く反応がない。
「……あれ?」
「あら」
「何だよー! おら、立てよぉ! ボコボコにしてやんよぉ!!」
「……待て、彼の様子がおかしいぞ」
スコットの身体を起こし、ドロシーは彼の様態を確認する。
「……スコッツ君、息してない」
……彼の呼吸は、完全に止まっていた。
「あらあらー?」
「はぁ!?」
「どういうことだ!?」
「え、どうしよう! スコッツ君、息してないよ! 何で!?」
ドロシーは何故スコットが昏倒しているのか理解できなかった。
しかし常識ある第三者から見れば理由は明白。いくら女性とは言え人間離れした力を持つ二人のパンチをまともに、それも顔面に受ければこうなるだろう……
「スコッツ君、しっかりー!!」
自棄になって理性のタガが外れていたスコットに『女を怒らせてはならない』という男の常識が残っている筈もなく、調子に乗って煽った結果がこれだ。何とも情けない理由だが、彼の生命はそんな理由で絶えようとしていた。
「どどど、どうしよう! スコッツくんが! スコッツくんがー!」
「あらあらあらー、どうしましょうー」
「あたしのせいじゃないぞ! あたしは悪くないからな!?」
「ああ、光の主よ。今、貴方の御許に私の親愛なる家族の一人が参ります……どうか無限の愛で、無限の慈悲で、彼の者をお迎えください」
「スコッツくーん!!」
先程まで紅茶片手にスコットを応援していたドロシーは血相を変えて彼を心配し、その名前を何度も呼びかける。
マリアは口を抑えて少しだけ困った素振りを見せ、アルマは自分は悪くないと宣い、ブリジットに至っては既に彼が神の御許に旅立つことを受け入れている……
「ドリー、少し彼から離れて」
そんな混沌とする空気の中、ルナが落ち着いた声で呟く。
「る、ルナ……! どうしよう!」
「大丈夫、私に任せて」
ルナはスコットの頭をそっと触れる。
数秒間、彼の額に触れてその様態の深刻さを悟った後……
「アーサー、急いでベッドの用意をして」
唯一人、スコットが倒れても何の反応も示さなかった老執事に言った。
怪物に人の気持ちはわかりません。怪物の気持ちが人にはわからないのと同じです。