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忘れられているかも知れませんが、お嬢様はこういう性格です。
「は? 何だって??」
アレックス警部はドロシーの発言を聞き返した。
「見てよ、警部! 丸まっちゃって可愛いー! 写真取らなきゃ!!」
「いや、こいつは人を襲う危ない奴なんだろ? さっさと駆除してくれない??」
「ええっ! こんなに可愛い子を僕に殺せって言うの? 酷い! 警部には人の心がないの!?」
「お前……」
先程の発言は何処へやら。真顔でこちらを非難してくるドロシーに警部は本気で苛ついた。
「あの、ドロシーさん。一つ聞いていいですか?」
助手席で二人の会話を黙って聞いていたリュークだったが、ふとした疑問をドロシーに問いかける。
「ん、なぁに?」
「魔法で倒すと増えないんですね。銃で撃っても死体からにょきにょきと新しいのが出てきたので……」
「あー、即死させないと致命傷を負ってもお腹が一杯なら子供を産み続けるのよ。逆に何も食べてない状態なら即死させなくても対処出来るよ」
「嫌な生き物ですね……」
「拳銃弾だと即死させるのはちょっと難しいね。この子たちの脳は頭じゃなくて頚椎部にあるの、頭を狙ってしまうとすぐには殺せないわ」
「眉間を撃ち抜いても即死しなかったのはそれでか……」
羊に似た姿をしていながら、クリシーポスの身体構造は既存の生物とは大きく異なっている。
特に内臓の位置がかなりデタラメであり、『何をどう進化すれば心臓が下腹部に備わるんだ』と多くの動物学者を悩ませている。
「ところで警部ー? 何か僕に言い忘れてない??」
「……」
「警部ー?」
「ああ、くそっ! 助かったよ! ありがとうよ!!」
絶妙に癇に障る笑顔で言い寄ってくるドロシーにアレックス警部は仕方なしにお礼を言う。
「ふふん、どういたしまして」
「社長ーッ!」
誇らしげに胸を張るドロシーの所にスコットがやって来る。
「あ、スコッツ君。もう終わったよー」
「本当に全部一人でやっちゃったんですか!?」
「ふふん、凄いでしょ? 惚れ直した??」
「え、いや……その……」
〈め、めぺっ〉
「はっ! 社長、危ない!!」
ドロシーの足元の大きな毛玉が小さく鳴いた。スコットは咄嗟に悪魔の腕を呼び出して毛玉を叩き潰そうとするが……
「ああっ! 待って、スコッツ君!!」
「!? 何してるんですか、社長! 退いてください、危ないですよ!?」
「この子は殺しちゃ駄目よ!」
「はぁ!? 何で」
「だって可愛いすぎるもの!」
「はァァァァん!?」
ドロシーの発言にスコットは目を見開く。
アレックス警部達はそっと目を逸らし、スコットが呼び出した悪魔の腕に戦慄する運転手の方を見た。
「可愛すぎるって何ですか! そいつは街の人を襲った化け物の一匹ですよ!?」
「だって本当に可愛いんだもの! スコッツ君もちゃんと見てよ!!」
〈めぺっ〉
防御姿勢を解いて恐る恐る顔を出すクリシーポス。そのつぶらな瞳を見てドロシーの生意気な胸は高鳴った。
「はうう、可愛いーっ!」
「社長ーっ!?」
ドロシーは衝動の赴くままにクリシーポスを抱き上げ、ふわふわな体に頬擦りする。
〈めぺっ、めぺぇっ!〉
「ふわぁぁーっ、もふもふーっ! 可愛いー!!」
「何してるんですかぁ! 危ないですって! 早くそいつを放してください、俺が殺しますから!!」
「やだー! 放さないー! この子は殺しちゃ駄目ーっ!!」
「いやいやいや! このままじゃ社長も食べられちゃいますから! 早く放してくださいって!!」
〈めぴゃあっ!〉
「いやーっ! やめてー!!」
「やめてーじゃねえですよ! そいつの仲間が人に襲いかかるのを見てたでしょぉー!?」
「ふやぁぁぁっ!!」
スコットはクリシーポスをドロシーから取り上げようとするが彼女は必死に抵抗する。
手持ち無沙汰になった悪魔の腕は『何してんだか』とでも言いたげなジェスチャーを取り、音もなくスコットの中に戻っていった。
「いい加減にしてください、社長ー!」
「スコッツ君がいい加減にしなさいー!」
「ぐふぁっ!?」
ついにドロシーは杖を出してスコットに魔法を放つ。麻痺の魔法が直撃してスコットはバターンと地面に倒れる。
「か、かかか、身体がっ、身体が痺れ……っ!」
「ふん、そこで少し大人しくしてなさい」
〈めぴゃ……〉
「あーん、怖がらせてごめんね? もう大丈夫だからね??」
「ちょっ、社長……マジで身体が、動かな……!!」
「安心しなさい、数分もすれば動けるようになるから。アーサー」
「はい、お嬢様」
「スコッツ君を車まで運んであげて」
「かしこまりました」
いつの間にかすぐそばに来ていた老執事にドロシーは命令する。
「え、ちょっと! 社長! 社長ーっ!?」
「すぐ戻るから待ってて。僕はちょっと警部と話があるの」
「社長ーっ!」
老執事に運ばれていくスコットを見守った後、ドロシーはアレックス警部に話しかける。
「ねぇ、警部」
「……何だ?」
「ちょっと聞きたい事があるんだけど」
「何だよ?」
「上手に子作りする秘訣ってあるかしら?」
かのドロシー・バーキンスが目を輝かせながら発した言葉にアレックス警部は固まった。
「……あー、うん? すまんな、もう一回言って」
「そろそろ子供が気になる年頃になっちゃってね。でも、僕はまだ未経験だからアドバイスが欲しくて」
「アドバイスて……」
「端的に言うと初めてでも確実に子供を作る方法について」
「頭でも打ったの?」
「僕は正気よ、アレックスちゃん」
ドロシーは真剣な眼差しでアレックス警部を見る。
警部の顔は次第に汗だくになり、女性経験のないリュークは気まずそうに目を逸らすしかなかった。
「まさかとは思うが、お前……」
「うん」
ドロシーは車に放り込まれるスコットを一目見てすぐに視線を戻す。
(……ああ、スコット……可哀想に)
彼女の反応でアレックス警部は何かを察し、暗雲立ち込めるスコットの未来を本気で憂いた。
「……」
「アレックスちゃん?」
瞬きもせずに此方をジッと見つめてくるドロシーに根負けし、アレックス警部は重い口を開く。
「……愛し合う男女が手を繋いで子供が欲しいって星空にお願いすると次の日コウノトリが」
「真面目に答えて」
「……すまん、リューク。助けてくれ」
「え、俺!? 無理無理無理! 無理ですって! だって俺、デートしたことも無いんですよ!?」
「あー……いや、その……悪かった」
「ちょっと謝らないでくださいよ! 何か余計に傷つきますって!!」
「あれ、新人君は恋人がいないの? とっても素敵な顔立ちなのに……」
「へぇっ!?」
「君の近くにいる子は男を見る目が無いのねー」
ドロシーが何気なしに言い放った破壊力絶大な一言にリュークは完全沈黙。
「……このクソヴィッチめ」
アレックス警部は思わず目頭を押さえ、彼女の無自覚な魔女っぷりに辟易とした。




